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LES QUATRE CENTS COUPS
1959年/フランス/97分 山田宏一著「<増補>トリュフォー、ある映画的人生」を読んで、堪らず観たくなり、マイシネマのDVD観ました。何度も観ているけれど、この本を読んでから観ると感慨一入です。 フランソワ・トリュフォー 26歳 長編初監督作品。 映画の冒頭でパリの街をずっとカメラが映し出している。そしてそこには様々な角度でエッフェル塔が見えている。 こんな風に、少年だったフランソワ・トリュフォーはパリ中の映画館をもとめて走り回り、 そして映画の中のアントワーヌ・ドワネルは学校をさぼり友人とパリの街を歩き回ったのだろう。 トリュフォーはエッフェル塔の見える角度で自分のいる場所を知ったそうだ。逆にエッフェル塔がみえないととても安心できなかったそうだ。 家出を繰り返していたトリュフォーにとって家の安らぎに似たものをエッフェル塔に抱いていたのだろう。帰るべき家を持たない彼にとってエッフェル塔は確かに方向を示してくれれる唯一の存在だったのだろう。 アンリ・ドカエのキャメラが映し出すそんなパリの街とエッフェル塔で始まる「大人は判ってくれない」 ![]() 映画以外のことは頭になく、ほとんど狂っているといえるほどの映画狂だった、両親からも学校からも不良少年の烙印を押されたフランソワ・トリュフォー少年は家出をし、友だちのロベール・ラシュネーの屋根裏部屋に住みつき、使い走りをしながら金を稼ぎ、カルチェラタンにいくつもあった小さな映画館のすべての会員になってシネマテークやシネマクラブに入り浸り、映画を観漁り、そんななかでトリュフォーはゴダール、リヴェット、ロメールたちとも顔見知りになる。 これらの上映会がどれも月曜日の夜に上映会をするので、友人のロベールと自分たちで映画クラブ「映画中毒者集会」を作り日曜日の夜に上映会を行った。映画批評家アンドレ・バザンもトリュフォーたちと同じ日曜日に上映会を行っていたため、トリュフォーは文句を言いにバザンに会いに行ったところ、二人は意気投合し何時間も映画の話をし、バザンを自分達の例会に招待した。 16歳のフランソワ・トリュフォーと30歳のアンドレ・バザンの宿命の出会いとなる。 その後、映画クラブの宣伝チラシからトリュフォーは親にみつかり感化院にいれられてしまうわけだが、バザンが保証人と後見人となって彼を感化院から救い出してくれた。 それからバザンが彼の父となり、兄とあり、最高の友となり、彼に映画批評の道を歩ませ、ることで、トリュフォーに好き嫌いでものをいうアマチュアのレベルから客観的に説得できるプロの道へと、映画への愛と感性を研ぎ澄ませ深めていく。 トリュフォーはゴダール、リヴェット、シャブロルらと旧来のフランス映画を批判を武器に殴り込みをかけ、特にトリュフォーはフランス映画に爆弾を投げつける恐るべき子供、フランス映画の「良質な伝統」を葬る破壊分子といわれ、「フランス映画の墓堀り人」と異名をとるほどの過激さをみせていた。 そんなトリュフォーに対する批判の嵐をアンドレ・バザンが壁となってトリュフォーに自由に発言させたという。 そんなトリュフォーが映画批評をする中で、僕ならこうつくるという彼の思い描く映画のビジョンが生まれていったのも当然の流れだろう。 そして、少年達のあわい恋心を瑞々しく描いた短編「あこがれ」を25歳で撮り、この生意気な批評家青年が作った初めての映画をこき下ろそうてぐすね引いていた者たちもいた中でこの作品は好評で映画界に迎え入れられた。 そして「あこがれ」で映画製作の勇気と感触を掴んだトリュフォーは2作目に長編映画「大人は判ってくれない」の制作に取り組む。 バザンの大きな愛のもとで、映画への愛を伸びやかに開花させていったトリュフォーにとって、バザンとの出会いがなければ、映画へのほとばしる情熱になんら方向性ももたず映画批判に終始するアマチュア映画狂のままパリの片隅で人生を終らせていたかもしれない。 そして10年間トリュフォーを育み導いていったアンドレ・バザンは、「大人は判ってくれない」の撮影初日の深夜に息を引き取った。 トリュフォーは本作の冒頭でアンドレ・バザンに献辞を捧げている。 ![]() バザンとの出会いがトリュフォーをプロとして映画の世界に導きいれ、そして「大人は判ってくれない」の主人公アントワーヌ・ドワネルを演じたジャン=ピエール・レオーとの出会いもまた、トリュフォーにとっては大きかっただろう。 <ジャン=ピエール・レオー>=<アントワーヌ・ドワネル>=<フランソワ・トリュフォー>として、トリュフォーはアントワーヌ・ドワネルを通して、日記を綴るように自らを語り、その生き方をそのシリーズのなかで模索していく。 14歳だったジャン=ピエール・レオーもまた、これは僕だ! この役は僕がやる。そう思ってオーディションを受けにきたという。 「大人は判ってくれない」がトリュフォー作品のなかでとりわけ強烈に焼きついているのは、それがトリュフォー自身の孤独な少年時代を描いた作品ということよりも、レオーがみせる表情の一つ一つに、両親から見捨てられた少年の、愛に飢えた孤独を感じ取れずにはおれないからだろう。 トリュフォーは本作を自伝的傾向に陥ることを避け、普遍的なものにするため、脚本をドキュメンタリーを手がけているマルセル・ムーシーと共同で行っている。 26歳のフランソワ・トリュフォーと14歳のジャン=ピエール・レオーの間にも、通じ合い信頼しあえるものがあったのだろう。 かつてバザンがトリュフォーの溶岩のよう熱かった原石を巧みに鋼に鍛えていったように、トリュフォーもまたジャン=ピエール・レオーの個性を巧みに引き出していったのだろう。 一度だけ両親と連れ立って映画を見た後に一度だけ幸福な笑顔を見せただけで、それっきりアントワーヌは本作でも、その後シリーズ化された作品でも決して笑わない少年として成長していく。 このアントワーヌが両親と観た映画が、トリュフォーが「大人は判ってくれない」の大ヒットの収益を製作資金にして完成にこぎつけたジャック・リヴェットの「パリはわれらのもの」はヌーヴェル・ヴァーグの友情だろうし、この映画をつくるというトリュフォーのアピールでもあったのだろう。そんなアントワーヌと対照的に、この映画の中で幼稚園ぐらいの子供達が夢中になって人形劇に魅入っている表情をずっと映し出している。子供たちの純真無垢な表情。 本来、子供時代とは、子供とは本来こんなにも無邪気な笑顔で驚きや喜びを全身で表現し、愛を育んでいくものだという、トリュフォーの熱い思いが込められているような場面だ。 娼婦達と一緒に護送車に入れられたアントワーヌが鉄格子ぞいにみつめる夜のパリの町。 町のネオンがどれほどの寂しさと孤独を少年の胸に突き刺さしたことだろう。 感化院に面会にきた友人のルネが未成年のため面会できなかったとき、ルネの名前を叫びながら窓ガラスを叩くアントワーヌの顔に愛に求める少年の悲痛な叫びが伝わってくる。そして感化院で精神科医との面談のシーンで、 「女と寝た?」という質問で彼がみせたあの表情! 自分の生い立ちを淡々と語りながら彼がみせる仕草の一つ一つ! 「母は僕を堕ろしたかったんだ。生まれてきて欲しくなかったんだ」 愛なくしてこの世に生まれてきた存在だということを知った子供の孤独感と、愛に対する飢餓感を大人はどれほど判っているのだろう。 子供は大人が思っている以上に、大人の世界を敏感に感じ取り、大人は判ってくれないけれど、大人たちの思惑に順応させていこうとしているか、アントワーヌが精神科医に語りながらみせる表情や仕草に見事に描き出されている。 このシーンはインタビュー風にレオーだけが映し出されたシーンだが、撮影時はトリュフォーが質問してレオーが答えるという形で行われ、後から声入れをしたそうだ。アントワーヌが感化院を脱走し、海に向って黙って走り波間を走り、そしてアントワーヌは挑むようにカメラと観客のまえにたつ。 「ぼくは生きている! これからも生き抜いてやる!」 母の愛を求め、大人たちや世間の枠に自分を馴染ませていこうとしてきたアントワーヌの、世間や大人たちへの訣別だろう。 私にはアントワーヌのそんな言葉が聞こえてくる気がする。 監督: フランソワ・トリュフォー 製作: フランソワ・トリュフォー 脚本: フランソワ・トリュフォー/マルセル・ムーシー 撮影: アンリ・ドカエ 音楽: ジャン・コンスタンタン 出演: ジャン=ピエール・レオ/クレール・モーリエ/アルベール・レミー/ジャン=クロード・ブリアリ/ギイ・ドゥコンブル
by mchouette
| 2008-07-15 00:00
| ■映画
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