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ALICE IN WONDERLAND
2010年/アメリカ/109分/ G at:梅田ブルグ 監督: ティム・バートン驚愕の映像とやたらめったら過熱なほどの前宣伝の「アバター」。どんなもんだ?って観たけれど、なんだかナァというのが正直な感想。 だから本作は、「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」や「ティム・バートンのコープスブライド」でストップモーション・アニメーションで独特の映像世界を見せてくれたティム・バートンが、「アリス・イン・ワンダーランド」ではどんな3D映像を見せてくれるんだろうって期待してしまう。 いつもなら公開されると即日にいそいそと劇場に足を運ぶところだけれど、こういう映画などは、乗れる友人と一緒に行くのもまた楽しいので、彼女の都合に合わせて水曜日に鑑賞。3D映画のチケット代はレディスーデーの対象外となるので、友人はちょっと憤慨のご様子。まぁ、いいでしょう。この映画、いわゆる映画評論家と称される方々からは、結構辛口の評価をいただたいてるみたい。 原作のシュールさと比べると、本作は、夢を本気で信じていた変な女の子だった少女の頃のアリスが、アリスの一番の理解者だったお父さんが亡くなってから、すっかり普通の女の子みたいになってしまって、夢を信じなくなった19歳のアリスが、ワンダーランドで、再び夢を信じ、夢に向かって勇気を持って羽ばたいていくという、一人の少女のそんな成長物語になっているところは、映画作品としてはさほど新しい魅力のあるものでなないだろう。 でも、映画が好きで、小さい頃から変な絵ばっかり描いていて、そんな自分の世界を映像化し続けてきたティム・バートンにとって、アリスの信じるワンダーランドの世界は、彼が子供の頃から信じ続けてきた世界と重なるものがあるだろうなって思う。だから夢を観ることを忘れてしまったアリスに、もう一度夢を信じる力と勇気を持って欲しい。そんな思いもあったんだろうなって思う。 映画のストーリーとか、作品評価は横においておいて…… ティム・バートンの3D映像作品「アリス・イン・ワンダーランド」は、3D映像としては楽しませてくれた作品。普通の映像と3D映像の違いは遠近感とか立体感かな。 赤の女王の追っ手からワンダーランドの荒野や森を逃げるシーンなんかも3Dならではの遠近感のある立体的世界だったし、ジョニー・デップ演じるマッドハッターと、クリスピン・グローヴァー演じるハートのジャックの剣と剣との戦いのシーンでも、ハッターを掠めたジャックの剣先がスクリーンから観客席に向かってきたような…。 ワンダーランドから現実の世界に戻ったアリスの肩に、蝶になった芋虫のアブソレムが止まり、アリスがワンダーランドを忘れていない証としてアブソレムだって気がついたことに安心してか、アリスの肩からひらひらと飛び去っていった青い蝶が、スクリーンから飛び出して劇場の空中を飛んでいるように見えたのも素敵。 「アリス・イン・ワンダーランド」は突っつけば映画作品としてマイナス点もあるだろうけれど、3D映像の楽しさを見せてくれた映画としては成功した作品といえるんではないかしら。 一緒に観にいった友人も大いに満足していたご様子。 少なくとも、先に公開された「アバター」よりも、本作の方がれが3D映像だわって思える作品。 なんといっても、3Dでこんな風な映像に仕上げたいっていう、ティム・バートンの遊び心のある映像作品。 ちょっと思ったこと…… 字幕での鑑賞。芋虫のアブソレムにアラン・リックマン。白うさぎにマイケル・シーン。チェシャ猫にスティーヴン・フライなどなど。結構な方が声を提供されている。 3D映像って普通の映像に較べてはるかに集中力を必要とされる映像。目が疲れないためにも情報は少ない方がいいらしく、できれば吹き替えで観る方がいいらしいけれど、やっぱり字幕でしょう。 ▲
by mchouette
| 2010-04-30 09:07
| ■映画
STAY
