![]() by mChouette 検索
カテゴリ
全体 ■映画 =映画:あ行 =映画:か行 =映画:さ行 =映画:た行 =映画:な行 =映画:は行 =映画:ま~わ行 ■映画・雑記 ■ドラマ ■展覧会・コンサート ■一冊の本 ■徒然なるままに… ■美味しいもの ■アウトドア・旅 ■勝手にバトン ■ご挨拶・お知らせ 未分類 最新の記事
その他のジャンル
|
LE DIABLE AU CORPS
1947年/フランス/116分 監督: クロード・オータン=ララ 先日、NHK・BSで放映されていたのを録画して、それから毎晩のように観ているのが本作「肉体の悪魔」 第一次大戦下のフランス。17歳の高校生だったフランソワと、年上で人妻の女性マルトとの恋愛。つかの間の、けれど目くるめく様な、胸を切り裂くような、激しさと無邪気さと弱さとが激しくぶつかり合う、そんなフランソワの内面を、そして2人の関係を、とても繊細に、けれど感傷的とか自己愛に溺れることなく、突き放したような醒めた視線で描かれている。 そして、当時25歳だったジェラール・フィリップが、早熟な、そして大人と子どもの間の中途半端ともいえる17歳の微妙な年齢の、複雑な心情に揺れるフランソワという役を、見事なまでに演じきっていた。 年齢を感じさせない彼の端正な甘いマスクと、そして彼の力(リキ)を感じさせない、それでいて子どもと大人が混在し、大人の男のように振舞う端から、子どものように甘える弱さとか、我が儘とか、臆病とか、ストレートな強引さとか、向こう見ずな大胆さとか…… そんなジェラール・フィリップを見たさにが大きいかもしれない。もう3日続けて観ている。 この顔で、このスマートさで、こんな風に強引にかつ繊細かつストレートにぶつかってこられたら、惹かれていくだろうなって思う。 既に許婚がいると言うマルト。 「どうして待てなかったの。 僕との出会いまで。」 こんな風に言われたらどうする? 原作者はレモン・ラディゲ(Raymond Radiguet, 1903年6月18日~1923年12月12日)。 「この映画に登場する人物たちの、時に激しく反社会的な行動は、1914年~18年にかけて世界をゆさぶった第一次大戦当時の若者たちの心情を如実に反映している。」という字幕で始まるこの映画。 第一次大戦下、フランソワの通う高校は軍の臨時病院として使われていた、そんな戦時下のフランスにあって、映像で描かれたこのスマートさはフランスと日本のレベルの格差には驚く。 フランソワの様子を気遣い、マルトから来た手紙で事情を察した父親の対応が、さすが恋愛至上主義のフランスと思わせる粋といおうか、凄いといおうか…。フランスでは恋愛が絡んだ犯罪は罪が軽減されるとか。 マルトには親が決めた許婚がいて、2人の恋の成就はあり得ない事に自暴自棄になり、彼女が待っているという桟橋に、行かない、別れるんだと言い張るフランソワを、父親は強引に彼を桟橋まで連れて行く。 約束の10時より1時間遅れて桟橋に着いた二人は、夜の闇の中、向う岸でフランソワを待ち続けるマルトの姿を見つける。 「女に冷たくされると後を追いたくなるが、愛されていると簡単に別れられる」 父から息子への恋の手ほどき。 しかしフランソワには恋の苦さを味わうにはナイーブ過ぎる。 これが日本なら、この戦時下に、学生の本分は勉強だ。この不埒者。などと野暮な説教となるのだろう。 そしてフランソワは夏休みを修道院で過ごし、マルトは許婚と結婚した。 そしてフランソワの高校に設けられた臨時病院で看護婦として働くマルトと再会したフランソワ。2人の恋の炎はまたしても激しく燃え上がり、結婚で親の束縛から解放され、夫は戦地へ。2人は人目もはばからず蜜月の時を過ごす。そしてマルトの妊娠。 ![]() 駆け落ちするというフランソワに友人が諌める。 「女を奪うのはいいけれど、子どもまで奪うのは最低だ。」