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IN THE VALLEY OF ELAH
2007年/アメリカ/121分 at:TOHOシネマズ梅田 前作「クラッシュ」で見事にオスカーを獲得したポール・ハギスの監督2作目はイラク帰還兵のPTSD(心的外傷ストレス障害)をテーマにした映画。 兵士達のPTSDそして捕虜や民間人に対するアメリカ兵たちの犯罪行為については、少ない情報ながら報道写真とか特集記事等である程度は知っている。しかしベトナム戦争の時と比べると報道で知らされることは絶対的に少ない。 先週末に見に行こうと梅田まで出て行ったものの、この重いテーマの映画で描かれる現実と、私との間に大きな開きを感じ、座席に座ってみている私は何なんだって思うとどうにも劇場に足が向かずに観ずに帰ってきた。 後日、友人から携帯に「“告発のとき”観てきました。未見なら是非観てください」というメールが入り、そんなメールに背中を押されて、「やっぱり観なくっちゃ」という思いから観てきました。 やはりこういう映画を観るとあれこれ思ってしまって、とりとめない文章になってしまうけれどともかくも思ったことを書き綴りました。 ポール・ハギス監督は「これが戦争の代償だということ。多くの代償のひとつだということ」だと語っている。 前作の「クラッシュ」では人種の坩堝・ロサンゼルスを舞台に、アメリカが抱える人種問題をテーマに病めるアメリカとそこに生きる人々の姿を浮き彫りにし、脚本とその演出に職人を感じさせ、初監督作品で見事オスカーを獲得したポール・ハギス。(この年のアカデミーはアン・リー監督の「ブロークバック・マウンテン」とポール・ハギス監督の「クラッシュ」のまさに一騎打ちだったことは記憶に新しい。) 脚本家としても「ミリオンダラー・ベイビー」「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の脚本も手がけている。こんな彼の仕事を見ていると、ポール・ハギスはアメリカという国の病巣と、そこに暮らす人々の内なる闇を見据え続けている人だといえるだろう。 イラクに従軍した兵士達のPTSDを描いた本作「告発のとき」。 米プレイボーイ誌に掲載されたマーク・ポールのルポ「死と不名誉」を元にした映画化。 殺害を犯した兵士達のうち3人は演技経験のない元兵士を起用して、リアルな雰囲気にこだわったのだろう。ポール・ハギスの中にはフィクションではないという思いもあったのだろう。 …………………………………………………………………………… 2004年、元軍人警官のハンクは息子のマイクがイラクから帰還後に失踪したとの知らせを受ける。ハンク夫妻はマイクの兄を軍隊の演習事故で亡くしており、彼はたった一人の子供だった。 ハンクの耳にイラクから架かってきたマイクの電話の声がこびりついていた。ハンクはじっとしておれず軍のある町に出むき、女刑事エミリーの助けを借りて自ら息子の行方を捜そうとする。 物語は、息子を探すハンクと共に失踪の真相に近付いていく。 そして父親がたどり着いたのは、イラクに派兵された兵士たちの精神の破綻そしてアメリカ兵の捕虜虐待や民間人に対する残虐な犯罪行為だった。 殺害を自白した兵士は言う「明日だったら俺がマイクだったかもしれない」と。 マイクの携帯電話に残されていた捕虜に対する虐待行為と、それを面白がっている息子マイクの顔。「そうやってマイクはあの戦場で耐えていたんだ。」マイクを殺害した兵士はそう答えていた。誰がマイクになってもおかしくはない。マイクも彼ら加害者であり被害者であるということ。 マイクを殺害した兵士たちも、その後で空腹感からファースト・フード店でチキンを平らげている。「太陽がいっぱい」でもアラン・ドロンが殺人を犯した後、台所でチキンを貪り食う場面が印象的だった。殺人犯は、人を殺した後に急激に食欲が襲ってくるそうだ。 殺人のあとの食欲も、本当の殺人事件と同じようです。殺人犯は、人を殺した後に急激に食欲が襲ってくるそうです。日本の警察も、現場での死体の検死は、自殺と他殺の区別が困難な場合に必ず冷蔵庫の食べ物を確認するそうです。(ブログ「時代の情景」~<『太陽がいっぱい』~犯罪動機「貧困とコンプレックス」~>より抜粋させていただきました。) そうやって人は自分とその現実を切り離そうとするのだろう。