2005年/アメリカ/105分 ネタバレ注意 監督: マーク・フォースター ニューヨークの有名な精神科医サム(ユアン・マクレガー)が新たに受け持つことになった患者は、ミステリアスな青年ヘンリー(ライアン・ゴズリング)。予知めいた能力を持つヘンリーは、3日後の21歳の誕生日に自殺すると予告する。一方、自殺未遂経験を持つサムの元患者で恋人のライラ(ナオミ・ワッツ)は、自分と同じ自殺願望を持つヘンリーに興味を抱く。やがて、誕生日を前についに行方をくらましてしまったヘンリー。彼を救おうと必死で行方を捜すサムだったが、次第に彼の周りで、現実の世界が奇妙に歪み始める…。 予告編や映画宣伝チラシでも、なにやらミステリアスなような、わけのわからんような映画だった。最近はミステリアスを強調して、観てみると、なぁ~んだ、こういうこと…ってのが多いから、ついこちらも猜疑心でもって、観ようかどうしようかとなる。(最近はこの猜疑心が起きるのがやたら多い) 本作もそんなこんなで劇場鑑賞はスルーした作品。 ある意味、スルーして良かったかも。 観るほどのものでもないという意味ではなくって、見終わった後、映像の意味がわかった頭でもう一度謎めいたように思えていたシーンを、ヘンリにー寄り添う形で確かめたくなるから。 観ながらあれこれと推測してしまう。 サムを訪ねて彼が通う美大を訪れたサム。 教室から出てくる学生や建物を歩く学生たちが、何かの暗示のように双子あるいは三つ子であることに気がつく。この現象はサムやヘンリーが歩く町の中でも起きている。 そしてサムが経験するデジャブ。 それはサムのものでもあり、ヘンリーのものでもあり、奇妙に捩れた形でサムとヘンリーが結びつく。 美大生のヘンリー。そして画家のライラ。ライラがみせる不安定な精神。 サムの元患者で自殺未遂の経験があり、同棲している恋人のライラもまた、サムとライラの間に滑り込むような形で不可思議な繋がりをみせ始める。 ヘンリーは、実はサム自身の投影? サムを演じるユアン・マクレガー。彼の今まで演じたきた曲のある役柄からか、例えば「シャロウ・グレイブ」(1994)、「ピーター・グリーナウェイの枕草子」(1996)、「悪魔のくちづけ」(1997)、1999年 「氷の接吻」(1999)、「猟人日記」(2003)、「天使と悪魔」(2009)…そんなことも思わせる。 そしてラスト。 ブルックリン橋で起きる衝撃の映像。 ここにきて初めて、この3人の関係とは、こういうことだったのか! 彼らはここで出会ったのか! サム、ヘンリーそしてライラをとりまく断片的でもあり、不可解な映像がラストで結びつく。それでも映像の謎は残るのだが… ![]() ![]() ヘンリーが聞き取れない声で許しを請う言葉と共に、幾度が口にする「STAY」…「ここにいて」…贖罪の思いとともに、この手から消えていくだろう時間にすがりつくような彼の思いが込められた言葉だろう。 エンドクレジットで流れる映像を観ながら、今まで観てきたものは、ヘンリーが遠ざかる意識の中で、残酷な現実と、自責の念と、願望と未来の希望が交錯して生み出された世界なのかと、たぶん、そうなんだろうと思う。 次のシーンで二人が恋人同士であるとわかるにもかかわらず、冒頭でのサムとライラが声をかわすシーンが妙にギクシャクしていたのも肯ける。 ライラだったナオミ・ワッツのアイメイクが彼女にしてはちょっと濃かったのもそういうことかと肯ける。 とすれば、あのシーンも…と、不可解でミステリアスと思われたシーンの一つ一つが、なるほどと、クロスワー・パズルのように断片と断片が一致する。 もう一度観て確かめたくなる気になってくる。 ブライアン・シンガーの「ユージュアル・サスペクツ」も2回観て、やっと、ああ、そういうことかと納得させられるというもの。ラストでケヴィン・スペイシーがみせるラスの一連のシークエンスに2回目も大いに唸らせられる。このDVDを友人たちに貸す時も「必ず2回観てね」と念押しする。そういう意味で、本作も劇場鑑賞スルーして良かったかと。 劇場を後にしながら、今観たそれぞれのシーンの記憶を振り返り、一つ一つあてはめていこうと頭の中が勝手に動き出す。曖昧な記憶にじれったくなることもあるだろう。 ただ、本作はヘンリーの思いが切なすぎ、悲しすぎる。 一度きりの人生。二度続けてみるよりも、さまざまな思いに錯乱するヘンリーが、二人に聞き取れないほどの声で「STAY」と言った彼の思いを抱きしめてやる方がいいのかもしれない。 見終わった後、そんな気もする。 監督はマーク・フォースター。 「チョコレート」「ネバーランド」最新作では「007慰めの報酬」の監督。 なかなかのビジュアルセンス。 監督の演出手腕か、編集スタッフの力量か、脚本の面白さか。 しばらく時間をおいて再鑑賞してみよう。 ▲
