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THE READER
2008年/アメリカ・ドイツ/124分/PG-12 at:TOHOシネマズ梅田 監督: スティーヴン・ダルドリー第二次大戦後のドイツを舞台として15歳の少年マイケルが経験した、21歳も年上の女性ハンナとの愛。そしてある日、マイケルの前からハンナが姿を消したことで、15歳の少年にとっては目くるめくような日々だった愛が唐突に終ってしまった。 不意に訪れた別れ。 理由もわからず残された者の思い。 裏切られたという思い。 単なる慰み者でしかなかったのだろうか。 ハンナは僕を愛してくれていたんだろか。 僕はハンナにとって何だったんだろうか。 僕にとってハンナという存在はなんだったんだろう。 マイケルの残された者の胸を突き刺すような痛みが映像から伝わってくる。 原作は2000年に日本で翻訳刊行された時に読み、それからもう一度本棚から取り出して読み、そして映画公開前にもう一度ハンナとミヒャエルの心に触れたくてもう一度読み返し、結局3度も読みかえした小説だった。 映画作中でマイケルが15歳だったとき、文学の授業で担当の先生が「行間を読む」という台詞があった。 原作にはない場面であり、ない台詞だった。 「行間を読んで原作を味わう」 本作「愛を読むひと」は、原作を骨格として、原作の見えない行間を繊細なまでに掬い取って映像としてスクリーンにやきつけている。 そして、感傷的な部分、僕の憶測、内面の葛藤といった部分は斬りおとされ、しかし、原作から斬りおとされたものが、映像の行間といおうか、情感としてて映像から伝わってくる。 原作は原作。 映画は映画。 原作では味わえない映像世界の味わいとはこういうものかと、「めぐりあう時間たち」の監督スティーヴン・ダルドリーと脚本デヴィッド・ヘアのコンビによって生み出された映像の世界に浸った。 原作を読んでいると、ハンナ、マイケル(原作ではミヒャエル)について、具体的な役者をあてはめずとも、それぞれに漠としたイメージが生れてくる。 ハンナ役のケイト・ウィンスレットはイギリス人だけれど、彼女は肉感的という意味ではなく、肉体に存在感がある女優だと思う。唇をしっかりと結び、思いつめたように一瞬の沈黙の後にきっぱりと言い切る姿に、どこかドイツ的な生真面目さや硬さが感じられる。 そして私がこの映画で一番気がかりだったのが、15歳の少年から大学生のマイケルを演じる少年のキャスティング。 この映画、ハンナ以上に若き日のマイケルのもつ雰囲気がこの映画を生かしも殺しもするだろうと思っていたけれど、マイケル役のドイツ人のデヴィッド・クロス君。予告編やスチール写真みて「彼だっ!」って思ったほど、私の中では全くぶれのないキャスティング。 撮影に入ったときは15歳。ケイトとのセックスシーンは彼が18歳になるまで待っていたとか。少年の性への目覚めの姿がとても瑞々しくストレートに描かれている。 大人になったマイケルが頑なに人を寄せつけず、一人娘までもうけた結婚生活までも破綻してしまうまでに、ハンナとの関係がその後のマイケルにとって重く大きな傷として引きずることになる、青春期の彼を襲う内面の葛藤と苦悩もまたデヴィッド・クロスのナイーブな演技が光っていた。 本作は中年になったマイケルが過去を追想するという形で、現在と過去が交錯して描かれており、イギリス人のレイフ・ファインズが演じる中年のマイケルと、少年から青年時代のマイケルが走馬灯のように重なっても違和感はなかった。 本作はドイツを舞台にし、ナチス・ドイツの戦争犯罪と深く関わった物語なのだが、ここで描かれているテーマは決してドイツ固有の問題ではないということも意図してだろう。言語はドイツ語ではなくて英語。そのためだろうか、戸田奈津子さん役の字幕でもミヒャエルがマイケルとなっている。ダルドリー監督はあくまでもドイツでの撮影に拘ったという。名前の呼び方もドイツ的であってほしいと思う。それが唯一つ不満に思うところ。 ハンナによって導かれた15歳のマイケルの瑞々しい性への目覚め。 そして法学部の大学生になったマイケルがゼミの研究テーマで取り組むことになる、ユダヤ人収容所の看守たちを裁く法廷で被告人席に座るハンナを見つけた時の衝撃そして苦悩。 法廷でハンナを見つめ続け、僕の知らなかったハンナの過去を知り、ハンナが必死に隠し通していた秘密を知り、ハンナを助けたいと思う一方で、ナチスの犯罪に加担したハンナの罪、ハンナその人を、あの時のドイツの罪を、ハンナを愛した僕をどう捉え、受け止めたらいいのだろうかという思い。 