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最近公開作である「フロスト×ニクソン」、「天使と悪魔」では大いに満足させられ、そして「アポロ13」でもじっくりと描いたその映像に感動し、「さすが!」と思わせる手腕をみせてくれているロン・ハワード監督。 AMERICAN GRAFFITI 1973年/アメリカ/110分 監督: ジョージ・ルーカス 1962年。 ジョージ・ルーカス18歳。 子供の頃から車に熱中していたというジョージ・ルーカスは、クルージングはアメリカ独自の性的通過儀礼だと語る。 自分自身のクルージングの思い出を、若い頃に僕達がどんな風にして女の子を追い掛け回していたか、記録に残したかったと語っている。 夜のドライブでは、カーラジオから聞こえるDJが傍らに座っているようにさえ感じられたという。ジョージ・ルーカスの青春は車とロックンロールとともにあった。 ハイスクールを卒業し、大学進学の道を選んだカートとフレディが明日は故郷の町を離れ社会に巣だっていく。恋人や友人たちを過ごす彼らの青春時代最後の夜を、車とロックンロールで描いた「アメリカン・グラフィティ」。 シーンごとに音楽を思い浮かべながら脚本を書いたとルーカスは語っている。 今では当たり前のことだけれど、場面に合わせて音楽を選ぶという音楽スーパーバイザーという仕事などはなかった時に、ルーカスはオーケストラでなくレコードの音楽を使ってストーリーを語っていくという、当時では画期的なことをやっている。 50年代末から60年代にかけてのヒット曲が41曲も使われている本作。曲の使用料で予算の大半を使ってしまったという。 いつもご贔屓にさせていただいているブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋【別館】の映画評「アメリカン・グラフィティ」で「映画音楽らしい映画音楽が衰退する要因となったマイナス面としても記憶しなければならない。」と指摘も一方ではある。 確かに、これ以降、映画音楽とともに、その映画の中の忘れがたいシーンのいくつかが甦るということが少なくなったなぁと思う。 それでも本作は、車と音楽と映像が見事に融けあって、ハンサムボーイもいなくって、かっこよくもドラマテッィクでもなく、夢中になって過ごしたルーカスたちの青春が等身大で描かれている。 青春そのものであり、夢中になった車とクルージングを描いた映画であり、いつも聞いていたロックンロールを描いた映画でもある。 音楽だけでなく、ルーカスは他にも画期的なことをしている。 エンディングで4人の若者のその後がテロップで流されている。これも今ではよく見られることだが、当時では考えられないことだった。脚本家のカッツとハイクは猛反対したそうだが、ルーカスは「彼らの一生を見せたい。」といって頑として譲らなかったそうだ。そして映画を観た人からは感動的なエンディングだったという感想が多く寄せられたそうだ。 完成した作品は、ユニバーサルお偉方には理解できるはずもなく、映画を観たは彼らは渋い顔をして試写室から出てきたそうだ。 タイトルの変更も言われたけれど、「アメリカン・グラフィティ」しかないと突っぱね、削られた5分間のシーンも「スター・ウォーズ」で成功を収めた後でビデオ発売が決まった時には、カットされた5分間を戻させたそうだ。 低予算でスターも出演しておらず、ヒットなど望むべくもなかった本作。 ユニバーサルから誰か有名人をクレジットにといわれ、『ゴッドファーザー』を完成させたコッポラ監督に製作を頼みにいったそうだ。 出演した役者たちも当時はほとんど無名の新人。 ハリソン・フォードなどは食えない俳優業に見切りをつけて、子供2人を養う為に大工として働いていたのを、キャスティング・ディレクターが説得して引き戻された。本作の共演がきっかけでロン・ハワードの「アポロ13」でトム・ハンクスの妻を演じたキャスリーン・クインランも陸上をしていて、まさか映画に出るなんてと語っていた。ダンス・パーティでは彼女の陸上仲間たちも参加したのだそうだ。 ロン・ハワードなんて「子役から彼を観ているけれど、テレビ向きで映画向きではないと思った。18歳にして役者としては既に下り坂にあると思ったよ」とキャスティング・ディレクターも今だからこそ言えるんだろう。 十代だったそんな彼らにとっても映画界での活躍のきっかけはこの作品。 彼らにとっても本作は青春の思い出ともいえる作品なんだろう。 描きたい確たるビジョンとテーマを持ち、ルーカスが断固として妥協しなかったことが、ことごとくヒットの要因となっているといえる。ジョージ・ルーカスの映画作家としての卓抜した感覚と才能と頑固さを本作で再確認してしまう。 「一つの時代の終わりを描きたかった。」 ルーカスは本作についてこう語っている。 ハイスクールを卒業した若者たちが、故郷や家族から別れ実社会に巣立っていこうとする旅立ち。旅立つべきか、留まるべきか、人生の岐路を前に揺れ動く彼らが等身大で描かれている。 そして1962年はビートルズがデビューした年。リヴァプール・サウンドと呼ばれたイギリスのロックによって、無垢で懐かしい音楽が純化され、その方向性を変えてしまったというロックン・ロールの変遷。 そして1962年は、アメリカ軍が「南ベトナム軍事援助司令部(MACV)」を設置した年でもある。