by mchouette
| 2010-04-26 11:13
| ■映画
SEVEN POUNDS
2008年/アメリカ/123分 監督: ガブリエレ・ムッチーノ ウィル・スミス。 特に好きな役者というわけではないけれど、彼の出演作は映画評価は別にして楽しめて好きな作品が多いし、その中のウィル・スミスの演技もまた好感度は高い。 その彼が、事業の失敗により、妻は家を出、一人息子とともにホームレス生活をおくりながら最終的には成功を掴んだ実話を描いた「幸せのちから」というヒューマンドラマに取り組み、実の息子との共演も話題を呼んだ。最近よくあるハリウッド的ハートウォーミング作品か…と、斜め視線で劇場鑑賞はスルーしたけれど、偶々WOWOW放映で観て、たしかに心温まる感動作品なのだけれど、ウィル・スミスの力みのない演技、そして父と息子の共演もとても自然で、感動の押し売り的な押しつけや誇張を抑えたガブリエレ・ムッチーノ監督の演出がよくって、これは本当に拾い物の大当たり。 本作は、その「幸せの力」に引き続いての、ガブリエレ・ムッチーノ監督とウィル・スミスがタッグを組んだ2作目。 「幸せのちから」がとっても良かったので、往々にして1作目が良くって2作目でがっくりというパターンが多いので、今度の2作目で失望させられたら嫌だなぁって、これも劇場鑑賞はスルー。 いやぁ、本作もなかなかの秀作で、最後は思わず涙ぐんでしまった。 ガブリエレ・ムッチーノ監督。 「幸せのちから」で初めてその存在を知った監督だけれど、なかなかに感情のツボを心得ていて、洗練された粋な演出をされる方。 国税調査官ベンと名乗る主人公が一体何者で、彼の言う計画も、彼の行動も、予告編等で語られていた贈り物も、はっきりと示されないまま、そんな展開に戸惑いながらも、彼が一人になった時にみせる孤独と苦悩に、この主人公の不可解な行動に寄り添われずにはいられない。そして最後に、彼がどんな思いでその後を生き、何を考えていたのかが、衝撃と慎ましやかさでもって語られる。 原題の「SEVEN POUNDS」 彼の贈り物の総重量という解釈もあるみたいだけど、血肉の通った彼の人生の7片とでもいえるだろうか。どんな思いで分け与えたことだろう。 彼の選んだ生き方。死に方といってもいいだろうか。 リストにあがったエミリーとの間に芽生えた愛に彼がどれほど葛藤したか…思わず涙せずにいられない。 ![]() ![]() 「作り物めいていると言われれば否定できないが、40年映画を見て来た僕が少なくとも観ている間は信じていられる嘘である。」いつもブログでお世話になっている<プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]>で、プロフェッサー・オカピーさんが本作について書かれた言葉である。 私があれこれ書き綴るよりも、オカピーさんのこの言葉がこの作品を端的に語っているだろうと思う。私もオカピーさんのこの言葉が胸に響き、本作はぜひ鑑賞しなければという気持ちになったほど。 余談だけれど、ウィル・スミス演じる主人公は、少年の頃から空を飛びたいと願い続け、大学はマサチューセッツ工科大学(MIT)出身という設定だが、ウィル・スミスも18歳の時になんとこの名門MITの推薦を得ていたそうだ。当時、友人とヒップホップ・グループを結成していた彼は、その推薦を蹴ってレコードデビューを果たしたとか。 シリアスなドラマで性格俳優として確かな演技をみせる彼だけれど、娯楽作品でも、アクションとコミカルな面そして真面目な部分のバランスが絶妙で、来日した時も、そのサービス精神と、飾らない大らかさが好感のウィル・スミスって本当に頭のいい人なんだろう。 ![]() ▲
by mchouette
| 2010-04-24 11:19
| ■映画
THE CHASER