と。 当時は今よりも精神年齢がずっと大人だったんだ。 地獄まで堕ちてやる。 僕も父親になるんだ。パパと同等だ。 そんな意気込みで父親の前に立ったフランソワは、しかし、現実の重さの前でたじろいでしまう。 お前に何も言わないのは、いつかお前の口から話してくれると信じているからだ。いつか話してくれるな?」そう問いかける父を前に、フランソワは力なく「わからない」と答える。 反対されれば抵抗し、その勢いで「彼にあって全てを打ち明けよう」と意気込むけれど、いざとなると心がすくんでしまう。 そして戦争終結のニュース。 戦争が終れば戦地からマルトの夫も帰還する。 2人の恋はそこで終ってしまう。 身重になったマルトは世間の眼から隠れるように祖母の家に身を寄せようとする。そんなマルトを追い掛けて列車に飛び乗ったフランソワ。 「いうことが次々変わるんだから。子どもね。」 「そう、僕は子どもなんだ。」 そういってマルトの肩に甘えるようにもたれかかるフランソワ。 「私を抱くときは大人のくせに…。」 マルトの切なさも痛いほど伝わってくる。 ![]() 終戦とともに終ってしまう2人の関係。 別れを決意した2人だけれど、別れられない。 二人の関係はいわゆる不倫の関係といえるのだろうけれど、純粋に愛するもの同士の別れの身を切るような痛さが切々と感じられる。 気遣うフランソワの前で、身重の身体でストレート・ウィスキーをあおるマルト。重体に陥ったマルトは急を聞いて駆けつけた母親と共に病院へ。 後に残されたフランソワは雨の中で立ちつくす。 マルトを案じ、怯えた仔犬のように毎日のようにアパートの前で様子を伺うフランソワ。 出産とマルト危篤の報せに急ぎ戦地から戻った夫の姿を見つけたフランソワは彼を呼び止める。 しかし大人の男の彼と向き合ったフランソワは何も言えず、弱々しい声で彼に煙草の火を求める。 そしてマルトの葬儀の日。 この日は戦争終結にフランス中がお祝いムードで沸き立っていた。 現実に立ちすくみ、愛してると言い続けながら、片方で彼女を裏切り続けた僕の恋。悔恨と自責と絶望に唇を噛み締め、教会の隅でマルトの棺を黙って見つめ続けるフランソワ。 この時のジェラールの、あの切れ長の目に悲痛さが漂う! この作品をリメイクするとしたら、フランソワの役をジェラール・フィリップ以上に誰がやれるだろうかと思う。いくつかの顔をあてはめてみても、もっさりして、純化されたものが濁ってしまうような気がする。 ジェラール・フィリップという、重さを感じさせない空気のような透明感のある雰囲気と、知的な甘さが、作家の己を見詰める冷徹な眼で研ぎ澄まされ語られた僕とマルトのこの物語、映像でも見事に蘇ったのだろうと思う。 ↓「悪魔の美しさ」のジェラール・フィリップ (Gérard Philipe, 1922年12月4日~1959年11月25日) ![]() 不世出36歳でこの世を去ったジェラール・フィリップを語る言葉は多い。 彼の作品は若い時にスクリーンで何本か観ているけれど記憶の彼方。 その後はテレビ放映されるものを観るくらいだった。 数年前だかジェラール・フィリップ特集が組まれた。 「生誕80周年記念特別企画 蘇るジェラール・フィリップ」 神は彼にニ物を与えた。 これはスケジュールが合わず観れなかったのは悔やまれる。 その時の写真はこれだったと記憶している。 ![]() これを機に、オタクっぽく、お一人様ジェラール・フィリップ映画祭をやってみようかしらと思っている。 彼の出演作でジャンヌ・モローと夫婦役を演じたロジェ・ヴァディム監督の「危険な関係」(1960)がある。音楽は良かったものの内容は今ひとつだったけれど、そんなジェラール・フィリップを観て思うのが、レオナルド・ディカプリオ。
by mchouette
| 2009-02-08 00:00
| ■映画
| |||||||||
ファン申請 |
||