あの時の傷が癒えないまま、もう二度と傷つきたくないという思い。 愛に対して少年時代に受けたトラウマを引きずり、そしてナチの犯罪に加担したハンナと再会し、ハンナに対する彼自身も捕らえきれない複雑な葛藤が彼を苦しめる。 そんなマイケルの葛藤と苦悩を、意を決してハンナとの面会に向ったマイケルが降りしきる雪の中で立ちすくみ、面会室の建物に向う途中で踵を返してしまうというシーンが端的に物語っている。 僕が初めてハンナと僕が出会ったあの日も雪が降っていた。そのシーンと重なる。 ![]() 青春時代の柔らかい時代に負った喪失の痛み、愛に対する不信感、そして愛した女性がナチスドイツの犯罪に加担していたという事実。そのどれにも何ら答えを見出せないまま大人になった中年のマイケルにレイフ・ファインズ。 青春時代の傷が深い澱となり、人と打解けない冷たさと哀しさの内面を演じきれるといえばレイフだろうけれど、彼の演技は素晴らしかったけれど、どこか罪の意識すらも負った人生の重さも感じさせるような人物であっても良かったのではとつい欲張ってしまう。無期懲役の刑を受けたハンナが20年の刑期を経て釈放されることになり、身元引受人となったマイケルとハンナの、刑務所内での二人のぎこちなくそして残酷な再会シーンも見事な脚色だ。 再会したハンナが二人の間にあるテーブルに恐る恐る伸ばした手を、マイケルはぎこちなく握る。立ち上がり向き合ったハンナを、マイケルは抱きしめることなくその場から立ち去った。 ハンナの中では、何も言わず去ったときからマイケルと過ごした愛の時間は止まったままだっただろう。周囲に緊張しながら一人で唇をきゅっと結んで生きてきたハンナの人生の中で、マイケルと過ごした時間だけが、マイケルが朗読してくれた本の世界に浸り、笑顔でいられた愛しい時間だっただろう。マイケルから送られ続けた朗読のテープを聞き、目の前にいないマイケルと話したくって必死に読み書きを学んでいった。ハンナにとってはマイケルとの新しい愛の関係を意味することだったのかも知れない。ハンナの中のマイケルは、自分を愛で包んでくれた「坊や」と呼んでいたあの時のマイケルだった。マイケルの愛だけが刑務所にいたハンナの生きがいだっただろう。ハンナの文盲ゆえの無知と無学がナチの犯罪に彼女を加担させてしまったことが痛ましい。 文盲であるがゆえに、それを悟られないように誰よりも忠実に命じられた仕事を遂行したハンナ。 過去をどう考えている? 二人のこと? もっと前の過去のことだよ。 愛の葛藤だけならばマイケルもハンナを抱きしめられただろう。「あなたならどうしますか?」裁判長に聞きただすハンナ。 「死んだ人はどうやっても生き返ってはこないわ。」 マイケルに過去を問われ、一瞬の沈黙の後きっぱりと言い切ったハンナ。 しかしその過去は今も人の心に生き続け、マイケルとハンナ二人の間を遮っている。 抱きしめてほしいと思ったハンナの思いがマイケルのわだかまりの間をすり抜ける。 原作を読んでいても、そして映画をみていても哀しいほどに思う。 互いにまっすぐに相手を見つめ、求めているのに、マイケルの一瞬の躊躇いが、永遠に二人の時間軸がすれ違ってしまう。 それがマイケルたちの世代の、戦争の終った後に生れてきた者の悲劇かもしれない。 ハンナの死によって再び失ったことで、ハンナと、ハンナが背負ってきた時代の呪縛から解かれたのだろうか。 それともハンナを失ったことで、マイケルはどれだけハンナを愛していたかを知ったのだろうか。 マイケル自身にも分からないことかもしれない。 ただ、離婚した妻との間に生れた娘に、ハンナの墓標の前で、ハンナとの間に確かにあった愛の物語を、過去を語りはじめるラストシーンは、語ることで次代に受け継がれていく未来を感じさせる。 19日から公開で、公開初日に仕事帰りに鑑賞した。 原作で味わい、そして映画で味わい、二つは決してぶれることなく重なり、映画が原作の行間を描くことで、私の中でさらに原作の世界が深まり、ハンナとミヒャエルの内面がくっきりと浮かび上がり、結実しなかった彼等の愛の物語が永遠の物語のようにかけがえのないものに思えてくる。 ![]()
by mchouette
| 2009-06-24 00:00
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