2008年/韓国/125分/R-15 監督: ナ・ホンジン 2004年に韓国で実際に起きたという、10か月に21人を殺害した疑いで逮捕された、韓国で“殺人機械”と言われたユ・ヨンチョルの事件をベースにした作品。 日本でも昨年に公開され、評価の高い映画だったけれど、韓国の犯罪映画って暴力描写も半端じゃなくリアルで、体調とかその時のバイオリズムによってはちょっと退いてしまうこともある。本作もそう。 WOWOW放映で鑑賞。 録画を深夜に鑑賞。作品によってはそのまま知らぬ間に寝てしまうこともあるけれど、寝るどころか物語の展開にぐいぐい引きずり込まれ、画面に釘づけで頭はしっかり醒めてきたほど。見る者を捕らえて離さないこの映像の力は凄い。 風俗業を営む元刑事のジュンホは、店の女の子が相次いで失踪していきり立っている。客からの電話に、風邪で休んでいたミジンを電話で脅しつけて待ち合わせ場所に行かせる。このミジンの相手となる電話番号が、失踪した女たちの最後の客の電話番号であることをジュンホは偶然にも気づく。そしてミジンに男の家に着いたら住所をメールするように伝えるが、ミジンからはなんの連絡もなく、携帯も繋がらず、ジュンホは必死にミンジと女の失踪にからんでいるだろうと思われる男の居場所を追跡しだす……。 ![]() 損得がらみから始まるジュンホの追跡は、人としての痛みと怒りをもった追跡へと変わっていく。そして殺すことで快感を覚えるヨンミンの異常性。 警察の生ぬるい捜査を通して上意下達の韓国社会への風刺も描かれている。 刑事時代に風俗業の副業がばれて解雇されたジュンホ。出る釘は抜かれ、抜かれた釘は、しかし、抜かれてもなお警察や国家を蹴飛ばして一人突っ走る。これが韓国映画の底流にドクドクと力強く流れている、彼ら映画人たちの精神のようにも思える。 ポン・ジュノ監督の「グエムル~漢江の怪物」でも、怪物にさらわれた少女を命を賭けてでも救わんとする家族の姿を描いた作品だったが、国家権力を徹底的にコケにしたポン・ジュノの映像に、彼の中の揺るぎない批判精神を垣間見た。 ミンジの7歳の娘の涙に人としての痛みを感じ、ジュンホは男とミンジの行方を必死に探す。ジュンホの内なる「恨」が彼を衝き動かす。ここでも安易なヒューマニズムなど蹴飛ばされる。 映像を通してジュンホの焦り、辛さ、苦しさ、怒りが伝わってくる。 ジュンホを演じたキム・ユンソク。そしてひ弱な青年とも見える異常な殺人者を演じたハ・ジョンウ。二人の演技も見応えあり。 先日観た「息もできない」も、監督・製作・脚本・撮影・編集・主演を一人でこなしたヤン・イクチュンの監督デビュー作にして、世界各国の映画祭で映画賞を受賞し高い評価を受けた作品。 そして本作も、ナ・ホンジン監督の長編デビュー作にして、すぐさまハリウッドでのリメイクが決定したという。 二人とも1970年代生れの30代半ば。韓国では確実にクオリティの高い若手映画人が生れてきていると実感する。 彼らの社会に対する問題意識の高さ、視点の確かさでもあるだろう。生々しく激しい暴力描写を通して彼らの内面の苦痛が描かれている。 敗戦から高度経済成長にあった日本社会を背景に、日本の映画人たちも戦後の日本社会の光と闇、歪み、底辺に追いやられ生きる人間たちに焦点をあて、素晴らしい作品が次々と生み出されていった。 描くべきもの、描かなければならないものを、彼らは映像を通して語り続けてきた。 映画は社会を映す鏡でもある。韓国の映画をみていると、そんなかつての日本の映画人たちが描き続けた生々しいリアルさと重なるように思う。 ちょっと余談だけど、 ▲
by mchouette
| 2010-04-23 00:00
| ■映画
久しぶりに晴れて暖かさも程よい日曜日。
こんな日はいい映画もないのなら、ウォーキングも兼ねてちょっと足を延ばして展覧会に行きましょうとなる。 ちょっとマニアックなところで 京都・相国寺の中にある承天閣美術館で開催されている、江戸末期から明治期に活躍した漆職人であり画家でもある柴田是真(しばたぜしん)の作品展「柴田是真の漆×絵~江戸の粋・明治の技~」を観に行ってきた。ここは以前、伊藤若冲展が開催されたところ。 アメリカのキャサリン&トーマス・エドソン夫妻が収集した是真の漆工と絵画約70点が初めて里帰り。 精緻を通り越して超がつくほどの是真の卓越した技と高い芸術性。そして遊び心溢れたなんともユーモラスな発想と粋さ。螺鈿の使い方も上品。 彼の作品をみていると<espritエスプリ>を感じる。 相国寺の門をくぐると、新緑に彩られた庭園が眼に爽やかで、緑だけのこのシンプルさが心地良い。そんな中で利休梅の白が際立つ。 ![]() ![]() ![]() 展覧会に行く前にランチをと、同志社大学の法科大学院のある建物の1階にあるレストランで。マッシュポテトがなにやら美味しそうと仔牛肉の赤ワイン煮込みのAランチを。スープとサラダもついて、なんと500円! 味つけも美味しくって、オープンテラスの雰囲気もよくって、その辺のレストランで食べるよりよほど上等。 ここは私が通っていた頃は学生会館だったところ。奥の別館はサークルボックスがあって、キャンパスよりもここにいることのほうが長かった。学生時代の思い出が一番詰まっていた場所。立派になってしまったこの場所にちょっと淋しさを覚える。 何を観にいこうかってあれこれ迷った結果の「柴田是真展」は相国寺のお庭と是真の遊び心溢れる粋と軽妙洒脱に触れて、大正解。 More ▲
