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「チェ28歳の革命」でいささか不完全燃焼気味なので、とびっきり素敵なこんなキューバ映画がいい!
こういう作品をみると、こんな解放的な明るさと、深刻さを陽気なベクトルに切り替えていく力は、ラテン民族の国民性なんだろうと思えてくる。 1993年の「苺とチョコレート」。 そして同じメンバーが集まって、またまた生まれたハートフルな作品「バスを待ちながら」。 先日、劇場鑑賞した「チェ 28歳の革命」を意識するわけではないけれど、ゲバラよりも、キューバの名もなき人々のほうが素晴らしいんだ!って言いたくなる映画。(なんか、ゲバラ引きずってます) 1959年フィデル・カストロやゲバラによって樹立されたキューバ革命政権は、1961年にはカストロによって社会主義革命の宣言がなされ、社会主義国家となった。 カストロ政権下で、作家であり、しかもホモセクシャルであったことで激しい迫害の対象となったレイナンド・アレナスは、死の直前に亡命先のアメリカで自伝「夜になるまえに~ある亡命者の回想」(1997年/国書刊行会/安藤哲行・訳)で自らの壮絶ともいえる人生を綴っている。そこにはカストロ政権の独裁政治に対する批判も痛烈に語られている。そして1990年にエイズ進行で死を悟り、鎮静剤を大量に服用して自殺した。 レイナンドは死ぬときに数人の友人にあてて手紙を書いており、「別れの手紙」として自伝の最後に掲載されている。手紙の最後に彼はこう書き記している。 「亡命しているキューバ人にも、また島にいるキューバ人にも、自由のために闘い続けるよう勧める。ぼくのメッセージは敗北のメッセージではない。闘いと希望のメッセージなのだ。 キューバは自由になる。ぼくはもう自由だ。」 「潜水服は蝶の夢を見る」(2007)ジュリアン・シュナーベルが2000年に映画化し、ハビエル・バルデムがアレナスを演じた。 ![]() 「苺とチョコレート」というキューバ映画も、そんなキューバを舞台にした映画。 『苺とチョコレート』 FRESA Y CHOCOLATE自由と芸術を愛する同性愛者のディエゴは仲間たちが次々と亡命する中で、俺は逃げない、自由のために戦うんだとキューバに残っている。 そして共産主義者のダビドは社会主義国家キューバを愛し、文学を愛する生真面目な大学生。 アイスクリーム・パーラーで苺のアイスクリームを食べていたディエゴは、チョコレートのアイスクリームを食べている自分好みのイケメン学生のダビデに眼をつけ、彼を部屋に連れ込んで服を脱がせられるかどうか、友人たちと賭けをする。 一方、ダビドの方は、人前で甘い苺のアイスを食べるということは男らしくないとされ、同性愛者を示している。そんなディエゴを「同性愛者=反社会分子」というカストロ政権下の図式で軽蔑の目で見るダビド。 ディエゴに言い寄られたダビドは、彼を共産主義者に転向させることが使命だと先輩に言われ、彼をオルグするために不本意ながら彼のアパートを訪問する。 それぞれの思惑で近づいたディエゴとダビド。 そしてダビドはディエゴを通して現政権下では封印されてしまっているキューバの音楽、文学などキューバの芸術の素晴らしさに触れ、ディエゴの何ものにも囚われない生き方と強い思いに触れ、キューバ社会の現実を知って行く中で、ダビドはディエゴや彼の隣人のナンシーと次第に心を許しあっていく。 ダビドがナンシーに惹かれていることを知ったディエゴは、自分の思いを抑えて二人の仲をとりもつあたりなどは、ディエゴのダビドに対する愛情の強さが伝わってきて切ない。 主義主張で人を色分けしていた、そんな狭い価値観、世界にいる自分に気づくダビド。 自由のために闘っている彼らがいるということ。 そういう現実を知ったダビド。 といっても内容は決して重くなく、むしろ、キューバに充満している重苦しい空気をきちんと押さえつつ、そんな重さを蹴飛ばすほどのユーモアが溢れている、大好きな映画の一つでもある。 「この国にはもう自由はないんだ!。ここにいたら僕は死んでしまう!」そういって亡命を決意したディエゴ。 「本当は抱いて欲しかったの」泣き笑いの顔でダビドへの思いを初めて打ち明けたディエゴを、思わず抱きしめるダビド。 大きい身体のディエゴを、やせっぽちのダビドが抱きしめる様は、ディエゴの切なさはわかるけれど、ウルッとなりながらも、クスッと笑いがこぼれてしまう。 