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6月18日。仕事が終ってから友人と一緒に大阪四季劇場で上演されている劇団四季のロック・ミュージカル「ジ-ザス・クライスト=スーパースター/エルサレム・バージョン」を観にいってきました。 オリジナルは1971年にブロードウェイで初演された、イエス・キリストの最後の7日間を、台詞なしの音楽と歌のみで描いたロックミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター(Jesus Christ Superstar)」。この作品が「オペラ座の怪人」でも有名な作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバー氏の出世作でもあり、ブロードウェイ・デビュー作にもなった。 私がこのテーマを描いたものを観たといえば、映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」(1973)。それから、処刑されるまでの12時間を描いたメル・ギブソン監督の「パッション」(2004)も重なる。このブロードウェイ・ミュージカルを、劇団四季が楽曲はそのままで浅利慶太のオリジナル演出によって「ロックオペラ イエス・キリスト=スーパースター」として1973年に初演。この時にイエス役で主役デビューしたのが鹿賀丈史。ユダ役には今は役者として活躍されている滝田栄も演じてらしたんですねぇ。そして鹿賀丈史の後イエス役を演じたのが山口祐一郎! パンフレットをみると、鹿賀さんの時はマイクをもってたんだ。今は頭の真ん中にワイヤレスマイクをつけて雫のような形をしたマイクの端が髪の生え際おでこのあたりで止まっている。1976年にはさらに発展させてタイトルもイエス・キリストから英語表記ジーザス・クライストとなって「ジーザス・クライスト=スーパースター エルサレム版」、1987年には歌舞伎を活かした「ジーザス・クライスト=スーパースター ジャポネスク版」を製作。 YouTubeで「エルサレム・バージョン」そして「ジャポネスク・バージョン」のプロモーション映像も配信されている。「エルサレム・バージョン」では、今回の舞台でも胸が痛むほどだった、兵士たちに激しく引きずられるシーンもある。これはかなり肉体的にもハードな場面だろう。 ……………………………………………………………………………………………………………………… 私が大阪四季劇場で観たのは 土ぼこりと岩肌がむき出しになったパレスチナの荒野を舞台としたエルサレム・バージョン。 今回私が見た大阪公演のプロモーション映像ジーザス役は韓国釜山出身の金田俊英。 山口祐一郎君同様に端正で、優しい顔立ち。 舞台みていてもかなりの長身だと思っていたけれど184cm! 舞台ではその長身が孤高性をさらに際立たせている。 穏やかに民衆たちに話しかける彼の歌う声は穏やかな声だったのが、怒りと叫びではソプラノにも似た高い声域でしかも力強くって、その音域の広さに驚いてしまう。 ジーザス・クライスト役には長身と端正なマスクと音域の広さと豊な声量が求められるんだろうな。 ちなみに初代ジーザス役の鹿賀丈史は180cm、山口祐一郎はなんと186cm。 欲をいえば今回のジーザス役、スレンダーなんだけれど、上の鹿賀さんほどまでにはいかずとも、もう少し引き締まった体躯であってほしかったなぁと双眼鏡見ながら思った。 一緒にいった友人ともども、双眼鏡をしっかり手にしてのミーハー根性の観劇。 ブロードウェイ・ミュージカルは知らないので比較する術もないけれど、劇団四季のエルサレム・バージョンの舞台美術や舞台演出も素晴らしく、土と岩だけの荒野にあって光と影を巧みにつかって、リアルな荒野が、時には幻想的な舞台へとかわり、キリストが磔にされた十字架の、キリストの腕が磔にされた横棒の影が左右それぞれの端から長く伸び、その二本の影が一つに結ばれ、復活を案じさせるような…。 そして本作はジーザスよりもむしろ苦悩するユダが中心かしらと思えるほどユダその人がしっかり描かれている。現実とジーザスの教えとの間に苦悶し、そしてジーザスを時の権力者に売ってしまったユダ。苦悶し舞台を転げまわって自分を責めさいなむユダ。 ジーザス・クライストと人々から呼ばれたユダヤの大工の子であった男が、現実の闇を通して真っ直ぐに光を見ていたのに対し、ユダは現実主義者に近い人だったのかも知れない。 そんなユダという人物にとても興味がわいてくる。 エジプトの砂漠で、キリスト教の黎明期に教会から異端とされた幻の書『ユダの福音書』といわれる約1700年前のパピルス文書が発見され、米国ナショナル ジオグラフィック協会が修復・翻訳した結果、イエス・キリストの弟子「イスカリオテのユダ」は、実はキリスト教の真の教えを正しく理解した一番弟子として描かれており、「裏切り」自体もイエス・キリスト自身が主導したものであるという。「福音書」の復元作業は2006年に完了しているそうだ。イエス・キリストにまつわる物語はキリスト教信者でなくとも興味深い。十字架に磔にされたジーザスが天からの光を浴びて地上に立つのに対し、自害したユダは地面に呑み込まれるように、地の底に堕ちていくように舞台の真ん中から下へとゆっくり消えていく。 静のジーザスと動のユダ。光のジーザスと闇のユダ。舞台での動きもだが、二人の最期も対照的に表現されている。 ジーザスを神とあがめ、あらゆる救いを求めて彼にすがりつく民衆たち。 その民衆たちを救えないことに苦悩するジーザス。 そして捕らえられたジーザスを、神とあがめたその人を激しく罵る民衆たち。 烏合の衆のもつエネルギーを表現する民衆たちの動きもハード。 舞台の右に左にと兵士たちに激しく引きずられるシーンなどは胸が痛くなるほどの迫力をみせ、鞭打つ音は情け容赦なく、十字架に磔するためにジーザスの手と足に楔を打ち込む音もリアルに響く。鞭打たれた背中の傷も双眼鏡でみてもとてもリアル。 チケット引き換えに行くと、お世話してくださった方が窓口に託けてくださったのは今回上演のパンフレット。中を開くとジーザス役の金田俊英さん、ユダ役の金森勝さん、そしてマグダラのマリアの高木美果さんが、それぞれの写真のところに役名とサインを記してくださっていた!ジーザス役の金田さんはハングル文字でサイン。ユダ役の金森さんは「生かされている感謝…」という言葉も添えてくださっていた。 思いかげない心遣いに感謝、感謝で、感動的な舞台に加えさらに感動してしまった。 7時開演の舞台。見終わってニコニコのルンルン顔で友人とお茶を飲んでひとしきりお喋りが弾み、家に着いたら11時前だったかしら。 こんな日は本当に気分よく眠りにつける。
by mchouette
| 2009-06-21 00:00
| ■展覧会・コンサート
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