人間の脳がそのトラウマに対処しようとするメカニズムだそうだ。 兵士たちがマイク殺害を客観的に淡々と語るシーンも描かれている。これも紛れもなくPTSDの症状だそうだ。 現在の調査ではイラク帰還兵の1/3はPTSDの兆候を示しているという。 しかし彼等ひとり一人が抱える闇の深さは誰にも推し測れないだろう。 ベトナム戦争では、報道カメラマンたちが大挙してベトナムに行き、その惨状を伝える写真や報道をリアルタイムといっていいほど目にし耳にしてきた。そしてベトナム戦争をひきがねにした反戦運動は大きな社会潮流となっていった。 しかしベトナム戦争以降、湾岸戦争にしろイラク戦争にしろ、いち早く報道規制が敷かれたという。こうした戦争の実態は日本にいる私たちにほとんど伝わってこない。 アメリカ人にも伝わっていないのではないだろうか。 マイクが戦地の地獄絵図に耐え切れず、父親に「ここから連れ出して!」と泣きながら電話をしてきたとき、「神経質になり過ぎているんだよ。頑張れよ。」と息子に応えた父親。 従軍経験のある父のハンクですら想像を絶するようなイラクという戦場。 そして精神を破綻させている兵士たち。 ベトナム戦争をテーマに、マイケル・チミノは「ディアハンター」でこの戦争がアメリカ人にどれほどの深い傷をもたらしたかを描き、フランシス・フォード・コッポラはその狂気を描き、キューブリックはその愚かしさを描いた。ベトナム戦争で兵士達の心の闇を描いた作品がどれほど多く作られたか。そして彼らはドラッグで戦場の狂気から逃れようとした。 湾岸戦争の帰還兵の原作を元にした映画「ジャーヘッド」では、「赤い飛沫を見たい」とその欲望を募らせ、一度手にしたライフルの感触は帰還した今も手に刻み込まれていると独白する。 「告発のとき」でも、ハンクが息子と同じ部隊にいた兵士と語る場面があった。その兵士は「早くここから逃げ出したいと思うけれど、帰還してしばらくするとイラクに戻りたくなるのは何故なんだろう。」と語っている。 戦場という地獄には極限の狂気と快楽が共存しているんだろう。 ベトナム戦争以後、アメリカでは徴兵制度が廃止され、イラク派兵たちの多くは貧困層の若者や移民たちだという。いまや戦争は民営化され、戦争請負業界ではイラクは「ゴールド・ラッシュ」と言われている現実。(「貧困大国アメリカ」堤未果:岩波新書) そしてイラクに従軍した兵士たちはPTSDという傷を負い、生き延びて祖国アメリカに帰ってきた兵士たちは、戦争を日常の中に持ち込んでいるという現実。 第二次大戦を経験した兵士達の子供たちがベトナム戦争に従軍し、そしてベトナム戦争を経験した世代の子供たちがイラクに派兵されている。 第二次大戦以降、アメリカという国は戦争を続けてきた国であることをいやでも知らされる。 そして、そんな戦争のトラウマに苦しむのは国民一人一人だということ。 ベトナム戦争では枯葉剤の後遺症やドラッグ中毒に苦しむ兵士たちがいた。 ベトナム戦争における枯葉剤とその障害をもって生まれてきた子供たち。ベトナム戦争終結後30年たった今も解決されていないというこの問題を描いたドキュメンタリー「花はどこへいった」も大阪で公開されている。(第七藝術劇場)そして国の名誉の元にベトナムに従軍し帰還した兵士たちを待っていたのはベトナム戦争に抗議する世論だった。そしてイラク戦争によるトラウマが兵士のみならず、その家族、日常生活までもが悲劇に落とし込んでいく。 作中で、帰還兵の妻が、夫の異常な暴力を訴えに警察を訪れても、軍の管轄なので警察では対応できないと言われる。結局、この妻は夫によってバスタブで溺死させられるという悲劇も描かれていた。しかし、ここでも民間人を対象とする警察と軍警察の厳格な線引きがあり、軍警察はこうした事実は隠蔽し、警察が手が出せない領域であるという実態も浮かび上がる。 イラク戦争に限ったことではない。それまでのさまざまな戦争がどれだけ人間の精神を破綻させていくか、いくつもの映画で描かれ続けてきた。戦争によって兵士たちが心に負った闇の深さは計り知れないほどにまで兵士達の精神を蝕んでいるという実態が、イラク戦争の中でようやく浮き彫りにされてきたといえるだろう。 かつて第二次大戦ではあった、この戦争の意義というものが、いまやイラク戦争においては、その戦場において兵士たちは何のために戦っているのかという、自らを正当化するものがなにも見出せないという無間地獄に陥っているのだろう。 