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LENINGRAD COWBOYS MEET MOSES
1994年/フィンランド/95分 本作でアキ・カウリスマキは映画人生で初めてともいえる世間の風当たりの強さを味わうことに……。 前作でメキシコに行ったままのレニングラード・カウボーイズを、モーゼが虐げられしユダヤの民を率いてエジプトを脱出するという旧約聖書「出エジプト記」を下敷きに、モーゼなる人物に導かれてレニングラード・カウボーイズが故郷のロシア(という設定)をめざして旅をするというロードムーヴィー。 全員観光ビザでアメリカでの撮影をやってのけた前作のアメリカ編と比べ、今回は45人のチームを引きつれ、アメリカ、フランス、ドイツ、チェコ、ポーランド、カザフスタンの3大陸にまたがる大規模ロケ。しかし、それをたった6週間で敢行したというこの短さも原因の一つか。 「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」でカルト的人気を博したものの、柳の下に泥鰌は2匹はいないぞ! ![]() メキシコの成功も今となってははるか遠くへ。 訳の分からん展開の前に、既にしてメキシカンの格好したレニングラード・カウボーイたちの冒頭シーンで「違うやろう!」と思ってしまった。アメリカ篇で漂っていたカルト的な雰囲気はなく、彼らの動きも凡庸で、映像からリズムが感じられないのが致命的。 静かは静かなりに、暗ければ暗いなりに、いい映画って映像と観客を結びつける何かしらのリズムがあるもんだ。 素直にモーゼの十戒とかを現代バージョンにして描いていけば面白かったのに、などと思ってしまう。 モーゼとメンバーのレーニンが、聖書VS共産党宣言(だと思う。違ったらゴメン)のシーンなんかは面白かったけれど、これとてマルクスやレーニンを知らない観客だったらなんのジョークかも分からないだろうに。 面白い場面もいくつかはあったけれど、それとて単に面白いだけで、彼の独創性やバンドのキャラが見えてこない。 思いつき段階でを映像化していったような……。 彼の中で素材を完全に消化し切れないままに見切り発車してしまったのではないかしら。 それとも前作のように、その場の即興の新鮮さを今回も狙ったのだろうか。 ともかくも、本作の失敗で彼は映画をやめようかともマジで考えるほどの打撃を受けたようだ。 そして「コントラクト・キラー」以降フィンランド以外に映画製作の場を広げていたアキが、「自分が一番よく知っている国で撮影すべき」と、これ以降彼はフィンランド以外で撮影を行うことはなく、フィンランドを舞台に「浮き雲」「過去のない男」 「白い花びら」 「街のあかり」を撮っている。 そうみると「浮き雲」からの彼の作品には、人間に対する温かみのある眼差しで彼らを見守るカウスマキの視線があるように思うのだけれど。 僕はコミュニストだと自らのスタンスを明確にし、社会に抵抗し反撥していた若者は、今ではその社会に賞賛されて受け入れられる存在になっている。そんな彼自身の不条理をカウリスマキはどのように捉え、さらに何を表現していこうとしてるんだろう。 カウリスマキの作品を見直していて、ちょっとそんなことを考えてしまった。映画と距離をとろうとしているようなポーズも見えるけれど。 「街のあかり」に対するメッセージでカウリスマキは「主人公にとって幸いだったのは、この映画の監督が心優しい老人であったということです。」と自らを老人と称した彼の言葉が思い出される。 監督: アキ・カウリスマキ 製作: アキ・カウリスマキ 原案: サッケ・ヤロベンバー 脚本: アキ・カウリスマキ 撮影: ティモ・サルミネン 音楽: マウリ・スメン 出演: マッティ・ペロンパー/アンドレ・ウィルム/ザ・レニングラード・カウボーイズ
by mchouette
| 2008-07-06 00:00
| ■映画
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