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「何も変えるな、すべてが変わるために」 (ロベール・ブレッソン「シネマトグラフ覚書」)
「戻るは大事業、大難事」 (詩人ウェリギリウスの言葉) この2つの言葉、そしてゴダールが打ち込むタイプの音で始まる「ゴダールの映画史」。 8つの章からなり、2章ずつ対になるタイトルになって語られている。 ジャン・リュック・ゴダールが1988年~1998年の10年間にわたり製作した「映画史」。 1Aと1B以外は30分以内の映像だけれど、もっと長く感じられる。それは冗長という感覚ではなく、映像の長さに比して映像の濃密さは<映像×音楽×言葉>と映像時間の3倍に匹敵しているということだ。 1A「すべての歴史」 (Toutes les histoires)1988年~1998年/51分 膨大な量の映画、音楽、哲学、文学、絵画がゴダールによって断片に解体され、ゴダールという一人の映画作家の映画哲学ともいうべきその体系に基づき再構築されたこの壮大なるモンタージュは、「モンタージュこそが映画の特殊性を形作るのであって、それが絵画や小説から映画を区別する」というテーゼを持ち続けたゴダールの実証でもあり集大成ともいえるだろうか。 彼の作品を振り返ってみると、とりわけ80年代の彼の作品で、ゴダールは映画そのもの、そして映画を作り続けている自分自身を曝け出し語っていることに気がつく。 すべての道は『映画史』に……だろう。 ゴダールの「映画史」に登場する作品については、フランス映画社の「ジャン=リュック・ゴダール 映画史」のサイトで各章ごとにリストアップされている。あらためてその膨大さに驚く。また「映画史」の概略、 野崎歓氏の「映画をめぐって」という興味深い文も全文掲載されていて大いに刺激なるだろうと思う。 ![]() そしてゴダールの語る『映画史』はヨーロッパ現代史をも刺し貫くものである。 その映画には常に「死」と「戦争」がつきまとう。 「映画とは何か?」「映画は人類の歴史に何をしたのか?」そしてまた「映画は人類の歴史において何をしなかったのか」を問うものでもあり、それはまたゴダールという一人の映画作家が、そのスタートから問い続けてきた「映画とは何か」「映画は何ができるのか?」「僕には何ができるのか?」「僕はどこまで進んでこれたのか?」といった、彼が映画を通して問い続け、実践し続けてきた彼自身の現時点での到達した地平であり総括でもあるだろう。 ヌーヴェル・ヴァーグがそれまでのフランス映画の文法というものに反逆し叩き壊した後、ゴダールは自らの映画の文法、言語を映画創作を通して模索しつつ構築してきた、これは彼自身の映画の歴史でもあるだろう。 愛と死、生と死、性と死、裸体と死体、栄光と悲惨、絶望と希望、欲望、権力、戦争… …そして映像と音の融合によるソニマージュから噴出される夥しい言葉。 ゴダールによって生み出されたこの映像世界は、圧倒的な力と甘美さで観るものを惹きつける一方で、自らの存在、観ていることそれ自体が問われるような不安感をも抱かせる。 <映像と言語と音楽>が語るというよりも、むしろ私に迫り、今まで映画に対して抱いていた諸々の曖昧な漠とした思いとか、あるい不審といえばいいだろうか、あるいは日ごろ映画に慣れ親しんでいる私自身をも抉りだされるような、それでいて、「あぁ、そうだったったのか」と、膨大すぎるほどにあふれた現在の映画事情の世界で足ふみしている私に何らかの道標のような手がかりを与えてくれたような……。 こんな私の状態を、フランス文学者である野崎歓氏は(『映画史』をめぐって/季刊インターコミュニケーション/no.32)で実に端的に表現している。 「なによりもまず望まれることは、自らの目で「映画史」を見ることであり、「映画史」を体験することだ。まちがいなくそれは、観る者の存在を激しく揺さぶる体験である。映画が映画であるゆえん、そしてまた20世紀が映画の世紀であったゆえんを、ゴダールは画面の力、音+映像(ソニマージュ)の切迫そのものによって問いただすのである。」 ![]() 断片と断片がつながり、重なり、交錯し、組み合わさったモンタージュされた映像と音と言葉。そして2Aでジュリー・デルビーがボードレールの「旅」を、2Bでサビーヌ・アゼマがヘルマン・ヘッセの「ウェルギリウスの死」の詩の断章を、3Aでジュリエット・ビノシュがエミリー・ブロンテの詩を朗読し、そしてゴダールはセビリアの虐殺を黙認したヨーロッパを激しく非難したヴィクトル・ユゴーの文章を読み上げる。 映画を語る言葉は、その映像と音が変わる中で幾度も幾度も繰り返し語られ、そのたびに新しい意味なり色彩を帯びて私の中に静かに沁み込んでいく。 例えば『映画』について語っている言葉だけを一部ランダムにあげてみると…… 映画は人間の欲望に叶うように置き換えられた世界だ そして『映画史』でゴダールは自画像を語っている。 