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PROXIMA SALIDA
2004年/アルゼンチン/110分 at:第七藝術劇場 アルゼンチン発の映画ってまだまだ馴染みが薄い。ブログで紹介したのも犬とおじさんのハートウォームな作品「ボンボン」くらい。 他に観たのは「僕と未来とブエノスアイレス」それぐらいかな。まだまだ映画製作を取り巻く状況は厳しいようだ。 そんな中で1970年生まれの若手ニコラス・トゥオッツォ監督の「今夜、列車は走る」は、静かで淡々と描かれた作品だけれど、胸にガツンときた作品。 彼の長編デビュー作でもある。 「ボンボン」でも思ったけれど、本作のような作品みると、地にしっかりと足着いた味のある作品を作り出しているアルゼンチンで頑張っている映画人たちに拍手を贈りたくなる。 ……………………………………………………………………… 民営化の嵐が吹き荒れた90年代のアルゼンチン。 鉄道も民営化され赤字路線の廃止によって8万人が突然、職を失ったそうだ。 幾つも消えていった地方の町の小さな鉄道。鉄道が消えた地方の小さな町の一つが舞台の物語。 人生は決まっている。突然に言い渡された路線廃止の決定通知に、鉄道員たちは憤りを感じるが、給与の遅配も続いており、このまま抵抗してもと、補償金と引き換えに自主退職書類にサインをして鉄道を後にする。自殺した鉄道員もいるし、一人頑固一徹にサインを拒否し鉄道の修理工場で寝起きする者もいる。 物語は、そんな5人の鉄道員たちとその家族を描いている。 アルゼンチンはラテンアメリカ有数の鉄道大国で、そこで働く鉄道員達も祖父の代から鉄道員という家庭も少なくない。 この町の男たちも鉄道員としての誇りを持って来た男たち。 そんな彼らが失業によってまともにうける世間の荒波。 鉄道と共に生きてきたものにとって、鉄道がなくなることは自分の存在そのものがなくなるということと同義に近いものだろう。いままで当たり前にあったことが、突然なくなった。その絶望感ははかり知れない。そのことを彼らは失業して初めて味わう。 経済不況にあえぐ中、おいそれとは仕事は見つかるはずもない。民営化で不況のなか、新しい職が見つかるわけもなく、社会保障もなくなり、解雇ではなく自主退職のため失業補償も受けられず……。 自主退職が何を意味するものかを思い知る……。 器用に立ち回った者の裏切り行為も知る……。 この映画はフィクションだけれど、ニコラス・トゥオッツォ監督は脚本を書くあたり元鉄道員たちから話を聞き、彼らの思いや実話がエピソードとして映画の中に散りばめられている。 失業後の彼らの姿は、時として悲哀を感じさせるシーンなどもあるけれど、案外とユーモラスに描かれている。嘆く以上に、何をすればいいのか考えつかないといったほうが当たっているだろう。抵抗もせずにサインしてしまった不甲斐なさを責める気持ちに陥る。 鉄道員としての誇り、人間としての尊厳さえも失ったかのように立ち尽くすしかない。 自分に対しても、これからの人生に対しても前向きでなくなっている大人たち。 困窮の果て、一人の鉄道員がスーバーを襲撃するという事件が起きる。そして人質となったのが、元鉄道員で同僚という皮肉な事件。 元鉄道員たちがなぜ? と事件現場は警察が取り囲み、マスコミが殺到し、一触即発の雰囲気。 そんな大人たちに風穴を開けるかのように、襲撃現場のスーパーマーケットの前に敷かれた廃線となった線路の上を列車が通過していく。 「列車は僕たちのもの」 列車に書かれたメッセージ。3人の若者が運転する列車は大人たちの前を走る。そのうちの一人の少年の父親は鉄道員で、少年も鉄道員になることを夢みていた。そんな父親が絶望から自殺し、彼はずっと父の死を自問していた。 父さんが言ったように運命は変えられないのか? 呆然と立ち尽くす大人たちの目の前を走る列車は、彼らの人生、誇りの象徴。けれどスクリーンいっぱいに映し出された列車の姿は、いかにも感動的という風には描かれておらず、むしろ静かにゆっくりと映し出されている。けれど、だからこそかな、観ている私ですら、思わず胸が熱くなる思いにさせるほどインパクトある感動のシーン。 こんな形で少年は絶望感の漂う今という時間に向かって石を投げた。それは大人たち一人一人の胸にガツンとぶつかり揺さぶったことだろう。 そこに監督の、アルゼンチンの状況を冷静に見つめた上で、答えなどまだ見つからないけれど、出口はきっとあるはずなんだ!という熱いメッセージをひしひしと感じる。 90年代のアルゼンチンにおける急激な民営化の背景には、1989年に就任したメナム大統領の親米政策による新自由主義政策の推進がある。その結果、外貨が導入され自由競争の名の下で鉄道をはじめ人々の生活基盤ともいえる石油、郵便、ガス、水道などが次々と民営化されていき、その結果、大量の失業者を生み出されていった。失業率が高まる一方で、外貨で潤う企業や実業化が増え、貧富格差が拡がって行った。 現在のアルゼンチンは予断を許さないまで、徐々に回復しているというものの、まだまだの映画のような状況は続いているんだろう。 日本でも民営化が進む中、ここで描かれている鉄道路線の廃止も日本でも大いに問題となっている。アルゼンチンほどの急激な変化はないといえ、決して他人事ではない社会状況。 本作は、決してハッピーエンドではない。 少年たちが投げた石をどう受け止めるのか、 波紋が波紋のままで消えていくのか、 トンネルの向こうには出口はきっとあるはずだ。 そんなメッセージで終わる本作。 本作のアイデアが出てきたのは1998年ごろ。脚本執筆に1年。ロッテルダム映画祭に出して奨学金を獲得したり、アルゼンチンのサン・ルイスの脚本賞に応募したりと資金調達に奔走し、撮影に入ったのが2003年、完成は2004年。約6年の道のりがあったわけだ。 ロケは脚本賞で優勝したサン・ルイス。賞金の条件はサン・ルイスでのロケが条件だった。サン・スイスもまた廃線となった町でもある。 本作に感動し日本での上映に尽力された、<渋谷からラテンアメリカ映画を発信する!>action inc.の比嘉世津子さんにも拍手と感謝です 監督: ニコラス・トゥオッツォ 製作: マルコス・ネグリ/ パブロ・ラット 脚本: マルコス・ネグリ/ ニコラス・トゥオッツォ 撮影: パブロ・デレーチョ 音楽: セバスティアン・エスコフェット 出演: ダリオ・グランディネッティ メルセデス・モラーン ウリセス・ドゥモント パブロ・ラゴ バンド・ビリャミル オスカル・アレグレ バレンティナ・バッシ ルクレシア・カペーリョ
by mchouette
| 2008-05-09 00:00
| ■映画
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