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2008年/日本/110分
at:梅田ガーデンシネマ 日本「東京」を舞台に、日本人ではない映画監督たちミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノが日本・東京の断片を描いたらこうなったというオムニバス映画「TOKYO!」 本作のように数名の監督たちが競作するオムニバス映画というのは、監督のセンスとか力量なども比較できて面白いところもあるけれど、観てみると当たり外れも大きい。 今まで観たオムニバス映画を振り返ってみて面白かった!って思えるのは、マリオ・モニチェリ、フェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティ、ヴィットリオ・デ・シーカの4人が参加した「ボッカチオ'70」(1962年)。4作とも負けず劣らずで、さすが!と思った。あと「世にも怪奇な物語」(1967年)なども、ロジェ・バディムからルイ・マルそしてフェリーニと徐々にその狂気の色が濃くなっていくのも面白かった。 「愛の神、エロス」(2004年)はウォン・カーウァイは目を凝らして観ていたけれど、スティーヴン・ソダーバーグとミケランジェロ・アントニオーニについては劇場で居眠りで最初と最後しか観ていないという私のお粗末! エリック・ロメールやゴダール、シャブロルなど6人の監督が参加した「パリところどころ」(1965年)などは、パリで暮らすカップルたちのそれぞれの事情を内側から描いていて、「パリ、ジュテーム」(2006)と違って、その日常の生活感が良かった。 本作「TOKYO!」などは日常感という点では「パリところどころ」に近い雰囲気かなって思いながら観ていた。 でも撮っているのが日本人ではない監督たち。それもミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノというそれぞれに「個性的」という便利な表現もできるが、みなさん、それぞれにちょっとクセのある映画監督たちばかりともいえる。 テイストは随分と違うぞ! 期待して観に来て、期待はずれっていう方もいたのではないだろうか。 日曜日に観にいったのだけれど、席の埋まりは半分程度。途中2.3人が出て行った! 案外と不評かも…です。 作品評価は専門家に任せるとして、私は彼らの視点が新鮮で楽しめました。 東京というか日本の、あるいは日本人の側面を上手く捉えて描いているなって思った。 ゴンドリー監督の「インテリア・デザイナー」に出てくる東京で一人暮らししている女性のワンルームの室内のごちゃごちゃさとか、ポン・ジュノの「シェイキング東京」では、引きこもりの香川照之が暮らす家の、数年間は引きこもっても大丈夫というほどに買い込んだ食料や、大量のトイレットペーパー、ミネラル・ウォーターななどが、引き篭もって読み漁った大量の本、本…これが然るべき場所に緻密に、整然と、隙間ない置かれ方とか、そのくせ妙に生活感があって、こんな空気の捉え方が上手いなって思う。邦画にみる日本の住宅事情よりもよほどリアル。 <ネタバレ> 第一話「インテリア・デザイナー」 現実と非現実が、なんとも自然に当たり前のように交錯する世界! ヒロコと映画監督志望のアキラは高校の同級生で恋人同士。アキラの自主制作映画の上映を機に東京で暮らすため上京した二人は、まずは東京で一人暮らしている高校時代の同級生アケミの家に一泊することに。東京の住宅事情は厳しく、一泊の約束がずるずると長逗留に…。無職の二人はアルバイトしながら部屋探しすることに。一緒にアルバイト採用の面接を受けたけど採用はアキラだけ。キャリア・ウーマンで頑張っているアケミや、映画制作に夢をもって頑張ってるアキラに比べ、その場限りのお気楽ご気楽で生きてきたヒロコは、突然、自分の空っぽさに気づく。そしてある日、とうとう本当に木偶の坊になってしまった! 胸は空洞になり、町を歩いているうちに足や腕が木の棒になってしまい…そんな風な姿で町をよたよたと歩くヒロコ。 とうとう椅子となってしまったヒロコは、洋服を浮浪者に持っていかれ、椅子のヒロコは全裸で、こそこそと東京の深夜の街を行き場所を求めて彷徨う。 こんな突飛な発想がゴンドリーらしいけど、ここまでやるか! やらせるか!と思う。けれど街をこそこそと歩く全裸のヒロコにもさほど違和感はなく、当たり前っぽくて、きっと日本人の監督が演出したらベタベタの映像になるだろうなと思い、これが感覚の違いか!と妙なところで感心してしまう。椅子となり誰かの役に立っている椅子の自分に生きる喜びを見出すヒロコ…というオチがなんとも微笑ましい。原案はガブリエル・ベルという人の漫画からだそうだ。 監督・脚本: ミシェル・ゴンドリー(fromニューヨーク) 第三話「シェイキング東京」 この映画のキーワードは衝撃!だろう。 10年間、誰とも目も合わさず、話しをせず、自分の作り上げた空間で自分だけの世界に引きこもって暮らしている男が、ふと見てしまったピザの宅配少女に心ときめかせ…と、そのとき突然に地震が起きて……。 少女に会いたいと思った男は勇気を出して10年ぶりに外へ出ると、町中の人がみんな引きこもっていて、人っ子一人いない。 突然、地震が起こると、家中からあわてふためいて一斉に戸外に出てきたけれ、地震で自転車が一台、空から地面に叩きつけられ、ハリケーンじゃないぞと、思うけれど、そのどえらい一瞬の衝撃でパニックは一瞬静まり返り、その後、何事もなく黙々と家に引きこもる。 