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シネフィル・イマジカで淀川長治氏解説付で放映されていたサマセット・モーム原作「雨」の映画化。
淀川先生ご推奨のジョーン・クロフォード主演の本作は「雨」で検索してもひっかからず、どうやらDVDタイトルでは「雨の欲情」となっているようだ。またしてもこの映画で描かれているテーマとか、「雨」が意味するものなどお構いなしの、なんと歪曲したタイトルをつけたことだろう。 本作でジョーン・クロフォードが演じたサディという役は、舞台や映画で多くの女優が演じている、悪女であるのだけれど非常に魅力ある役で、役者とすれば演じがいのある役でもあるのだろう。それほどの大役なのだそうだ。 映画「グランド・ホテル」でグレタ・ガルボと大喧嘩したジョーン・クロフォードが、泣きながらプロデューサーに「立派な役をやりたい」と懇願して手にしたサディ役。 1928年にはグロリア・スワンソンで、1953年には「雨に濡れた欲情」というタイトルでリタ・ヘイワースが演じているそうだが、ジョーン・クロフォードのサディが最も優れているとの評価も高く、ジョーン・クロフォードにとってもサディを演じた「雨」は彼女の代表作ともなり、またクロフォードを描く漫画家はみんなサディのジョン・クロフォードを描いたくらいだそうだ。 ジョーン・クロフォードという女優は、「グランド・ホテル」でもそれほどの印象はなく、私の中ではベティ・デイヴィスと共演した「何がジェーンに起ったか?」で妹に虐待される元女優の彼女が印象にあるくらい。 「雨」は初めての鑑賞 「宗教と人間」というテーマを、宣教師と娼婦という2人を対峙させることで、文明社会における宗教の傲慢さを辛辣なまでに描いた作品でもあるだろう。 そしてサディという女性の、宣教師夫妻の価値観からみると堕落しきった人間なのだが、なぜか自分の感情を素直に出す彼女が、作中では一番真っ当な人間にも思ええるほど人間らしさが感じられ、大いに興味惹かれる存在。そんなサディをジョーン・クロフォードは実に魅力的に演じている。 「セントルイス・ブルース」の曲がサディの蓄音機から流れだし、その曲にのってマニキュアをどぎつく塗った爪をした手が入り口をしっかとつかむ。その腕には幾重にもブレスレットがはめられ、さらに同じようにもう片方の手が、腕が戸口に伸びる。そしてヒールの靴に網タイツ、その足にはアンクレット。そして最後にアイメイクもばっちりとほどこしたサディの顔が映し出される…。 サディの登場はいつもドラマティックだ。 RAIN 1932年/アメリカ/78分 監督: ルイス・マイルストン 時代はヨーロッパ列強各国が植民地政策にしのぎを削っていた時代。 植民地におけるキリスト教の布教活動は、植民地支配の尖兵としての役割も担っていただろう。原住民たちにキリスト教的価値観を強制的に押しつけるものであり、政治的支配とともに精神的支配を目的としたものともいえる。もちろん未開の地を開拓しながら苛酷な布教活動を強いられる宣教師たちのキリスト世界を広げようという敬虔な、そして強い信仰心によって支えられているわけだけれど。 植民地支配の実態と、純粋に布教活動を行おうとする宣教師たちの葛藤を描いた、ジェレミー・アイアンズ、ロバート・デ・ニーロ主演の「ミッション」などでも描かれているテーマだ。船員の一人にコレラ患者が出たために、乗客たちは南海の孤島パゴパゴ島の宿に足止めされることになった。乗客には宣教師夫妻、博士夫妻、そしてサディ。 宿の主人はシカゴからこの島に移り住んだ白人。彼の愛読書はニーチェの 『ツァラトゥストラはかく語りき』 とは憎い設定。 サディをいかがわしい女と感じ取った宣教師の妻の、サディを見下し蔑視する差別的言動は、自分たちが信ずる世界が絶対無二で、そこから外れるものは人間ではないといった傲慢さもあからさまに描かれていて、実に小気味よい。 サディを娼婦と見抜いた宣教師は、彼女を堕落の道から改心させ、神の前に膝まづかせようと躍起になる。 ここからサディと宣教師の対立のドラマが展開されるのだが、娼婦サディ演じるジョーン・クロフォードと、宣教師を演じるウォルター・ヒューストンの2人の役者がみせる演技のぶつかり合いも、見応えがある迫真もの。 本国へ強制送還を頑なに拒むサディと、サディの懇願を打ち消すように神がかり的に祈り続ける宣教師のシーンは、2人の対立が頂点ともいえるシーンで、鳥肌がたつほどの凄まじさをみせる。 宿の主人にいわせると島では宣教師は、本国アメリカ政府よりも軍隊よりも強い力をもっているんだそうだ。教団の政治力を盾に、総督を動かし、一人の女性を断罪せんとする宣教師は、まさに独裁者であった。 いつしかサディも彼とともに祈りの言葉を唱えはじめ、宣教師の祈りの力に打ち負かされたサディは洗脳された人間のようにみえる。 ジョーン・クロフォードの豹変ぶりも見事。 派手な化粧でブイブイ言わせていたサディが、野の花のごとく慎ましやかな女性になって現れる。 サディにほれ込んでいる軍曹が部下を連れてやってきて、強制送還されるまえにサディを助けようとするも、そんな申し出を頑なに拒む。いまやすっかり宣教師の繰り人形のような従順さをみせるサディ。 嵐の夜。 原住民の太鼓の音と、雨脚の音が、宣教師の男の本能をかきたて疼かせる。 弱さも欲望も傲慢も、人間の本質は、高みにいる人間も地べたを這いずる人間も、職業の貴賎もなく、変わらない。 そして、自己破綻した宣教師は首を掻っ切って自殺する。 宣教師の男の部分を掴み取り、彼を自殺にまで追い込んだサディは根っからの悪女ともいえるのだけれど、からりと晴れた雨上がりの空の下、軍曹と腕を組んでにこやかに宿を出るサディに、見事にしてやったりに思わず口笛を吹きたくなる。 「夫も、あなたも憐れなことだわ。」そんなサディに毒づく宣教師の妻に向かって、サディは一言で斬り捨てる。「世界中の誰もが憐れなのよ。」 そして、この作品に描かれている原住民たちのゆったりとした営み。 あるがままを受入れ、思い煩うことなく、憎しみも怒りもなく日々の営みに満足する彼らの営み。 宿の主人はこの島は楽園だという。宣教師に言わせると、そういう生き方は『堕落』だという。それを聞いた博士は「人類は楽園を失って進歩していく」と文明社会を揶揄する。 宗教と人間、そして文明社会。 辛辣に描いた作品だ。 ルイス・マイルストンの確かな演出が、役者の力を引き出し見応えのある作品! 冒頭シーンでパゴパゴ島の宿に降る雨の情景……大地にポツリ、ポツリと雨粒が、そして椰子の葉を打つ雨脚を、真っ黒な雨雲を映し、そして驟雨のような雨、見る間に激しい豪雨となっていく……そんなカメラワークの演出を淀川さんは賞賛されていた。
by mchouette
| 2009-03-04 00:00
| ■映画
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