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LA BELLE NOISEUSE
1991年/フランス/237分 4時間近くもある本作完全オリジナル版は、この6月にジャック・リヴェット監督の「ランジェ公爵夫人」の公開記念として、上映劇場であるシネ・ヌーヴォで行われたジャック・リヴェット特集で鑑賞した。 16.7年前くらいになるんだろうか、劇場公開されたときに本作を観ている。 たしか、その時は短縮版だったのだろうと思う。 記憶が薄らいでいるけれど、べアール演じるアリアンヌの夫で画家である男が、高名な画家とお近づきになろうとしての下心もあってか、妻であるマリアンヌを画家のモデルに差し出しておきながら、その後で見せる未練たらしい嫉妬や狼狽とか、ジェーン・バーキン演じる画家の妻リズが、自分以外の女性、しかも自分とは全く異なるマリアンヌを前に夫が再び創作意欲をかきたてられたことに、表面上は理解ある態度を装いながらも、片方で夫を責め、その創作意欲に水を差そうとするといった、芸術の至高を前に、人間がみせるそんな狭小さや、三角関係にも似た愛憎ドラマっぽさも感じ、いささか後味の悪さを覚えた印象だけが残っている。正直言って、劇場公開作品では私は、このカンヌで審査員特別賞を受賞した本作についてはあまりいい評価はできてなかったように思う。 今回はオリジナル版ということで、私の当時の印象をもう一度確かめたい気持ちもあって鑑賞した。おぼろげながら16年前の記憶と重ね合わせてみると、ずいぶんと違う。というより、こんなシーンってあったっけ?って思う。やはり私が当時見たのは短縮版だったのだ! ![]() マリアンヌをモデルに、ミシェル・ピコリが演じる孤高の画家フレンホーフェル。 画家とはこういう風にまだ自分自身も見えないものを探りあてるかのように、灼熱の砂漠の中でじりじりとやかれながら一粒の原石を探すように、あるいは金の鉱脈を探し当てた手ごたえを求めるように、スケッチブックから、そしてさらにカンバスに向かいながら、鉛筆から、木炭へと変えながら、自らの内に張られた一本の琴線の上をそこから墜落しないようにゆっくりと、慎重に、その琴線を激しく震わすパッションの炎の源に向かって進んでいく…そんな画家の緊迫した空気が、画家がスケッチブックやカンバスに走らす鉛筆や木炭のざらついた音となって映像の隅々まで溢れている。 そして画家の歩みに呼応するかのように、モデルと画家が互いに共鳴しあうかのように、その距離、位置関係といったものが徐々に変化してくる。 このアトリエで見せる画家とモデルの間に流れる、ある意味闘いともいえる緊張。そんな画家とモデルが醸し出す息がつまるほどの空気。 心血を注ぐという言葉があるが、一つの芸術を生み出すとは、これほどのエネルギーを画家に要求するものかと、その映像にじっと魅入ってしまう。 極みを目指し、のぼり詰めるかのようなアトリエの中の壮絶ともいえる空気。 そしてそこから弾き出されてしまっているマリアンヌの夫や、画家の妻リザ。 そんな彼らのみせる嫉妬や狼狽が憐れなほどにかき消されてしまう。 私がかつて劇場でみた短縮版では、アトリエにおけるここまでの緊張感は描かれたなかったぞ!と思う。 画家が中断してしまった「美しき諍い女」の創作をめぐり、覆い隠してきたどろどろとした情念のようなものが画家の周りで膿のように滲み出てくる。 そしてその全てを封印してしまった画家の決断。 このアトリエでの濃密な、張り詰められた空気そのもの、画家とモデルの無言の、目に見えぬ闘いのドラマが「美しき諍い女」なのだろうと思う。 このアトリエのシーンはワンシーンも削除できないだろう。(なんで短縮したんだ!) 今回の完全版をみて、描きあげた絵を封印するに至った画家も、マリアンヌも、そしてリザも、それぞれの内面の有り様が受け止められた。 完全版237分は決して長くはない。 しかし、ラストのガーデン・パーティでべアールが画家の妻リザに謝るシーンは蛇足だと思うのだけれど…。このパーティは一つの風景としてサラリと流すだけでよいようにも思うのだけれど…。 そして画家を演じたミシェル・ピッコリ。 品のいい男性役よりも、どちらかというと、どこか卑猥さを持った役が多い方ではないかしら。そんな人間の生々しさを感じさせるような彼だからこそ、、エマニュエル・ベアールの女体の曲線の美と溢れるような生命力に肉体を対峙させ、この拮抗関係がいつ崩れるのかといった危うさを常に孕んだ緊張感と艶かしさも生まれたのだろう。 先日、シネ・ヌーヴォでオリヴィエラ監督作品がリバイバル上映されるのだけれど、「家路」の予告編をみていて、本作はテレビ画面では観ていた作品だけれど、こうしてスクリーンで見ると、初老の彼から柔らかさと深みを感じさせるいい雰囲気が漂っていて、そこに彼の内面の豊かさを見たような気がした。 そんな彼をみて、6月に見たままでそのままになっていた本作の感想をあげたくなった。 それから画家の妻を演じたジェーン・バーキン。 エマニュエル・ベアールがしなやかな女豹なら、バーキンは風にそよ吹く植物の風情。といいながら柳のようなしなやかさと打たれ強さを持っているのだろうけれど。体型も雰囲気も全く異なる二人の女優のこの組み合わせというのも興味深かった。 ジェーン・バーキンについては私はもっぱら彼女の愛想がないほどのシンプル・ファッションに眼がいっていたけれど…白い麻のワンピースが良かったな。実はそのままになっていた理由としては、リヴェット監督について私がリアルタイムで見たのは「美しき諍い女」から。その時は完全版ではなかったからが上述のように絶賛とまではいかず、その印象を引き摺って観た「Mの物語」は感想保留という状態だったけれど、その後、彼の初期作品「王手飛車取り」(1956)、「セリーヌとジュリーは舟でゆく」(1974)、「北の橋」 (1981)、「彼女たちの舞台」(1988) を見てすっかり気に入っていたのだけれど、監督特集で未見だった「嵐が丘」(1986)でゲンナリしてしまった。(「嵐が丘」のゲンナリの予兆は「彼女たちの舞台」でちらちらと感じるところはあったのだけれど…」、とにかくリヴェットもここまでか!と、その後鑑賞を予定していた「ジャンヌ・ダルク/I 戦闘」「ジャンヌ・ダルク/II 牢獄」(1994) は観る気が失せてしまい、本作「美しき諍い女」もなんだか記事を書く気が萎えてしまっていたところもあった。 しかし「美しき諍い女」で描かれたアトリエでの一つの芸術を生み出すドラマが見せる濃密な空気と時間を堪能できたのは大いな収穫だった。 原作はバルザックの「知られざる傑作」 監督: ジャック・リヴェット 製作: マルチーヌ・マリニャック 原作: オノレ・ド・バルザック 脚本: ジャック・リヴェット/パスカル・ボニツェール/クリスティ・ローレン 撮影: ウィリアム・ルプシャンスキー 音楽: イゴール・ストラヴィンスキー 出演: ミシェル・ピッコリ/ジェーン・バーキン/エマニュエル・ベアール/マリアンヌ・ドニクール
by mchouette
| 2008-08-22 00:00
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