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ケイブルホーグ・コレクションでヴェルナー・ヘルツォーク作品を2本鑑賞。
「アギーレ/神の怒り」そして「フィッツカラルド」 ヘルツォークの映像で何を語れるだろうか。 「映画をつくることは絶壁を登るようなものだ。岩を登っていこうとすると、岩は登ってくる人を振り落とそうとする。映画は映画をつくろうとする人を同じように振り落そうとする。」ヴェルナー・ヘルツォーク(Werner Herzog/1942年~ )このように語るヘルツォークの言葉通り、振り落とされても岩を這い登っていこうとする、そんな美しくもリアルな映像に圧倒されるばかり。 あまりの苛酷な撮影に主役のクラウス・キンスキーが降板したいと言った時、ヘルツォークは彼にピストルを突きつけて「君を殺して僕も死ぬ」と詰め寄ったとか。 今回鑑賞した2本もそうだけれど、70年代から80年代にかけてのヘルツォーク作品をみると、監督ヘルツォークと役者キンスキーとの怨念のごとき関係が、作品にさらに凄みを与えているんだろうと思わせるほど。 キンスキーもまた「アギーレ/神の祈り」で狂信的なまでの英雄像を体現してみせ、以降は性格俳優としての存在感をみせていくわけだから、この二人の関係というのも映画以上の凄まじき関係でもあっただろうと思う。 ヘルツォークはドキュメンタリー「キンスキー、我が最愛の敵 My Best Fiend 」(1999) まで作っている。これは未見だけれど、撮影中の様々なエピソードがあくまでもヘルツォーク側からだけれど語られているようで興味あり。 ヴェルナー・ヘルツォークがクラウス・キンスキー(Klaus Kinski/1926年~1991年)を起用した作品は…… 『アギーレ 神の怒り』(72年) 『ノスフェラトゥ』(78年) 『ヴォイシェック』(79年) 『フィツカラルド』(82年) 『コブラ・ヴェルデ』(88年) ちなみにキンスキーという名からも分かるように、ナスターシャ・キンスキーはクラウス・キンスキーの娘。 「アギーレ/神の怒り」 AGUIRRE, DER ZORN GOTTES 1972年/西ドイツ/93分 監督・製作・脚本: ヴェルナー・ヘルツォーク 大航海時代末期。征服者ピサロは南米アマゾンでインディオに伝わる幻の黄金郷’エル・ドラド’の探索に執念を燃やしていた。斥候と食糧調達を目的とする別働隊の副将となった野心家のアギーレ(キンスキー)は、相次ぐ部下の脱落や奴隷インディオ達の反乱を諸共せず密林の奥地へと突き進む。まるで何かに捕り憑かれたかのように。(CinemaScape-映画批評空間-より引用)エルドラドをめざし、断崖絶壁の岩山の細い道を行軍する様を、さらにジャングルの道なき道を行軍する様をロングで捉えつづけた映像に冒頭から圧倒される。 そして筏をくんでアマゾンを調査する別働隊。一つの筏が激流の渦に巻き込まれていく映像。 未開の地で、何事かをなさんとアギーレの目がぎらぎらと憑かれたように異様なまでに耀いていく。 「俺は神の怒りだ!アギーレの手にかかり、あるいはアマゾンの密林に潜む原住民という見えざる敵にかかり、隊員たちは次々と倒れ、やがて大砲も錆付き、餌を求めて密林から猿たちが群れをなして筏に乗り移り、鼠は繁殖を続け、アマゾンに木の葉のように浮かぶ筏の上でアギーレは、まだ見ぬ帝国の夢を天に向かって語り続ける……。 人間を拒絶するばかりの大自然を舞台に、征服と支配と権力の野望に憑かれた男の狂信的なおぞましき姿を、ヘルツォークはクラウス・キンスキーという一人の役者を通して生々しいまでに描き出している。 「フィッツカラルド」 FITZCARRALDO 1982年/西ドイツ/157分 監督・脚本: ヴェルナー・ヘルツォーク 「何かに憑かれた男」 ヘルツォークのテーマだろう。 「フィッツカラルド」もまたオペラ歌手エンリコ・カルーソの声に魅せられ、南米ペルーのアマゾンの奥地にオペラ・ハウスを建てることに憑かれた男の物語。 憑かれた男の物語といえ、本作は「アギーレ」とは180度違い、なんとも無邪気で、男のロマンに満ちた作品に仕上がっている。 撮影はエクアドルとペルーのジャングルで行ったそうだ。 映画が仕上がった時のヘルツォークの心境は、アマゾンを下る蒸気船の船上で上演されるオペラを、夢にまでみたカルーソの歌声を、赤いビロード張りの椅子を傍らに一人船上に立つフィッツカラルドの如くだろう。 19世紀の南米ペルー。オペラ・ハウス建設を夢見るフィッツカラルドは、資金を作り出すためジャングルの奥地でゴム園経営をし、その利益を建設資金にしようと考える。 買い取った土地に行くまでが難事業で、中古の蒸気船を買い取り、修理をし、激流を避けるためにアマゾンのもう一つの支流をくだり、そこから蒸気船を山越えさせて、目的の支流に行こうとする、なんとも荒唐無稽とも無謀ともいえるフィッツカラルドの計画。 さらにアマゾンの奥地住む原住民は人間を襲うと乗組員たちも恐れる。 山を切り倒し、ダイナマイトで爆破し、蒸気船を引き上げる巨大クレーンを設置する拠点をつくり、そして原住民たちを使っての引上げ作業、蒸気船の山越え。これを合成もなしに実際に撮影したというから、描き出される映像はまさにリアル以外の何ものでもない。恐らくはエキストラだろう原住民たちと、キンスキー始め役者たちも入り混じっての山越えに至るまでの場面は全て本当にやってのけたのだろう。 激流を避けるための山越えだったはずが、野蛮と思われていた原住民たちがフィッツカラルドたちに従順なまでに協力した目的は、スピーカーからカルーソの歌声を流してアマゾンを下るフィッツカラルドの蒸気船を神の船と思い込んだ彼らは、その船を使って激流の呪いを鎮めようと考えたからで、山越えのあと、フィッツカラルドたちが泥のように眠り込んている間に、原住民たちは綱を切り船出させてしまった。蒸気船の山越えという前代未聞の努力も水の泡と消え、激流に翻弄されながらも出航した港にたどり着いたフィッツカラルドは、オペラハウス建設の夢も泡沫の如く消え去り、蒸気船を売らざるを得ない羽目に……。 拝金主義、俗物根性を嫌うフィッツカラルドは、どこまでも夢を追い求め、その夢を現実に引き寄せようとする男。 蒸気船がアマゾンをゆっくりと航行する。 蒸気船を売った金で彼はカルーソーをはじめオペラの一行を招いての船上オペラをやってのける。 桟橋に詰め掛ける群集たち。 アマゾンの悠久の流れに朗々と響き渡るカルーソの歌声。 それを船上で一人満喫するフィッツカラルド。 岩を這い登り、振り落とされても這い登り、夢の実現に立ち向かった男が手にした夢が目の前に広がっている。 だから映画つくりもやめられないのだろう。 映画に憑かれた男ヘルツォークのなんともロマンに満ちた作品だろう。 カンヌ国際映画祭監督賞
by mchouette
| 2009-05-11 00:00
| ■映画
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