「グエムル ~漢江の怪物」で愛する者を救おうとアナログ・パワーをとことん見せつけてくれたポン・ジュノからみると、東京の街とそこに住む人たちはこんな空疎感のある風景として映るのかしら? そうかもしれないなって、またもや妙に感心してしまう。 引きこもり男の部屋の緻密さと、 10年ぶりの陽光と、 そして空虚を突き破る突然の衝撃! これはやはりボン・ジュノだ! 監督・脚本:ポン・ジュノ (fromソウル) ミシェル・ゴンドリーやポン・ジュノが描き出した町は、とりたてて都会ではなく、ごくありふれた、どこにでも目にする日常の町の光景。そのリアルな普通さが妙に新鮮に映る。邦画のl映像よりも、もっと見慣れた現実感のある空気が描かれているのには、対象を捉える彼らの感覚の鋭さjはさすがと思った。 そしてその真ん中にくるのが…… 第2話「メルド」 ネオンきらめく夜の大都会・東京の夜景に、ひときわ目立つ赤いネオンサインの「糞」の字。 メルドとはフランス語で「糞」 「ゴジラ」のテーマ曲にのって都会のど真ん中のマンホールから突然現れた奇怪な男。裸足で歩き、街中で奇行を繰り返し、道行く人々に危害を加え、またマンホールに消えていく神出鬼没の謎の男は、メディアでも大きく取り上げられ、いつしか“下水道の怪人”と呼ばれるように。彼は地下に残されていた旧日本陸軍の手榴弾をもって東京の街に無差別にその手榴弾を投げ飛ばし、人々を恐怖に陥れる。 ドニ・ラヴァンの身体表現は凄い!。本作のテーマは、この異質感にあるのかも… この異質感は、臭いものには蓋式でどこかに葬り去ったものかも知れないし、目を逸らし続けているものかも知れないし…あれこれ考えてみる。 とうとう捕まったメルドは裁判にかけられ、いちやく時の人に。メルドに対する賛否両論のデモ行進があるかと思うと、メルドの人形が売る逞しき商魂もあり、日本中でメルド・ブームが沸き起こる。後半の裁判場面は、日本は嫌いだというメルドのやり取りに、ちょっとム・ムとなったけれど、死刑判決が下ったメルドの絞首刑の場面もあり、死刑廃止のフランスからやってきたカラックスが死刑執行を撮るというのは、これはやはり痛烈な皮肉と取るべきだろうと苦笑する。 そして不死身のメルドは生き返り、一瞬にして死刑執行室から消えてしまった! そして「次回はニューヨーク編~メルド・イン・ニューヨーク」という文字が! 果たしてニューヨークでは人々はこのメルドに対してどんな反応を示すのだろうか! やっぱりこれは強烈にシニカル映像か!と思いながら、カラックスらしいわとも思ってしまう。 でもカラックスはメルドは日本だけでなく、ニューヨークにもパリにもソウルにもいると言いたいんでしょうね…きっと。 監督・脚本:レオス・カラックス(fromパリ) 外からの違う視線で見た日本・東京の断片。 彼等から見るとこんな風に映るんだなと、そのシニカルな映像に、やっぱりなと軽いショックとともに思うけれど、でも、日本人も含め日本の日常の本音の部分に拘って、足し算も引き算もせずに、自分の感性で捉えた東京をリアルに描いている彼らの姿勢はさすがと思った。 そして、彼らが描いたTOKYO、日本…これを真摯に受け止めるのは私たち日本人だろう。 世界の中の日本という国そしてTOKYO。 実態はどうなんだ? そんな問いかけを私たちに投げかけてくれた作品として受け止めたい。 映画「靖国」で監督である李纓(リ・イン)が「見るのがつらいラブレターかもしれないが、これが私の愛の形だ」と語っていた言葉が甦ってくる。 本作は61回カンヌ映画祭ある視点部門に正式出品され、本来はこの部門はブルーカーペットンだそうだけれど、カンヌでは3人の監督に敬意を表してレッド・カーペットが敷かれたとのこと。 3人の合同インタビューで、それぞれ好きな日本映画や影響を受けた監督について語っているフィルムを観た。それぞれの個性が良く表れてるのが面白い。 レオス・カラックスは、「影響を受けたのは成瀬と溝口。成瀬がよく起用していた女優・高峰秀子も好きだ。素晴らしい女優だ」と語っていた。カラックスらしいなと頷く監督たちだ。高峰秀子…ちょっとジュリエット・ビノシュに似てないか? ミシェル・ゴンドリーが好きな監督は黒澤明。 初めて観た作品は「デルス・ウザーラ」素晴らしいと語っていた。「七人の侍」も好きで、リメイクの「荒野の七人」は人種差別もあって時代遅れだが、「七人の侍」は中世の物語なのに彼らの考えや思いはとても共感できると、本当に好きなのが伝わってくる。好きな俳優は「カエルみたいな…三船の横にいる…『生きる』に出てた…直ぐ忘れるんだ!」って頭抱えていた。彼が好きなカエルみたいな顔の役者とは志村喬だった。「存在感がある。彼の目がいい。目で表現している」そう語っていた。北野武の「HANA-BI」も好きだといってた。 ボン・ジュノはかなりのシネ・フィル。ミシェル・ゴンドリーが忘れた作品や俳優名をすらすらと答えてた。製作年や名前、作品名などよく覚えている。 なんと彼はカラックスが「ポーラX」を撮った2年後の2001年に監督デビューしている。カラックス作品も大きな影響を受けたと語っていた。 ボン・ジュノが好きな監督としてあげたのは今村昌平。全作は観ていないがかなりの作品は観たそうだ。ボン・ジュノと今村昌平…やはりな、と思う。他に阪本順治の「顔」もあげていた。
by mchouette
| 2008-09-09 00:00
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