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ROSEMARY'S BABY
1986年/アメリカ/137分 監督: ロマン・ポランスキー 先日、ロマン・ポランスキーの「チャイナタウン」 (1974)を紹介したら、やはり、私がロマン・ポランスキーという監督の名前を知り、その名前が頭に刻み込まれ、そしてテーマ曲とともに大好きな作品の一つとなった「ローズマリーの赤ちゃん」を書かなければ!と思う。 ローズマリーが悪魔の赤ちゃんを産むという設定からして、ジャンルとしてはホラー映画になるんだろうか。 観たのは学生時代。 中間・期末テストの最終日はテスト科目が少なくって早い時間に下校できるので、この日はいつも友人たちと映画デーがテスト最終日のお決まりコースだった。 当時は1本の映画が劇場で公開される期間も長く、東京で封切りされて首を長くして大阪に来るのを待っていた。映画情報などもそれほど巷に溢れておらず、書店で「スクリーン」か「映画の友」を立ち読みするくらい。この映画!って決めてからは、皆して休み時間もテスト勉強などそっちのけで「恐い?」「悪魔の顔が一瞬映るってほんとう?」「どんなん? どんなん?」と随分とお喋りに花が咲いたものだった。 中学時代に読んでいた「スクリーン」まだ持っているよっていう友人から当時の「スクリーン」を1年分借りたことがある。錚々たる方々が執筆されていて、映画評もレベルが高い。映画紹介というよりも、映画鑑賞眼を養って、映画を楽しもうということに主眼を置いて執筆されていたようだ。今読んでもとてもためになる映画読本だ。 ニューヨークの街並みを低空撮影した映像がゆっくりと映し出され、そしてセントラルパーク、古い石造りの建物、そして舞台となるダコタ・ハウスが映され、カメラはゆっくりと地上へ……。 ジョン・レノンが住んでいたダコタ・ハウス。この前でジョンが銃弾に倒れたダコタ・ハウス。そしてそんな映像とかぶって流れる、どこか悲哀を帯びた子守唄のような優しさと乾いたタッチのテーマ曲。 音楽を担当したクリストファー・コメダはポランスキーの初期の作品「水の中のナイフ」「袋小路」「吸血鬼」それからトリュフォーの「二十歳の恋」の音楽も手がけられている方。ポランスキーの映像センスと相性がいいのだろう。 このオープニングから、すでにこの作品に惹きつけられてしまっていた。 映画をキャーキャー言いながら観ていた頃。 監督は? ロマン・ポランスキーという名前がしっかりと記憶に刻まれた。 当時は自分のセンスってよく分かっていなかった頃だったけれど、この作品に流れる映像感覚は、私のバイオリズムととてもよく響きあうものがあった。 そしてローズマリーを演じたミア・ファローという女優を初めて見たのもこの作品。そばかすだらけで、やせっぽちで、大きな目だけが際立った彼女は、それまでのグラマラスで厚化粧が相場のハリウッド女優と比べて異質な存在で、現実の肉感の乏しい雰囲気が妙に新鮮だった。さしたる美人でもないけれど、中性っぽい雰囲気と、作中の彼女のファションは私好み。大きなベレー帽とお揃いのマフラーにミニのオーバーコート。小さな襟のマタニティスタイルもオシャレだった。その次に彼女をスクリーンで見たのは「華麗なるギャツビー」。儚げな風情の顔の下で、きっちりと女の狡さを持っている役が似合っていた。 ローズマリーを娘のように可愛がってくれている絵本作家のハッチは、ローズマリーとガイが新居に選んだアパートは、19世紀には子どもを食べる姉妹が住んでいた噂があり悪評高いアパートだったと教えてくれたが、広くて重厚な室内にすっかり気に入った2人は、このアパートで幸福な新婚生活を始めた。 新居のインテリアに精出すローズマリーがたっぷりと描かれており、ローズマリーがどれだけガイを愛し、彼との新婚生活に幸福感を覚えているかが、とってもよく伝わってくる。家具をれ、壁紙を張替え、クローゼットの棚をチェックのクロスに張り替えたり…ローズマリーの新居作りの様子が、襖と障子と畳の家に住む私には、そんな光景もとても新鮮だったし、彼女の日常が映画の世界のこととして描かれているのではなく、とても自然に描かれていることも、当時の私にはとても新鮮に映った。 老人のお節介というのだろうか、強引なまでに親切な隣人のゴードン夫妻。 ゴードン夫妻に居候する若い女性が、ある夜、アパートの窓から飛び降り自殺した。それからローズマリーの周りで何かが動き始める。 主演男優の突然の失明でガイに主役が回ってきた。 そしてある夜、悪魔に犯される夢にうなされるローズマリー。 そしてローズマリーの妊娠。 最初は煩わしいとゴードン夫妻との付き合いを渋っていたガイが、今ではすっかり彼等の息子のように言いなりになっている。 ゴードン夫人からもらったタニス草が入ったお守りのペンダント。 激しい腹痛がローズマリーを襲う。 産婦人科医もゴードン夫妻の知り合いの医師に変え、先生の処方でゴードン夫人が作る薬草入りのミルクを毎日飲まされる。 私の赤ちゃんが痛がっている。赤ちゃんが死んでしまうのではないかしら。 言いようのない不安がローズマリーを襲う。 ローズマリーを訪ねてきたハッチは、久々に会った彼女のやつれて痩せて、眼だけがぎらぎらしたローズマリーに驚き、そして偶然に出会ったゴードン氏の鋭い眼にも何か不穏なものを感じる。 そしてそこへ突然に帰ってきたガイ。