別れの日、 二人が出会ったアイスパーラーで互いのアイスクリームを交換し、ダビドはディエゴがいつも食べていた苺のアイスクリームをディエゴの真似をして食べてみせる。 敵対よりも融合を! 真の連帯とは… 友情とは… 革命後の混沌としたキューバの社会事情を背景に、人と人とのつながりを切なさとユーモアでもって描いた素敵なキューバ映画。キューバ社会に対する監督のメッセージも痛いほど伝わってくる。 その「苺とチョコレート」から7年後。 同じスタッフが製作した「バスを待ちながら」。 主人公エミリオ役にはダビドを演じたウラジミール・クルス。すっかり逞しい青年になっていた。そして同性愛者で画家のダヴィデを演じたホルヘ・ペルゴリアが盲人のエンジニアとして登場し、絶妙なスパイスを振りまいている。 『バスを待ちながら』 LISTA DE ESPERAそして今回は、いつ来るかわからないバスを、来ても満員で乗れないという、そんなバスを、バス停で待ち続ける人々を描いており、更にキューバの人々の内面に入り込んでいる。そして、そこからふつふつと見え隠れするキューバの社会事情は変わっていない。 むしろ厳しい社会情勢は日常生活に蔓延し、人々は疲弊し、明日に対する希望も夢も失っているようにみえる。 社会に向けられたシニカルな視線は健在ながら、ユーモアと陽気なラテンの血をもつキューバの人々の優しさと逞しさをあたたかい眼差しで描いている。 観ているこっちまで、幸福な気分にさせられ、知らぬ間に顔がほころんでいる。 「苺とチョコレート」では自由を奪われた苦しさとか辛さが、作品に痛いほど感じられたけれど、本作「バスを待ちながら」は、キューバ人の明日の希望をもてない生活の中で、それでも失われていない大らかさや、開放的な明るさが何ものにも負けない逞しさとして描かれている。 キューバのとある田舎町にあるバス停にはバスを待つ人でごった返している。 もう3日も待っている人もいる。バスがきても満員で、人々は空しく次のバスを待つ。 これがキューバの現状でもあるのだろう。 そしてバス停にやってきた人たちは、希望を持ってこの町を出るのではなく、希望のないここから逃げ出そうとしている人々だ。 ここから出て行くところ。 バス停とはそういう場所だ。 そうエミリオは言う。 そんな彼らの抱える悲しみの部分が物語が進むにつれてさりげなく見えてくる。 悲しみはさりげなく、歓びはスクリーン一杯に! それがこの作品の素敵なところ。 業を煮やしたエミリオはバス停にある壊れたバスをみんなで修理しようと提案する。 ここからバス停にいた人々の間にコミュニティが育まれていく。 ベンチを合わせてベッドを作り、荒地に生えているハーブでシチューを作り、みんなは自分たちの持っている食料を提供する。いつしか人々の間に何かを共有しているような交流が生まれる。そしてハバナで婚約者が待っているジャクリーンは、バス停の建物にペンキを塗ろうと提案する。事務所の倉庫にはたくさんの本が忘れ去られたように積まれてあった。 図書館を作ろう。 庭を作ろう。 バスを待っていたはずの人々の物語が、とんでもない展開をみせはじめる。 そしてバスが来ても、みんなは乗ろうとしない。 「ここに残る。残りたいんだ!」 ![]() そんな彼らを透かして、キューバの人々が、どれだけ夢や希望を失って生きているのか、キューバが抱える社会の実情が感じられる。 エミリオが誰かに揺すぶられて眼を醒ますと、バス停は来た時と同じすすけた壁のままだ。みんなでペンキを塗った明るい壁はどこにもない。 みんなと分かち合ったあの楽しい時間は夢だった? はじめはバラバラだった彼らの心が、夢だったのかも知れない。 でもみんな同じ夢を見、同じ希望と幸福感でつながっていた。 そしてみんなそれぞれに、まだ見ぬ明日に向ってハバナへ、サンティエゴへとバス停を後にする。彼らの顔は希望で輝いている。 そしてとびっきり素敵なラストが……。 映画パンフレットで山田洋次監督は 「自分の国をよほど愛していなければ、こんな愉快な映画は作れないだろう。 まさしく、キューバならではの喜劇なのである。」とこの映画について語っている。 キューバの経済状態、規則で縛られた社会に対するシニカルな視線を、ユーモアで切替すあたりは、キューバならではだろう。 そして、これほどまでにキューバの人々は、社会は、夢と希望に枯渇しているのか!ということも実感する。
by mchouette
| 2009-01-21 00:00
| ■映画
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