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UN AMOUR DE SWANN
1983年/フランス・西ドイツ/110分 監督: フォルカー・シュレンドルフ 原作はマルセル・プルースト「失われた時を求めて」の一編。 ジェレミー・アイアンズの出演作で未見作品はないかと探していたときに、本作「スワンの恋」を見つけたのが十年前くらい前だったか。TSUTAYAでもリクエストしてレンタルした作品だからきっとマイナーな作品なんでしょう。 物語の舞台は19世紀パリ社交界。そこに出入りする裕福なユダヤ人青年。 そんなスワンが一人の女性オデットを知り、彼女の胸につけられたカトレアの花を直すにいたり、肉体の欲望が心に伝染したのか、すっかりオデットの魅力に熱くなり、彼女に言寄る男性に嫉妬し、彼女の良からぬ噂に心は千路に乱れ、彼女に翻弄されればされるほど、ますますオデットにのめりこみ、彼女との甘美な一夜を恋焦がれて、結ばれた途端にスワンは己の過ちに気づく。 ![]() 「最大の愛情を好みでもない女に注ぎ、人生を無駄に過ごしてしまったことか!」スワンは友人のシャルリュス男爵に後悔の思いをぶつける。 スワンにジェレミー・アイアンズ サロン通いも上流階級の紳士淑女のご大層なお勤め。 しかしそこにあるのは他人を揶揄し、嘲り、低俗な会話に嬌声が渦巻く世界。 他人の誹謗中傷に花が咲く女たちの井戸端会議はここ社交界でも同じこと。 そんな会話を後にサロンを出ようとしたスワンは、流れてきた演奏曲に、オデットと出会ったころの過ぎ去りし時間が突如脳裡に蘇える。今となってはうしなわれてしまった自分の人生の一こまがスワンに悔恨の胸の痛みさえ伴なった眩暈さえ覚えさせる。 物語は、現在からふいと過去の時間が蘇えるという形で語られていく。初めて見た時は現在と過去の時間が掴み難いところはあったけれど、時間軸の混乱はさほどの障害にもなっていない。この作品は何度か見ていて、1983年度セザール賞美術賞・衣装デザイン賞を受賞しているだけあって衣装や美術などにはかなりの拘りをみせているけれど、物語りそのものは地味ともいえる本作だけど、なぜか捨て置けない所があって、今回もシネフィルで放映されていたのを、やっぱり録画してしまった。 先日「はさみを持って突っ走る」の記事にメッセージを下さったvivajijiさんが、その中でこの「スワンの恋」に触れられていて、「ところで全く色違いですけれどシュエットさん『スワンの恋』ご覧になった~? 観ているとき、ほんとイライラジリジリしたけれど時間が経つにつれて、なんとなく気になる映画なのよ。」と書かれていた。vivajjiさんも言われるように、官能的なドラマでもなく、スワン氏の行動の一部始終を、例えば、朝起きてからスワン氏がさんさ毎朝神経を行き届かせた身づくろいをして出かけるまでの様子など、小説を読むがごときタッチで、詳細にかつ淡々と描かれている。 けれどなぜか気になる映画。 オデットとスワンの燃え上がるような恋の炎を描いているわけでなし、オデットに熱をあげていた頃の自分を思い出し、その一こま一こまが淡々と描かれているのだけれど、観始めるとこれがなかなかに面白い。 馬車が走り、蝋燭が灯され、贅を尽くした家具や調度といった室内装飾に、ベル・エポックと言われた時代の匂いが濃厚に描かれており、私にはこれも大きな魅力の一つ。 そして、物語はスワンの若気の恋の過ちが、過ちにならず今やオデットはスワン夫人に納まり、当のスワンは無意味な愛に人生のエネルギーを消耗し、中年になった今は覇気さえ失っているという顛末で、こんなスワンの恋の顛末などよりも、むしろ当時の社交界に集まる上流階級の生態がじつに詳らかに描かれているのも面白く、彼らを描くシニカルな視線が実に面白い。 気になる魅力はそうしたシニカルな視線かも知れない。 ![]() しかしAllcinemaの作品紹介では本作はかくも酷評されている。 プルーストの『失われた時を求めて』は“意識の流れ”をそのままに小説化する試みとして、ジョイスの『ユリシーズ』に並ぶ壮大な文学的実験で、かなりの大著だが、『スワンの恋』はその一巻。ヴィスコンティなど、多くが映像化を企画しながら、本作まで実現されなかった。非常に複雑な構成の原作を生半可ではシナリオ化できないのである。本作の脚本は演劇界の重鎮P・ブルック他が担当しているが、よりによってシュレンドルフが監督では、ダイジェストを最も恐れるはずの原作のエッセンスを器用に纏めてしまい、文学的閃きは無残に“物語”の下敷きになった感じだ。