帰るハッチにクローゼットからコートを取り出すがハッチの手袋の片方がなくなっていた。 その夜、ハッチから電話があり、翌日待合わせの場所に行くがハッチは来ず、オフィスに電話すると、突然に昏睡状態に陥ってハッチが緊急入院したと告げられる。 激しい腹痛に苦しめられ、気がつけば生レバーを貪っている自分の姿にぞっとするローズマリー。 妻よりもゴードン夫妻の言うことを聞く夫。 マタニティ・ブルーだと誰も親身になって受け止めてくれない。 何を信じて、誰を頼りにしていいのか分からない。 お腹の中で赤ちゃんは死んでしまっているんではないだろうか。 ローズマリーの中で不安がどんどん広がっていく。 そんな矢先、ハッチが死んだ知らせを受け取ったローズマリーは葬儀の席で、ハッチの秘書から、ハッチから頼まれたといって一冊の古い本を渡す。 そこに掛かれいたのは悪魔に関する本。 お守りに入っているタニス草は「悪魔の胡椒」と呼ばれるものだった。 そして呪いをかけたい相手の持ち物を使う呪いの儀式。 ガイに主役が回ってきた失明した役者に電話したローズマリーは、あの日ガイとネクタイを交換したことを知る。 そしてハッチが帰る時になくなっていた片方の手袋。 ガイが…! ゴードン氏の名前を入れ替えると、彼はこの館に住んでいたとされる悪魔の息子の名前に…! このニューヨークのど真ん中で悪魔などと…… 妊娠で神経過敏になったローズマリーの思い込みが引起した幻想? それとも現実? 本作で描かれている恐怖や不安は、ホラー映画にあるような悪魔がもたらすものではなく、ローズマリーが周囲の人間から感じるものであるということ。親切だと思っていた隣人、信頼したいと願う医師、そして愛する夫が、自分を守ってくれる人間ではないということの絶望。 そしてお腹の中で育つ生命、愛するわが子が殺されるかもしれないという恐怖と不安。 たった一人で、痩せっぽちのローズマリーがそんな自分の中の恐怖と必死に抗う姿が痛々しい。 悲しいのは成功と引き換えに悪魔に妻を差し出した夫ガイの裏切り。 信じ、愛していたものから裏切られたことの怒りと絶望。 そして赤ん坊の泣き声がローズマリーの母性が溢れたのだろうか。 ゆっくりと揺り篭をゆすりながら赤ん坊を見つめるローズマリーの顔にはわが子を慈しむかすかな笑みが……。 そして静かに流れるクリストファー・コメダのメロディ。 物語はホラーだけれど、言いようのない不安と、恐怖と、襲い掛かる激痛にあっても母の子を思う愛の強さ、そしてたとえ悪魔の子であってもお腹の中で慈しみ育てたわが子への無条件で、絶対の愛が描かれている。 映画を見た当時はロマン・ポランスキー監督については何も知らなかった。 その後、ユダヤ人であったロマン・ポランスキーはポーランドで幼少期を過ごし、第二次世界大戦時にはナチス・ドイツがクラクフに作ったユダヤ人ゲットーに押し込められるという体験を持っていることを知った。そしてゲットーのユダ人が一斉に逮捕される直前に父親はゲットーの有刺鉄線を切って、そこからロマンを逃がしたが、両親は連行され、母親はアウシュビッツで虐殺、父親は採石場で強制労働をさせられ、終戦になってから父と息子は再会したという。そんな彼の人生と、ローズマリーが味わう得体の知れない不安や恐怖感とが重なる。 我が子を命がけで守ろうとしたポランスキーの両親の姿と、悪魔から生れる我が子を守ろうと大きなお腹で逃げ惑うローズマリーが重なってしまう。 ゲットーから逃げのびたといえドイツに占領されたフランスのヴィシー政権下でロマン自身も常に「ユダヤ人狩り」におびえる日々を過ごしたことだろう。転々と逃亡する生活。隣人の密告、裏切りといった世界をどれだけ目撃して来たことだろう。 それはローズマリーが魔の手から必死に逃れようと転々と逃げ惑う姿だろう。 ビル先生の病院でやっと安らいだと思った矢先、目の前に現れたガイと産婦人科医に、地獄に突き落とされる絶望を味わったことだろう。 周りにいる人間たちが、安らぎと幸福を与える者たちでなく、自分を襲ってくる相手だと知った時の恐怖は、まさにホラーだろう。 叫び声をあげるような恐さはなく、けれどローズマリーが感じる恐怖をスクリーンの隅々まで描き出したポランスキーの才! 恐怖とは、人間の想像の産物が生み出した悪魔とか、ゾンビとかが恐怖なのではなく、人間のなかにある邪が恐ろしいということ。何を考え、どんな野心や邪心を持っているのか、人間の内面が見えないということが恐ろしいということ。 そしてローズマリーがようやく安らぎを見せるのは、悪魔の血を受け継いだ我が子をあやした時。 優しさと、そして言いようのない切なさの無慈悲なラスト。 静かに流れるテーマ曲が、母親になる喜びに溢れていて、愛する夫と生れてくる赤ちゃんと幸福になるつもりだった、そんな遠い昔の夢を見つめるような、悲しくも優しく流れる。 今も、テーマ曲とともにいくつかのシーン、とりわけラストシーンは鮮明に覚えている。 とても好きな作品だ。 そして「ローズマリーの赤ちゃん」の撮影終了の後、妻であるシャロン・テートが惨殺されるという事件が彼を襲う。この事件は大きく報じられたのは記憶に残っている。そしてその後のポランスキーに起こったことも。
by mchouette
| 2009-03-03 00:00
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