無垢なアメリカの時代がロックンロールとともに終焉を迎えようとしていた時でもある。 「人はだれでも変わらなければならない節目という時がある。 未知の世界に飛び出すには勇気を伴うものだ。 とどまるべきか、旅立つべきか 人生にはこの決断を迫られる節目がある」 そう語るジョージ・ルーカス。 1962年は高校を卒業するジョージ・ルーカスにとっても、アメリカにとっても、アメリカの音楽シーンにおいても節目の時だったともいえる。 「人は変わっていく」 ルーカスが映画を通して追求しているテーマ。 処女作「THX-1138」では、全てが管理された近未来社会で愛を知り人間として自我に目覚めたTHXが自由を求めて疾走する。 「スターウォーズ」ではルーク・スカイウォーカーはジェダイの騎士として新たなる旅立ちを決意する。 本作「アメリカン・グラフィティ」でも、人生の節目を前に揺れ動く4人の若者たちを描いている。 この作品をみていると、アメリカの若者にとって青春時代とは、親の養育の下で好き勝手に過ごせたハイスクール時代までを指すんだろうか。 親や社会の保護下にある時に、思い切り自分たちの世界に熱中し、羽目もはずし遊び、自分自身を知り、社会の掟も知り、自分の歩く道を見つけていくんだろう。 地元を離れ可能性に向けて大学に進学するもの。地元にとどまって働くもの。親も子供もハイスクール卒業と同時に親離れ、子離れするのがアメリカ社会の当たり前の感覚なのだろう。そこから先は転落するも成功するも本人次第という厳しさの自覚が本人も家族もそして社会全体にあるのだろう。 アメリカの若者たちは、家庭とは子供が社会に巣立つまでの仮の住まい。子供は社会から託された預かり者で、彼らを社会に還すまで養育するのが親の務め。そういう了解があるのだろう。 フランスの地方の小さな小学校を撮ったニコラ・フィリベールのドキュメンタリー「ぼくの好きな先生」で、フランスでは、小学校を卒業するまでにすべての子供が、自分が頭で考えていることを相手に正確に分かりやすく説明することができる基礎的コミュニケーション能力を身につけるという国語教育がフランスの小学校での最重要の教育目標になっているという。 「青春群像」「旅立ち」という言葉がアメリカと日本ではレベルもラベルも違うことを痛感する。(私だけに限ったことかもしれないけど) ジョージ・ルーカスも、ハイスクールを卒業したら、絶対にこの町から飛び出して映画で一人立ちしようと考えていたそうだ。 子供の頃からカーレーサーになるのが夢だったルーカスは、卒業直前、レースカーを運転していて、奇跡的に死を免れた青年と新聞報道されるほどの大事故を起し、レーサーの夢を断念したのだろう。 この大事故のエピソードも物語りの最後、飛ばし屋としての意地と誇りかけてポール・ル・マットとハリソン・フォードがスピードを競い合い、ハリソン・フォードの車が横転、炎上するという形で登場する。 本作で流れる音楽は、どれもこれも子供の頃から聞いてきた曲ばかり。 ジョージ・ルーカスたちが車とロックンロールの中で育ったように、私の子供時代はアメリカ文化一色の中にあったといってもいいだろう。 アメリカのテレビ・ドラマを観、ディズニー映画の色彩の魔法にワクワクし、テレビで放映される映画は西部劇だの戦勝国アメリカの戦争映画だの、母屋だった我が家には結婚前の叔母がいて、その横でプレスリーの映画を見ていた記憶もある。 ラジオを聴きながらという「ながら族」という言葉も生まれ、中学生になると自分専用のラジオを買ってもらい、勉強しながらラジオからはDJの軽妙な語りとフォークだのロックだの、ポップスだのがいつも流れていた。ここに流れる曲もラジオで聞いていた。深夜になるとチャンネルを微妙にあわせて中国やソ連の放送をキャッチしては面白がって聞いていた。 本作に登場するDJジャックマン・ウルフは、ジョージ・ルーカスも彼の番組を聴いていたという実在の実在のDJで、メキシコあたりから放送されていたそうだが、電波がよくってカリフォルニアまではっきりと聞こえたそうだ。 こんなことに夢中になるのも青春なんだろう。 そんな全編に流れるロックンロールにのって綴られる彼らの青春グラフィティは、私が子どもの頃に憧れの目で観ていた「古き良き時代」といわれたアメリカの匂いに溢れているし、ノスタルジーを感じさせる空気が流れている。 私にとっても本作は子どもの頃から慣れ親しんだ音楽が溢れていて、世代は違えども私の高校、大学時代を彷彿とさせる映像だ。 でも、ハイスクールといえば日本の高校にあたる彼らアメリカの若者たちの早熟ぶりと同時に、彼らがもっている旅立ちの意識などは高校時代の私には欠片もなかった。 本作の彼らを観ていると、親の干渉がある程度外れた大学時代の私みたい。 私だけでなく日本の高校生の多くは、家族からの自立という意識は彼らほどの意識レベルでは持っていなかったのではないだろうか。 カートやスティーブが悩むほど、「旅立ち」「自立」という意識は大学にいってもなかった。親から仕送りしてもらい、義務とか責務なしの自由だけを満喫、謳歌していた私の学生時代。 今となっては懐かしいオールディーズの曲とともに、苦さと甘酸っぱさと後悔も交じり合った私の青春とも重ね合わせ、やっぱり「アメリカン・グラフィティ」は飛びっきりの青春グラフィティだ。
by mchouette
| 2009-05-29 00:00
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