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ルネ・クレマン監督「居酒屋」をみて、ずっと引っかかっていること。
「居酒屋」の続きです。 ルネ・クレマンはエミール・ゾラの原作「居酒屋」を忠実に映画化したといわれている。 そして原作を読んでいない私は、映画「居酒屋」の主人公であるジェルヴェーズという一人の女性の転落の人生を見ていて、彼女は結局はこういう風にしか生きられないんだろうなって案外と醒めた目で観ていて、そして彼女の転落はジェルヴェーズ個人の資質の問題というより、もっと根深いところにあるんではないだろうかと思えてきた。 彼女が生まれ育った貧困の土壌が、そういうふうにしか生きられない本能のように彼女に沁みこんでいるのではないだろうか。 この物語りの本当の悲劇はここにあるのではないだろうか。 そう思えて仕方がなかった。 エミール・ゾラは「居酒屋」を含め『ルーゴン=マッカール叢書』というルーゴン家という一つの家系にまつわる物語全20巻を執筆し、副題として「第二帝政下における一家族の自然的社会的歴史」と名づけている。 狂気の血をひくアデライードあるいはアルコール中毒者マッカールの血を受け継ぐルーゴン家の悲劇を社会のあらゆる階層を網羅して描こうとした作品だそうだ。 そして原作では、ジェルヴェーズの生い立ちなども詳細に描かれているそうだ。 しかし映画ではジェルヴェーズの生まれ育った環境とか彼女自身ついては一切描かれてはおらず、ジェルヴェーズの今しか描いていない。 ジェルヴェーズという一人の女性そのものに肉薄して描ききれていないのではないだろうか。そこを描いてこそリアリティではないだろうか……。そうも思ってみたけれど、どうもすっきりとしない「しこり」が残る。 ルネ・クレマンが描いていないにもかかわらず、観ている私は、ジェルヴェーズの中に貧困が生み出した悲劇を読み取ってしまう。そして娘のナナがこうした貧しい環境の中で、母親とは違う生き方をするにせよ、彼女もまた転落の悲劇を辿るであろうことを予感させるような映像でルネ・クレマンは本作の幕を閉じている。 戦争中、レジスタンス運動に参加したルネ・クレマンは、誰よりもこうした社会の貧困についても敏感であるはずなのに…。 そして描いてはいないけれど、観るものに、転落の人生が、さらに次の転落を生み出すという負の系譜といったものを匂わせている。 なぜなんだろう? どうも、意識的にそう描いたとしか思えない。 何故? やはり引っかかる。 ルネ・クレマンは、映画「居酒屋」で貧しき人々の人生あるいはその側面を描き出している。 一つはジェルヴェーズの人生。 そして、女優から高級娼婦になるそんな彼女の人生を予感させるそしてジェルヴェーズの娘ナナの人生の予感。 色男を武器に女から女へとヒモのように暮らすジェルヴェーズの最初の夫ランチエの人生。 がむしゃらに働くジェルヴェーズを前に次第に労働意欲を失い酒に溺れ自暴自棄の中で死んでしまうジェルヴェーズの2番目の夫クポーの人生。 組合運動に参加し、貧しき民のために闘っている鍛冶職人グージェの人生。 そんなグージェを父のように慕い、彼の元で自立の道を歩むジェルヴェーズの長男の人生。 「私の人生の清らかな部分は、こうして消え去った」二人を見送るジェルヴェーズの独白。 たとえ、どんな人生であれ、それぞれが明日を生き延びようとして生きている彼らの人生といえるだろう。 ジェルヴェーズにしろ、2番目の夫クポーにしろ、最初の夫ランチエにしろ、最初は貧しさから抜け出ようと一生懸命働いていたはずだった。 ジェルヴェーズが懸命に働いて洗濯屋を始め従業員も雇い、幸福に暮らせるはずだった。 クポーが酒びたりにさえならなければ…転落の理由を見つけよう思えばいくらでもあるだろう。 しかし、ジェルヴェーズの転落の悲劇は、あくまでもジェルヴェーズ自身の悲劇、彼女自身の転落としてルネ・クレマンは描こうとしたのではないだろうか。 自らの人生は自らが引き受けるべきものである。 いたって簡単なこのことが、ナチス・ドイツ占領下のフランスにおいて、どれだけ歪められていたか、自らの人生を捨て去った人を彼はいやというほどみてきただろう。ジェルヴェーズの転落の悲劇は、たしかに貧困が生み出したものかもしれない。 そして、そうした彼女の生い立ちや環境を描けば、観客はその貧しき生い立ちに涙し、その悲劇に納得し、ジェルヴェーズを抱きしめるだろう。 そしてそれは、ジェルヴェーズ自身を彼女の人生から逃避させることに他ならないことになるだろう。 転落するも、這い上がるも、たとえ宿命であったとしても、人は生れ落ちた時から自分の人生からは逃げられないということ。 自らが犯した過ちや罪も成功も、すべてブーメランのように自らに還ってくるということ。 人を批判すれば、その批判は自らにも刃をむけるということ。 ルネ・クレマンはあえて、そのために原作のジェルヴェーズの宿命につながる部分を排除したのではないだろうか。 「居酒屋」を記事にした後も、ルネ・クレマンは何故? 完結する物語にできたであろうに、何故に、それとわかるフラストレーションがおきることを承知で描いたのだろうか? ずっとひっかかっていて、今はこう受止める。 これを書くに当たっては、あえて原作は読まず、この作品を再見せずに書いた。 「居酒屋」の記事を書いたとき、ずっと「しこり」として残っていたものを、言葉にできました。 原作を読み、また映画を見直せが、また違う解釈が生まれるかもしれないけれど、これが今の私の感想。
by mchouette
| 2008-07-18 00:00
| ■映画
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