by mchouette
| 2010-04-22 00:00
| ■展覧会・コンサート
THE PRIVATE LIFE OF SHERLOCK HOLMES
1970年/アメリカ/125分 監督: ビリー・ワイルダー ビリー・ワイルダーが描くシャーロック・ホームズ。 本作は初めての鑑賞。 WOWOWが企画したビリー・ワイルダー特集で放映された作品の一つ。 ガイ・リッチーがコナン・ドイル原作を下敷きにした「シャーロック・ホームズ」もこんなホームズとワトソンコンビなかなかにいいではないか、ガイ・リッチーやるじゃん!の評価で、これはこれで楽しませてくれた。 ビリー・ワイルダー監督のホームズ譚は、コナン・ドイルのホームズ像に敬意を表しつつも、こちらもビリー・ワイルダーのオリジナル。 ロバート・ダウニー・Jrのホームズは退屈するとピストルを発射させて壁にヴィクトリア女王を描いたりしてたけど、ワイルダー描くホームズは、退屈するとモルヒネに手が伸びる。 名手と謳われたホームズの弾くバイオリンの、センシティブでどこか物悲しい音色に、彼の内面の隠し持っているものをちらりと垣間見せるあたりはさすがビリー・ワイルダー。 埃の厚さが事件のインデックスというエピソードも登場する。 頭脳明晰ではホームズに優るとも劣らず、政府国家の中枢に関わる仕事をしているとされる兄のマイクロフト・ホームズも登場する。 演じるのはドラキュラ伯爵で有名なクリストファー・リー。若い人には「ロード・オブ・ザ・リング」のサルマン役とか、「スター・ウォーズ」のドゥークー伯爵が馴染みでしょうか。この方は本作では兄のマイクロフト・ホームズ役だけど、シャーロック・ホームズも演じており、ホームズ兄弟双方を演じた史上唯一の俳優なんだとか。 英国の政治の中枢を握る兄のマイクロフトたちの秘密クラブの存在とか、そんな権力主義に嫌悪感を示すシャーロック。ネス湖の伝説の怪獣を絡め、ドイツとイギリスの間で繰り広げられるスパイが暗躍するほど熾烈な軍事力競争。ユーモラスな語りながら当時の社会背景もシビアに切り込んでいる。 そして兄のマイクロフトの指揮下で開発された潜水艦を前にしてヴィクトリア女王のセリフが奮っている。「水の中から黙って攻撃するなんて! ドイツがしてもイギリスは断じてそんな卑劣なことは許しません。即刻壊してしまいなさい!」 ![]() 失踪した夫を探しに来た女性と、イギリスとドイツで火花を散らす潜水艦開発が一点で結びつき、そんな中でホームズと女スパイとの間に密やかに芽生えるロマンスの絡め方もさすがビリー・ワイルダー。 しかしこの恋も、再会の約束も、スパイ活動中の日本での非業の死で終わりを告げる。 さすがのワトソンもこの時ばかりは隠したモルヒネのありかをホームズに教えてやる。 婚約していた女性が式の前日に亡くなった。だから女性を信用しないんだというホームズ。また会いましょうと密かに約束したドイツの女スパイとも再会せぬままに死んでいった。恋に傷つくくらいなら、女性に何も期待しないというホームズ。 頭脳明晰で論理的に事件を解決していくホームズが唯一扱いかねるのが己の内なる恋心。ホームズの女嫌いのありかをこんな風に描いてみせるのもにくいほど。 ワトソンが執筆するホームズ事件簿からはみえないホームズの素顔が、さらりと、それでいて的確につかんで描かれている。 ロンドンの町、そしてスコットランドの田園風景を背景に、古きよき英国映画を思わせるクラシカルな上品さを漂わせ、一人の男としてのシャーロック・ホームズまでをも生き生きと描きあげ、数あるシャーロック・ホームズ映画の中でも傑作ではないかしら。 ![]() ビリー・ワイルダーってシャーロキアンとしてもつとに有名だとか。そのビリー・ワイルダーが10年の構想を経て撮ったビリー・ワイルダーのオリジナルストーリー。 「ホームズの私生活に深く関わるため発表されなかったエピソードが、ワトスンの死後50年を経て公開された。」という設定で、4つのエピソードが盛り込まれた4時間近い大作だったそうだが、映画公開にあたって配給会社からの要請でエピソードのうち2つはカットされ2時間に編集されたのが本作だそうだ。 ビリーワイルダーのオリジナル版「シャーロック・ホームズ」。 カットされた2つのエピソードがなんとも惜しい。 WOWOWのビリー・ワイルダー特集。次は「第十七捕虜収容所」 あの口笛のメロディ「ジョニーが凱旋する時」も映像と共に忘れられないメロディ。 ▲