それでも戦争をやめようとしない人類は、こうして自らを破綻させていくのだろうか。 この映画を犯人探しのサスペンスとかミステリー映画と期待してみるなら本作は物足りない映画だろうし、そういう映画ではないだろう。 「ディアハンター」ではロシアン・ルーレットの場でロバート・デ・ニーロが精神が破綻したクリストファー・ウォーケンと向き合うシーンでは胸が締めつけられる思いをした。 でも「ジャーヘッド」といい、本作「告発のとき」といい、立ち尽くすしかない思いに囚われる。 ベトナム戦争を「アメリカの狂気」と呼ぶならば、イラク戦争はどう語ればいいのだろうか。 終わりが見えない戦争。 今、世界で起きている戦争や内紛をみても終わりが見えない殺戮が繰り返されている。 こうした戦争が、ここまで人間の精神を破綻させてしまう。 原作となったマーク・ポールのルポで、殺害犯である兵士はイラクに行く前は妻子もある優等生的な兵士だったという。 かつては明確だったろう非日常と日常の境界が揺らぎ、今、その境界すらも消えかかっている。そんな裂け目が地球という世界のあちこちで拡がっている。 日経新聞の映画評で「アメリカの正義とは何なのか。それを掘り下げるには、混迷のイラク側からもきっちり描かなければないない。そんな映画をいずれハギス監督が撮ってくれるものとぼくは期待している。」とエッセイストの武部好伸氏がこんな言葉でこの映画評を締めくくっていた。 グローバル社会の現代。世界がボーダレスとなり、その恩恵を受けている私たちには、世界で起きている悲惨な現実についても向き合う姿勢もまた求められるだろうと思う。 …………………………………………………………………………… 「クラッシュ」でポール・ハギスは、警官役を演じたマット・ディロンをはじめ出演した俳優たちからそれぞれに新たな魅力を引き出していた。本作でもそれを感じた。 失踪した息子を捜し求める父親ハンク役のトミー・リー・ジョーンズは勿論のこと、その妻役のスーザン・サランドン。息子の遺された遺体を見届けた妻と廊下をゆっくりと歩く二人。その途中で悲しみを抱きしめるように、黙って抱きあう二人の姿。駅に着いたとき、車を降りた妻は車にいる夫を振り返らずに雑踏に向かって歩いていく。その後姿を見送る夫。父親にならって軍人になった二人の息子が二人とも死んでしまった。夫と悲しみを分かち合えることのない妻の悲しみ。 二人の寡黙な演技に、長年連れそった夫婦の姿がある。息子を失った夫、妻それぞれの悲しみ。諦念にも似た夫婦関係。 そして本作でシングルマザーの女性刑事を演じたシャーリーズ・セロン。 「モンスターズ」では特殊メイクと体重を増やしての熱演だったけれど、本作では素のままで地味だがひたむきさを感じさせ、30歳を過ぎ大人の女性の落ち着きも見せこれからの彼女の出演作も注目したい。 そして数分間の登場だったけれど、軍を尋ねたハンクに対応する軍曹役のジェームズ・フランコも甘いマスクを抑え、物腰のやわらかさの中に、彼も戦場に赴けば人間が変わるんだろうなって思わせるものを感じさせる雰囲気を持っていた。 監督: ポール・ハギス 製作: ポール・ハギス パトリック・ワックスバーガー スティーヴ・サミュエルズ ダーレーン・カーマニョ・ロケット ローレンス・ベクシー 製作総指揮: スタン・ヴロドコウスキー デヴィッド・ギャレット エリック・フェイグ ジェームズ・ホルト エミリオ・ディエス・バロッソ 原案: マーク・ボール ポール・ハギス 脚本: ポール・ハギス 撮影: ロジャー・ディーキンス プロダクションデ ザイン: ローレンス・ベネット 衣装デザイン: リサ・ジェンセン 編集: ジョー・フランシス 音楽: マーク・アイシャム 出演: トミー・リー・ジョーンズ/シャーリーズ・セロン/スーザン・サランドン/ジョナサン・タッカー/ジェームズ・フランコ/フランシス・フィッシャー/ジョシュ・ブローリン/ジェイソン・パトリック/ジェイク・マクラフリン/メカッド・ブルックス/ヴィクター・ウルフ/バリー・コービン
by mchouette
| 2008-07-09 00:00
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