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アキム・コレクション上映会の映画感想もこれで最後。
頑張って3本あげました。 まずはジャン・ギャバン主演の2本。 「望郷」 PEPE-LE-MOKO 1937年/フランス/94分/白黒これぞ(ジャン・ギャバン)最高の当たり役と双葉先生に言わしめた「望郷」 allcinemaの映画評で「日本人好みのデュヴィヴィエの作品の中でもとりわけ支持されている“男の”メロドラマ」とあった。 「男のメロドラマ」かぁ… うまい表現だなぁ。 フランスの植民地アフリカ・ナイジェリアの首都アルジェにある迷宮街カスバ ペペをおびき出すため、弟のように可愛がっていたピエロが警察の罠にはめられ命を落とす。 逃亡の身のペペは、ピエロの葬儀に参列すら出来ない。 自由に動き回っていたこのカスバの街に閉じ込められている我が身を痛感したことだろう。 パリの自由が懐かしい。 パリの美しさが懐かしい。 そんなペペに追い討ちを掛けるように、パリの匂いに包まれたような美しい女性がカスバの街に迷い込んてきた。 望郷の思いか、女への愛か。 たちまちぺぺは女に心を奪われ、二人は急速に恋におちる。 女はぺぺ射殺という嘘の情報に絶望し、パリに向けて出航する。 女の出航を知り、捕まることも承知で町に下りるぺぺ。 女に会える! 俺のパリだ! パリに戻るんだ! 堰をきったように噴出する思い。 逮捕され、波止場から出航する船を見送るぺぺ。 ぺぺを思い看板から遠くカスバの街を見詰める女。 その姿をじっと見詰めるぺぺ。 ギャピー! 叫んだ声は汽笛にかき消され、女の耳には届かない。 女への愛も、パリへの思いも消えてしまったぺぺは、隠し持ったナイフで自害し果てる。 これは女よりも、男が見て胸に迫る映画だろう。 男のメロドラマ。 掟のためなら人を殺すことも辞さないクールな顔と裏腹に、心根の優しいロマンチストが顔をのぞかせる。 本作は弟分ピエロに対する愛情、故郷を捨ててカスバの街に寄せ集まった仲間たちとの友情、そしてギャピーによって揺り動かされたパリへの望郷の念。 警察の巧妙な罠の中に追い込まれていくペぺ。そして裏切り。 情で繋がった仲間たちが、情で崩されていく。 そのやるせなさ。 カスバの街の閉塞した空間。 柵で断ち切られた思い。 フレンチ・ノワールだわとつくづく思う。 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督がリアルに再現させたカスバの街は、行く場所も、戻る場所も失った者たちの終着駅のようなムードを濃密に漂わせている。 先にあげた「肉体の冠」「嘆きのテレーズ」そして「望郷」といい、役者の動きも少なく、台詞も不必要な贅肉をそぎ落とし無駄がない。 それでも濃密な空気と迫力が感じられる。 黙って向き合うシーンでも、昨今の映画のようにエロささえ感じさせるような余計な粘っこさがない。切々と心情が感じられる。 黙ってみつめる目線が、存在の重みを感じさせる。 階段と靴だけで男の心を物語る映像がある。 だから観終わった後の手ごたえは、胸からお腹にずしんとくる。 派手でオーバーアクションと、自然といいながら不自然な演技と、喋りすぎる台詞と、観終わった後、劇場を出たとたんはなんのシーンも残ってない昨今の映画に、溜め息がでてしまう。 この映画はビシー政権下のフランスでは意欲をそぐ映画とされ、その上映が禁止されていたそうだが、戦後になって評価されるようになったそうだ。 「獣人」 LE BETE HUMAINE 1938年/フランス/104分/白黒 エミール・ゾラが執筆した、アルコール中毒と狂人の血を代々受け継ぐルーゴン・マッカール家一族の物語。ルネ・クレマン「居酒屋」(1956)、そしてジャン・ルノワールの「女優ナナ」(1926)、そして本作「獣人」の主人公たちは、ルーゴン・マッカール家の呪われた血を受け継いだ者たち。 パリとル・アーヴル間を走る機関車の機関士ジャックは実直な男だが、発作的に殺人の衝動にかられる呪われた血を受け継いでいた。自分の身体の中に流れるその血を呪い、怖れ、酒を遠ざけて暮らしている。 