by mchouette
| 2010-04-21 09:43
| ■映画
MOLIERE
2007年/フランス/120分/G at:テアトル梅田 監督: ローラン・ティラール <本作のコピー> 17世紀フランスの劇作家で、コルネイユ、ラシーヌとともに古典主義の三大作家の一人とされるモリエール。 パリの裕福な家庭に生まれ、オルレアンの大学で法律を学ぶも、役者の道を選ぶ芽が出ず、売れない劇団の座長として地方の旅回りを続けていたモリエールが再びパリに戻り、次々と上演する作品は人気を博し、宮廷でも支持を得、喜劇に対する評価を高めたといわれている。 こうしたモリエールの名作誕生には、旅回り時代の無名時代にあるんではないだろうかということで描かれた伝記フィクション。 根強いモリエール人気もあるのだろう。本作はフランスでは180万人動員の大ヒットとなったそうだ。 だけど…… これって、たぶん舞台劇としてだったら、とっても面白い作品になるんだろうなって思う。ただ、映画作品としては……映像に飄々とした軽やかなリズムを出そうとしてだろうか、客席からは何度か笑い声が起きる場面などもあったけれど、どうも私には笑いを狙っての場面に思えるし、ストーリーとは繋がってこない。 モリエール役のロマン・デュリス。 彼のどうかすると感情過多の演技が、軽やかなシーンも重くしているように思える。 映画って、映像リズムってのがあると思う。それがどうも感じられなくって乗れなかった作品。 モリエールの経験談として彼の戯曲が織り込まれているけれど、とってつけたように思え、料理にたとえれば、素材の良さが一枚のお皿の上で一つの料理としての味と形になっていない…といったところだろうか。 それともフランスのエスプリの味を、私がわからなかっただけなのかしら? 同じテアトル梅田で上映していた、これまた知られざる秘話を描いた「ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い」も、なんだかとってつけた内容かしらって思えてきて観る気も失せてしまった。こちらは時間があればどっかで観にいってもいいかも。
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by mchouette
| 2010-04-20 10:55
| ■映画
BITTER MOON
LUNES DE FIEL 1992年/フランス・イギリス/140分 監督・製作: ロマン・ポランスキー 原題は文字通り訳すと「苦い月」。「Lune de mie<英:lhoneymoon>蜜月」を皮肉ったものか。 邦題の「赤い航路」はなんとも陳腐。原題のままで良かったのに……。 イスタンブールに向う客船で結婚7年目の旅行に出たナイジェルとフィオナは良識的なごく普通の夫婦といえるだろう。 ナイジェル役のヒュー・グラントと、フィオナ役のクリスティン・スコット・トーマス。二人とも若い!その船上で彼らが出会った一組の夫婦、オスカーとミミ。 妻にない妖艶な魔性の魅力を漂わせるミミに欲情を覚えるナイジェル。 そんなナイジェルの隠れた欲望を見透かしてか、ミミの夫で、下半身不随で車椅子に乗ったオスカーが声をかけてきた。 その日からナイジェルは、オスカーから、二人の出会いから下半身不随になり、今に至るまでのミミとの間に繰り広げられた愛欲とその後の憎悪に満ちた彼らの性生活の全てを聞かされる。 惹かれあった男と女が、性の欲望の虜となり、飽く事のない欲望を貪らんと果ては倒錯した世界へと堕ちていく。倦まれた愛は、欲望の行き着く先は、相手を精神的に甚振る残酷さへと形を変え、憎悪と自虐の狂気へと駆り立てていく。 吐き気さえ催すほどのオスカーの語る赤裸々な内容にナイジェルは嫌悪しつつも、魔性の魅力を感じさせるミミに惹かれる思いと、彼の中の隠れた欲望と好奇心が絡みあい、躊躇いながらも抑えきれない思いで、夜ごとオスカーの船室を訪ねる。 