にしても、才能のないヤツに限って、大古典に簡単に手をつけ、それを愚弄するのはいかなるワケか。扱下ろされた本作の監督は「ブリキの太鼓」でも知られているフォルカー・シュレンドルフ。 これはこれで面白かったのですけどねぇ… 案外とこの作品って玄人好みかも知れない。 ヴィスコンティあたりが撮ると「イノセント」みたいな映像になるんだろうと思う。それはそれで、さらに格調高きものになるかもしれないが、きっと息苦しい映像になるだろうなとも思う。 社交界の人々のスノビズムを徹底的に描いた作品といわれるマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」のスワン氏の物語の映画化。 社交界の人々の生態を覗き見趣味的に楽しませてくれて、そういう意味でもこの映画自体がスノッブそのものともいえる。しかし、これを愚弄ときめつけるのは短絡的過ぎないか?と思うし、愚弄と決めつけるはいかなるワケか?と逆に聞きたいわ。愚弄と思わせるしたたかさをもって演出していると思うわけ。 さらに面白いのは、これはこの映画が面白いというよりもプルーストの原作が面白いわけだけれど…… 19世紀パリ社交界を舞台にした本作の主要人物に ユダヤ人のスワン 男色家のシャルリュス男爵 高級娼婦のオデット を登場させていることもあるだろう。 そして貴族の称号を持っているけれど芸術の匂いも教養も品位の欠片すらも感じられない着飾った上流階級の人間たち。 ![]() 芸術に造詣が深いスワンは身だしなみ、会話、物腰においてまさに紳士といえファニー・アルダン演じる公爵夫人のご贔屓。 しかしそんなスワンに対しても口さがない貴族の夫人たちは「枢機卿まで出した名家にユダヤ人を招くとは……」と差別をむき出しにする。 高級娼婦のオデットは俗物貴族たちの良き遊び相手といったところだろう。 貴族の男たちはオデットに現を抜かし、年配の女たちは「あんな女」と揶揄する。 スワンを高く評価する公爵夫人でさえ「当家のサロンにスワンは招いても、妻と娘の招待は絶対にゴメンだわ」と娼婦であったオデットへの嫌悪を顕わに示す。 そしてアラン・ドロン演じるシャルリュス男爵に至っては男色家という設定。 「美術や音楽や文学などは慰みでしかない。人間の幸福とは人という潅木に水をそそぐことにある。そこに私は苦労を厭わない。」と自らの美学に生きる人間。「君はそんな苦労に値しない男だ!」と目をつけた青年の俗物さを一蹴する場面がある。己の確たる美意識に生きる男爵の眼からみると社交界の人間たちの愚劣きわまる低俗さは耐え難く、とりわけ婦人たちの過剰すぎる装飾に「帽子の上に果物と鳥を乗せて!」「今度は野菜?」とばかり彼女たちのデコレーションを皮肉る場面も面白い。 堂々と男色を主張する男爵も当時の世間から大いに外れた差別される存在だったろう。 海の向うのイギリスでは、1895年に人気作家オスカー・ワイルドがアルフレッド・ダグラス卿(愛称ボジー)との同性愛がきっかけに、男性同士間における性行為の罪で逮捕されている。 1871年生れのマルセル・プルーストも海の向うのこととはいえ、オスカー・ワイルド逮捕の事件は知っていただろうし、フランスでも同性愛者に対する罪は重かっただろう。 1913年~1927年に刊行されたプルーストの「失われた時を求めて」 そんな時代に、シャルリュス男爵の口をかりて堂々と社交界を扱下ろしている。 そしてヨーロッパでは守銭奴として見下されているユダヤ人であるスワンを、芸術を深く理解する一級の紳士として描いている。 スワン、オデットそしてシャルリュス男爵といった当時の社交界の正道から外れているともいえる彼らを通して、社交界という華やかな表舞台と、その裏にある彼等の特権階級意識や差別意識があからさまに描かれている。淡々と描かれた映像からチクリ・チクリと時代に対するこうした痛烈な皮肉が見えてくる。 ![]() 数年の歳月が流れ、中年のスワンは覇気の一欠けらもなくなっている。 時代は流れ、着飾った上流階級の紳士淑女を乗せて馬車が行き交ったパリの街は、馬車にまじって車が排気ガスを撒き散らしながら走る時代に。 高級娼婦だったオデットはいまやスワン夫人に。 生気を欠いたスワンに比べオデットはきらびやかに着飾り馬車から降り立ち、意気揚々と街を歩く。 まさにスワンにとっては「失われた時を求めて」
by mchouette
| 2009-03-18 00:00
| ■映画
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