機関紙ジャックが運転する機関車が、重い鉄の車輪が轟音とともに線路を走る映像が、様々な角度から映し出される。それは血に飢えた獣の咆哮とも重なり、力強さよりも怖さすら感じる迫力のある映像。「LE BETE HUMAINE 獣人」というそのタイトルとともに、これから始まる物語に言い知れぬ不安さえ覚える。 ジャックの呪われた血。 機関車に乗っていると発作は出てこないという。 血が眼を醒ますことに怯えながらも、血の匂いに引き寄せられるように一人の女に惹かれていく。夫を殺してと誘う女の血の匂いが彼を掻き立て、抑えきれぬ衝動から女を殺してしまう。 呪われた血に絶望し、轟音をたて猛スピードで走る機関車からジャックが、制止を振り切って飛び降りるシーンは思わず胸に迫るものがあった。 この作品は夏に、京都駅ビルでフランス映画祭が催された折に観にいったけれど、小さな画面で、多分フィルム上映ではなかったのではないかしら。映像に奥行きが感じられなかったもの)違ったらごめんなさい)。 やはりスクリーンでのフィルム上映。 シーン一つ一つから醸し出される情感が違う。 最近の映画って、確かにアクションシーンなどの迫力は劣るものの、テレビ画面でも見てもさほどの差異は感じないけれど、こんな年代の作品を改めてスクリーンで見ると、映像に奥行きがあって、映像に込められた情感とか空気までもが映像を包み込んでいるような気がする。 「ノートルダムのせむし男」 NOTRE-DAME DE PARIS 1956年/フランス/120分/カラー15世紀のパリ。 アンソニー・クイン演じる体が不自由で醜い容貌をしたノートルダム聖堂の鐘つき男カジモド。 ジーナ・ロロブリジーダ演じる、咲き誇る薔薇の花を思わせるジプシーの踊り子エスメラルダ。 エスメラルダに心を奪われた一人の聖職者の邪心によって、純な心が踏みにじられるカジモドとエスメラルダそれぞれの悲劇。 原作は絶大なる権力を持った教会の弾圧、偏見、差別を痛烈に批判した作品なのだろう。 ヴィクトル・ユーゴーの同名小説の、本作が五回目の映画化。 映画化された他の作品のいくつかを子どもの頃に観ている記憶はあるけれど、もういちどそれらの作品を見直してみるのも面白いなと思う。 双葉先生が本作を「スケールの大きい風俗絵巻」と評され、 そしてブログ「時代の情景」のトムさんは「ドラマから脱していない旧スタイルを貫いた逸品。素晴らしいです。ミュージカル化される要素も散りばめられていますよ。旧スタイルとはいえ、未来に向かっていてもっと評価されるべき作品だと思っています。」というコメントをいただいている。(トムさん、勝手に紹介してます。ごめんなさい) 本作、このお二人の言葉で十分かと……。 当時の街並を再現した壮大なセット。 舞台演出も感じさせるような映像が、トムさんの言われたように、このままミュージカル仕立てにしてもとても面白いと思える。 ……………………………………………………………………………… アキムコレクションを観てきて思うのが、アキム兄弟がプロデュースした作品に限らず、この頃の作品は、最近よく観られるような時間逆行させたり、モンタージュさせたりといった凝った演出などしておらず物語が時系列にそって語られている。 時系列に逆行させるのは、より効果的にといった意図もあっての演出なのだろうけれど、斬新さとかインパクトは感じさせるけれど、それによって観終わった後にどれだけの感動や衝撃をもたらしているかというと、さほどのものでもない。 生地選び、縫製、人の身体に沿ったパターンといった基本よりも、デザインと色が氾濫した洋服をずらりと並べられている気がする最近の映画。 登場人物の内面に焦点をおき、じっくりと語っていく、そういう基本に立ち戻り映画を撮っていくところにきているんではないかしら。 そこでは当然、演出で誤魔化すといった小手技などは通用せず、脚本と、役者の演技と、映像に対するシビアな視線、そして監督の明確なメッセージが求められるだろう。 ピカソが膨大なデッサンを経て、あの一本の線に至ったか。
by mchouette
| 2009-01-30 00:00
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