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LACOMBE LUCIEN
1973年/フランス・イタリア・西ドイツ/ 本作を観ていると、ルイ・マルがこの作品の15年後に撮った「さよなら子供たち」(1987)の中で描かれなかったもう一つの青春がここにあることを強く感じる。 「さよなら子供たち」は、1944年のナチス占領下のフランスを舞台に、疎開でパリから遠くはなれた修道院の寄宿舎生活で起きた戦争の悲劇を描いたルイ・マルの自伝ともいえる作品。 この寄宿舎で暮らすのは富裕層の子供たち。そしてそんな彼らとあまり年齢の変わらないジョセフという若者が、この寄宿舎で下働きの料理番をしていた。闇屋に通じ抜け目のないジョセフは寄宿舎の生徒たちにとっては、調達屋として便利な存在だった。しかし富裕階級の生徒たちにとってジョゼフは労働者階級の人間。階級社会の根強い社会にあって、富裕層の生徒たちにとってジョゼフは便利な存在である一方、見下し揶揄する存在でもあった。 階級差別という意識すら彼らにはなかったのだろう。そんな子供たちにことあるごとに反撥し、ジュリアンの兄たちとの間で常に小さな諍いがあった。そしてある日、ジョセフの所業がばれ彼は学校から解雇されてしまうが、生徒たちには品物が没収され厳重注意だけだった。 そのことを契機にジョセフはゲシュタボの手先となり、寄宿舎で修道僧たちが匿っているユダヤ人生徒たちをゲシュタボに密告し、自らもスーツ姿でジュリアンたちの前に現れ、虐げられた者の憎悪を顕にする。 戦争よりも母親と離れる淋しさで頭が一杯だったまだ子供だったジュリアンは当時のルイ・マルだろう。当時のジュリアンことルイ・マルにとって、友や先生を密告した裏切りに対し人として許せない憤りはあっても、階級差別といった認識までは至らなかっただろう。 大人になったルイ・マルが味わったこの時の悲劇は、彼の記憶から消えることがなかっただろうが、その一方でジョゼフという一人の少年を思うとき、胸に痛みを感じずにはおれなかったのではないだろうか。 パリ五月革命。政治の季節を経、40歳になったルイ・マルが、自分自身を語ろうとした時、無邪気だったこの時代は痛みを伴うイニシエーションだろう。 ジョゼフをゲシュタボに走らせたその一端は僕たちの無邪気さの中に潜んでいた! ルイ・マルの中にはそんな思いが蘇ってきたことだろうとは、私の勝手な推測に過ぎないけれど……。 「さよなら子供たち」を観ていて、寄宿生たちのジョゼフへの、明らかに住んでいる階級の違いからくる差別的言動…これがジョゼフの憎悪を助長させ、彼をファシズムの側に走らせるのだけれど…がずっと引っ掛かっていたから余計にそう思ってしまうのかもしれないけれど。「だれひとり気のついていなかったこと、しかも人間の気のついていたいっさいのことよりはるかに重大だったことが起こった。」 ロベール・ブレッソンの「ラルジャン」の原作であるトルストイの「にせ利札」で語られている、こんな言葉と、そしてラルジャンが富裕層たちによって、どんどん社会の闇に押しやられていく様をみるにつけ、「さよなら子供たち」と「ルシアンの青春」が思い出される。 ……………………………………………………………………………… 「ルシアンの青春」は「さよなら子供たち」と同じ1944年。 連合軍がノルマンディ上陸を敢行した直後のフランスの片田舎。 ラジオからはナチス・ドイツに協力するヴィシー政権がドイツ軍優勢のニュースを伝え続けていた。 1944年6月。病院で雑役婦として働く17歳のルシアンの姿があった。 そして、「1944年10月12日ルシアンはレジスタンス側の裁判で銃殺刑に処せられた」という字幕でルシアンの物語りは終わっている。 4ヶ月の間にルシアンに何が起きたのか。 休暇で家に帰ったルシアンだったが、父は捕虜となっており、母は雇い人の農場主と関係をもっており、病院の仕事を辞めたいというルシアンに、農場主の機嫌を伺う母親はルシアンに病院に戻るように諭す。レジスタンスに志願するも年齢が若いという理由で拒否される。 