そんなナイジェルに、妻のフィオナは倦怠期にある夫婦生活の不満を顕わにさせていく。 自らの力で止められぬところまで愛欲の虜に陥った男と女。 「愛に貪欲すぎたんだ。」弱々しく呟いたオスカーが行き着いた残酷な結末。 欲望が狂気へと変貌していく様を、オスカーとミミを通して生々しく描き出した本作は、エロティックな官能の世界を通り越して恐怖さえ覚える。 これがハリウッドあたりが製作すると、辟易するほどに不必要なまでに際どいセックス描写が描かれていたことだろう。 人間の欲望の生々しい姿を描き出した本作。上手いなぁって思う。 原作はパスカル・ブルックナー。原作は未読だけれど、二人の倒錯した性の世界がこれでもかと書かれているそうだ。 ポランスキーとともに脚本を担当したジェラール・ブラッシュとジョン・ブラウンジョンは「愛人/ラマン」の脚本を執筆したコンビ。なるほどと思わせる。 ![]() ロマン・ポランスキーの描き出した官能の果ての狂気。 「愛はすべてが悲しいストーリーだ。2人のうちどちらか一方が死ぬか 別れるかで終わりを告げるしかない。ただ1つ残されたロマンティックな解決方法は心中する事だ。」本作についてポランスキーはインタビューで語っている。 男と女が辿る愛のストーリーを月の満ち欠けをなぞってか、新月から満月まで夜空の月が映し出される。 ユダヤ人収容所を脱走し、人々の醜さ、狂気を目の当たりにしてきたであろう少年時代。そして2度目の妻の残虐な死。ポランスキーの描く男と女の愛は、狂気と、背中合わせの悲しみと、そして残酷なまでの破滅の匂いがつきまとう。 「ローズマリーの赤ちゃん」のラストで、悪魔の子供を産んだローズマリーが、悪魔の子であっても我が子を愛しむ微笑をみせたあの強さと優しさもまた、彼の母親がユダヤ人強制収容所で死んでいった彼の過去とつながり、ポランスキーの中に刻み込まれた母性でもあるのだろう。
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by mchouette
| 2010-04-18 00:00
| ■映画
![]() 当初はブログ更新が一種の義務感みたいに思えてきて、観た映画を律儀に記事しなければ…しなければ…って追いかけられるみたいにしてせっせ、せっせと更新していて、ブログのおつき合いも大切にって、せっせと訪問してはコメント入れたり…。 そんな中で3年間いろんな方と接することができて、文字を通したおつき合いだけど、文章を通してその方の人柄やセンスなども見えてくる。 どんな顔しているんだろうかって、あれこれ想像したりもする。 当初はシャカリキにほぼ毎日更新で、口の悪い友人からは「怒涛のごとき…」なんてからかわれたり…が、最近はガス欠気味でちょっと滞ることも多く、ブログ更新もぼちぼちとって風に落ち着きだしている。 観た映画もむきになって記事するという義務感みたいなのも薄れてきて、観たけれど記事してない作品も多いし、ちょっとした日常のあれこれも記事にしようと思っている間に、時間が経ったりして「まぁ、いいかぁ」って風に流れてしまうこともしばしば。 これもまた「まぁ、いいかぁ」 丸3年経った4月16日を機に、ブログを辞めるってメニューも頭をかすめたことも。 でも、子供たちや友人たちも読んでくれているみたいだし、以前このブログで紹介した梟専門ギャラリー「有楽」に、私のブログ記事読んでっていう方が、携帯に登録したり、プリントアウトしたブログ記事をもってお店を訪ねてこられた方が何人かいらしたとか。 そんなのを聞くとやはり嬉しい。 この一年は私事であれこれと時間と体力をとられ、ブロガーさん訪問もあまりできないままに過ぎてしまった。 ブログとの関係をみつめる機会にもなったと思う。 4年目に向けてというわけでもないけれど、いつも思っていることだけど、息切れしないように、あまり負荷をかけないで、ぼちぼちと、書きたいものを、書きたいままに、風の吹くまま、気の向くままに……こんなリズムが上手くとれるようにやっていくとしましょうか。 ただ、書きたい、言葉にしておきたいって思う感性だけは大切にしていきたいなって思う。ブログを続けているのもこんな気持ちからかも知れない。 写真提供(といっても勝手になんですけど…)は、いつものメンバーのスクラム君のHPから拝借しました。 ▲
by mchouette
| 2010-04-16 09:43