4Aで スイスの小説家シャルル=フェルディナン・ラミュの『徴は至るところに』のプロットの紹介… 村人から愛されていた話の得意な行商人が、村に嵐がやってきて来る日も来る日も続いた時、行商人は村人にこの世の終焉だと告げた。しかし陽はまた昇り、その行商人は村人たちに追放された。 その行商人とは私だ。 そして4Bの最後に …夢の工場……という文字とともに もしも「誰か」が 夢の楽園を通過し、通行証として一輪の花を授けられ 目覚めた手にその花があったら、 どんな言葉があろうか 私は、その「誰か」だった。 「勝手にしやがれ」から一貫して私たちを挑発し、刺激し続け、煽り続けるゴダールが、村人から追放された行商人は私だといいながら、最後に、白薔薇の映像とともに映画の恩寵を語り、花を持つ誰かは「私だ」と語る。 全くゴダールって奴は……! 言葉(文字、文章)による伝達機能の不完全さを語り、「見る」ことの確実さを語るゴダールの作品において、言語さえもモンタージュしてしまうゴダールの作品において、言葉でそれらを語ろうとしても語りえない、語る言葉を失ってしまう。 言葉だけでゴダールを語っても何も語りえないのだということにぶつかってしまう。 語る以上に感知すること。 ゴダールの「映画史」そして彼の作品をみるほどにそう思う。 むしろゴダールが凄い勢いで浴びせかけた<映像と言語と音>を感受し、それが私の感性の何がしかになってくれれば、ならずとも何かに触れれば、それでいいだろうと思えてくる。 音響(son)と映像(image)の対等な融合「ソニマージュ」 ゴダールの引用する言語は、既存の言語機能や役割といった領域を超え、映像と音と呼応し、共鳴し、彼らと溶け合い、それが一つの思考として存在し、映像として観る者の前に投げ出される。そんな風に思う。 ![]() 1978年にゴダールは、アンリ・ラングロワから引き継いでモントリオ一ル映画芸術コンセルヴァトワールで学生たちに映画の講話を行っている。 その最初の講話でこの「映画史」の構想について語っている。 「私は今、自分自身のために『映画史の知られざる側面』という題をつけることになるはずの一種の映画とテレビの歴史を、(映画として)つくる準備をしています。」 講演は、毎回ゴダールがテーマに基づいて、自身の作品1点と以外の作品数点の一部を上映した後にゴダールが講演し、また学生からの質問に答えるという形で進められ、10回の予定だったが7回まで続けられた。これこそが「映画史」のドラフトともいえるものでもあるだろう。また学生たちを前にゴダールはとても真摯に自らを語っているのが印象的だ。 ![]() 「ゴダールの映画史」を観、ゴダールの作品を振り返ってみると、ゴダールにとって映画とは彼自身であり、彼が外部に発信する、あるいは外部と接触する唯一の場であることが痛いほどに伝わってくる。 ぬけぬけと苦悩し、恥ずかしくもこれが僕の使命だと語り、それが時として彼につきまとう不遜とも傲慢ともいえるイメージとして世間に疎まれることにもつながるのだけれど、けれど「僕には分からなかった」「これは失敗だった」「そうすべきじゃなかったんだ」「映画だったらできる。」「僕は映画でしか語れないんだ。」と自らを曝け出す。 この「映画史」あるいは彼の作品を通して、そんなゴダールに出会うと……、 全くゴダールって奴は……! 彼の歩いてきた映画人生とその作品をみると、ゴダールはそれを愚直なまでに実践しているということが、ゴダールのゴダールたるゆえんでもあるだろう。 けれど、「僕は言葉遊びが好きなんだ」と語るゴダールにとって、『映画史』におけるモンタージュは、ゴダールの頭に浮かぶイメージそのままに、自由奔放ともとれるほどに縦横無尽に組み合わされている…しかしゴダールの頭の中では、イメージとして浮かんだ段階で既に緻密に計算されているのだろうが…モンタージュによる映画の世界は、彼に尽きせぬ好奇心と興味を情熱をかきたたせる唯一の場でもあるのだろうし、資金を稼ぐという現実はあるものの、これほど夢中にさせてくれる遊び場はゴダールには他にないことだろうとも思う。 そしてこの「映画史」は、誰もしようとしないこと、誰も向き合おうとしないこと、映画が本来(ゴダールの考える)あるべき場所に置こうとする、ゴダールの映画宣言でもあるだろう。 *「その①」としたのは、今回は「映画史」に登場する映画作品までは長くなるので言及できなかったし、映画と人類の歴史との関係とか、今回も表面のほんの一部を掠めたという程度だという感ありで、また書きたくなるかもしれないなという曖昧な予感から…続きはゴダールの別の作品の鑑賞記事に吸収されるかも知れないけれど…。 ![]()
by mchouette
| 2008-10-08 00:00
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