しぶしぶ病院に戻る途中で自転車がパンクしたためルシアンが歩いて町についた頃には外出時刻が過ぎた夜になり、スパイ容疑でゲシュタポの本部がある屋敷に連れて行かれる。そこではナチの協力者たちが、終末を予感しつつ刹那的な享楽に浸る世界だった。ルシアンの知らない華やかな世界。 ルシアンは何の認識もないまま、彼らに請われるままに、ルシアンの参加を拒んだレジスタンスのリーダーの名前を彼らに答えてしまう。彼らに連行されたリーダーからルシアンは裏切り者と罵られる。 母親からも同胞からも厄介者扱いされ、裏切り者扱いされたルシアンが世間に対し背中を向き始めだすのが見えてくるようだ。自分の存在が認めてもらえず、否定までされるということが、人間にとってどれほどの不幸と失意を抱かせるか! 田舎で狩猟をしているルシアンにとって銃の扱いは長けており、そんなルシアンを誉め仲間として笑顔で受け入れてくれたのはゲシュタポ本部にいる同胞たちだった。フランス人でありながら敵国ドイツに協力している彼らには、ルシアンと同じどこか世間からはみ出した者たちだけが放つ匂いがしていた。 ゲシュタボの手先となって働き始めたルシアンを仲間は一人前の人間として扱ってくれた。用事で町に来た母はそんなルシアンを心配するが、ルシアンはここがいいんだという。 ナチス・ドイツに協力しようとする意識もイデオロギーもルシアンにはなく、下層階級で虐げられて生きてきた者にとって一人前に扱われ存在するということ。これがどれほどの幸福をルシアンにもたらしたことか。それが地獄へ向かっているとしてもだ。 ある意味、ルシアンは無垢な若者といえるだろう。その無垢さゆえ、世間に媚びることを知らず、ために世間からはみ出してしまったといえるだろう。 ナチスの手を逃れフランスのこの田舎でゲシュタボに協力する貴族によって匿われていた富裕なユダヤ人男性と出会う。彼は人間の誇りを持って生き、ルシアンを「あなた」と敬意をもって呼び常に礼儀正しい態度でルシアンに接した。そして彼の一人娘フランスに抱いたルシアンの恋心。ルシアンは彼らと過ごす時間が彼に人間性をとりもどす時間でもあっただろう。 フランスの父が捕まり収容所に送られ、次いでゲシュタボによるユダヤ人狩が始まり、フランスと祖母も連行されようとした時、ドイツ軍に同行したルシアンは兵士を撃ち殺し逃亡を図る。スペイン国境近くの森の空き家に身を寄せた三人は、そこでしばしの安らぎの時を持つ。緑の生い茂る草原でフランスと伸びやかに愛を交わし、無邪気に遊び戯れる日々。 陽光が煌き、フランスは川で水浴びをし、その傍らでルシアンは草むらに寝そべっている。 突然フランスが驚愕の表情をみせる。 それにかぶさるように、眩しい陽光の中でルシアンがはじめてみせる幸福に満たされたまどろみの表情。 ルシアンは逮捕され、そして処刑された。 ルイ・マルは本作のラストの映像をルシアンの幸福で美しい表情で終わらせている。そして冒頭でも田舎に帰るルシアンが長い坂道を自転車で疾走するシーンを映し出している。ルシアンという一人の若者が、戦時下といえ伸びやかで輝くような青春の時間があってもいい、この不幸な若者ルシアンに対するルイ・マルの精一杯の愛情だろう。 流れる音楽も素晴らしい。 映画情報によると、ルシアンを演じたピエール・フレーズは一般から公募で選ばれ、映画館に行ったことも映画を見たこともなく、ルシアンの生きた第二次大戦下のフランスについての歴史的な知識も持ち合わせていないという。 まさにシャイな無垢さと野性の粗野を併せ持ったルシアンそのままの若者といえるだろう。 しかし彼は本作完成の2年後に交通事故で亡くなったそうだ。 「さよなら子供たち」のジョゼフにルシアンの面影を見出すのは気のせいだろうか。 「さよなら子供たち」とは又違う、一人の若者のすがるような生を描いたともいえる「ルシアンの青春」は、悲劇のなかにも瑞々しい美しさでもって私を感動させる。
by mchouette
| 2008-06-22 00:00
| ■映画
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