| ■ご挨拶・お知らせ
BREATHLESS
2008年/韓国/130分/R15+ at:シネマート心斎橋 監督・製作・脚本・撮影・編集: ヤン・イクチュン 20年以上も前だろうか、覚束ない記憶だけれど、猪飼野に住む詩人・宗秋月さんの講演と朗読会「はじけ鳳仙花」を聞きに行った。大阪にある地図にない「猪飼野」と呼ばれている町の存在、そして朝鮮民族の精神風土ともいえる「恨(ハン)」という言葉を初めて知った。 己に向けられた「恨(ハン)」は、ジレンマ、葛藤といった言葉では埋め尽くせない、魂が引き裂かれる痛みが渦巻くものでもあるだろう。 韓国映画で描かれる痛さが半端じゃなく強烈なのも「恨」に根づいているからだろうか。 ショッキングな冒頭シーン。路上で一人の男が女を殴りつけている。悲鳴をあげる女。女を殴る男に一人の男が近づき、その男を殴りつける。女を助けるかと思うと、次に女の頬を何度も殴りつける。「殴られるだけでいいのか! このクソアマが!」と罵声を浴びせる。 この男がサンフン。 借金の取立て屋をするサンフンがみせる剥き出しの暴力。世間に背中を向け拗ねたような振る舞い。異母姉と甥にみせる無骨な愛情表現。赤裸々なまでの感情表現。 母に対する父の暴力にじっと耐えていた少年時代。逆上した父のナイフは、止めに入った妹の胸を刺し、その妹を負ぶって夢中で病院に走るも妹は出血多量で死に、後を追いかけた母もまた車にはねられて死んでしまった。 そこには、悲鳴をあげ引き裂かれるサンフンの魂の叫び、彼の渦巻く恨がヒリヒリとした焦がるような痛みで伝わってくる。 サンフンの吐き出した痰が一人の女子高生のネクタイにかかり、一歩もひかぬその女子高生を殴りつけたことから出会ったサンフンと女子高生ヨニ。 ヨニは、母が死に、ベトナム戦争帰りのアルコール依存症の父と、ヤクザな弟とのささくれ立った家庭にあって勝気に生きている。 ![]() 互いに悪態をつきながらも引寄せるものがあったのだろう。 ヨニの膝に頭を乗せ搾り出すように泣きつづけるサンフン。そのサンフンに覆いかぶさるようにヨニもまた悲しみを搾り出す。 血まみれになり息を引取ったサンフンにすがって泣き叫ぶ異母姉や友人マンシクの横で、立ち尽くして声を殺して泣くヨニ。 作中でサンフンとヨニそれぞれが初めて見せた涙のシーン。 本当の悲しみは、どうしようもないほどの悲しみとは、声に出して外に出るのではなく、内に向かって、喉を切り裂き、内臓を切り裂き、魂を引き裂くのだろう。 この痛みもまた「恨」なのだろう。 悲しく痛い魂がそっと触れ合うように、サンフンとヨニの心の琴線が静かに触れあったのだろう。 妻に暴力を振るい続け、出所後は息子の暴力にも寡黙に耐えつづけるサンフンの父。ベトナム戦争から帰還後、アルコール依存症になり、時に暴力を振るい、いまだに妻の死を受け入れられずにいるヨニの父。 彼らの暴力を生み出した傷口はどこにあるのだろうか。 「恨」を生み出した韓国の歴史が、人々の痛みまでが、その映像から黙ったままで滲み出てくる。 「恨」という彼らのDNAに刷り込まれた心が、安っぽいヒューマニズムやロマンチシズムなどを蹴散らし、安易なレベルで妥協しない。己を許さない。 暴力描写を透して暴力を振るうサンフンの心が悲鳴をあげて泣き喚いているのが伝わってくるのが悲しい。 ヨニが街中で偶然にも出会った暴力で金を取り立てる弟の姿。その姿がサンフンに変る。露天商をしていた母を襲った取立て屋たち。幻影ではなくヨニの無意識に焼きついた過去の記憶の残像だろう。なんとやるせないラストシーン。 本作で主演のサンフンを演じたヤン・イクチュンは、製作・監督・脚本・編集を兼ね、役者として活動していた彼のこれが監督デビュー作。「自分のなかのもどかしさを、ともかくも、ただ吐き出したかった」と本作について語っているが、映画製作にあたっては資金難に悩まされ、家を抵当に入れて作品を完成させたそうだ。 剥き出しの魂を、絵空事ではない現実を、ささくれ立った己の心を、半端じゃなくとことんの描写で描いた圧倒されるばかりの韓国映画と、そして韓国映画界の素晴らしい才能に、また一つ出会ってしまった。 本作に漲っている緊張感と痛みの表現はまさにBREATHLESS ▲
by mchouette
| 2010-04-14 13:06
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