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YOUNG ADAM
2003年/イギリス・フランス/98分/ R-18 「語るべき何かが過去から自分を見ていると思える瞬間がある……通りを歩いていると、窓の背後にだれかがいてこちらを眺めているといった具合にそいつは外を見ているのだ。 過去の時間、過去の行為が薄気味の悪い孤立性を獲得する。 それらとそれらを回想する自分との間にもはや連続性は存在しない。」 ……こんな書き出しで始まる原作「ヤング・アダム」(浜野アキオ訳) ![]() 始まりも終わりもない。 ジョーという作家崩れの一人の青年の、自分と、そして自分の前を通り過ぎる者たちと自分との関わりを、その過程を、淡々と見つめるジョーの眼差しが描かれている。始まりもなければ終わりもない。 つねに世界と不調和あるいは失調する、どこにも行き所のない空疎さを抱えたジョーの、自分と自分に起きた出来事を、運河にゆらゆらと漂うような、運河の水の底で起きた出来事のようにじっと見つめている、そんな浮遊感の伴った重さが沈鬱なトーンとなって物語に色濃く漂っている。 音楽を担当したデビッド・バーンの主題歌が、観ている私にじわじわと纏わりつく。決して嫌な感覚ではない。映像から受ける不安定さに共鳴するような鈍さで惹きつけられる。<サントラを買ったほど> ジョーは人間のもつ情感というものに対し不感症のような……彼にとって女との結びつきさえ生理的欲望のセックスだけであるかのような…。一緒に暮らしたキャシーにさえも、暮らした分だけの情はあるけれど、再会し妊娠を告げられ、いい争ううちに誤って運河に落ちたその溺死体を前にしても、彼の眼差しは水のゆらめく様を眺めるようにその裸体を見つめている。スリップだけを身につけた全裸のキャシーの死体。空いた石炭袋をかけてやったのは共に暮らした情がそうさせたのだろうか。 作家としての展望ももてぬまま運河にタイプライターを投げ捨てたとき、レズリーと出会い、彼の石炭運搬の仕事を手伝うことにした。グラスゴーとエディンバラを往来する小さな船の船底でレズリーと妻のエラ、そして息子でまだ少年のジムの3人が生活をしている。船上生活者。そこにジョーも住みついた。 毎夜、どこかの岸壁に停泊する浮き草のような、流れるままの生活。 そしてキャシーの全裸死体を引き上げた時、ジョーとレズリー、エラの3人の間にあったバランスが危うい揺らぎを見せはじめる。 閉塞感と倦怠感が漂う50年代のスコットランドを背景に、往来する船の上でジョーが時折じっと見つめる運河の水面は、彼自身の内面の世界。彼にとって現実はこの水の中にゆらめくもの。過去の思い出も漂いながら水の底に沈んでいく。キャシーの死体が水中で揺らぎながら自分の目の前に浮上してきたように、沈めた過去が心の隙間からふいに浮かび上がってくる。。運河の底に沈んだ過ぎ去ったものを覗き込むかのように黙って水面を見つめるジョー。石炭の粉まみれの手の型が触れた場所に残るように、過ぎ去った時間がへばりついてくる。あるいは、ジョーたちが引き上げた溺死体の全裸のキャシーにべったりと纏わりついていたスリップのように…へばりついてくる。 「語るべき何かが過去から自分を見ていると思える瞬間がある」 原作の中でも「俺」と「私」が二重で描かれている。 現実の「俺」と、その俺を醒めた目で見つめる「私」。 社会に対して絶対的に不感症とも思える青年ジョーの内面を、ユアン・マクレガーが見事に体現している。 ![]() 笑うといまだに少年が残っているような、基本的にいい奴なんだろうけれど、役柄でも「スター・ウォーズ」のオビワン・ケノービだの「ビッグ・フィッシュ」「恋は邪魔者」だので「いい人ユアン」が続いた中で、こんなシリアスなユアンを久々に観て、「シャロウ・グレイブ」(1994)で23歳のユアンがラストで見せたあのしたたかな笑みに、ジョーみたいな役が彼の真骨頂だわと嬉しくなった作品でもある。 レズリーにピーター・マラン。 ジョーと妻の不倫に怒ることもできず船を下りる男。僅かな酒とギャンブルで人生に折り合いをつけて生きている男。 貧しいスコットランドの社会が男たちから意欲を奪ってしまったのだろうか。船を下りたジョーに自宅の一部屋を提供した男もまた、家賃収入と引き換えに、妻がジョーと寝るだろうことを黙認する。それほどスコットランドは無気力と貧困にあえいでいたのだろう。キャシー殺しに問われた男に対する検察側のよる一方的な裁判。当時のスコットランドの社会もしっかりと浮き彫りにされて描かれている。 レズリーの妻エラにティルダ・スウィントン。 ユアンとの際どいシーンに、船の上しか知らない女のストイックさと、持たぬものの開き直った強さを見事に演じていた。 キャシーにはエミリー・モーティマー。 出演のオファーがきた時「スコットランド訛りはできるか?」と訊かれ「嘘ついてイエスと答えたわ」と語っていたけれど、本作でスコットランド訛りをマスターしたのかしら。翌年、同じくスコットランドを舞台した「Dearフランキー」(2004)で少年の母親役リジーを演じていた。 ![]() そして原作者はスコットランド生まれのビート作家アレグザンダー・トロッキ。 アウトロー文学の旗手として、ノーマン・メイラーやサミュエル・ベケット、テリー・サザーン、ウィリアム・バロウズらに激賞されるも、ヘロインやセックスに溺れた生活からイギリスに帰還させられ、作家として不遇のうちに生涯を終え、今では忘れ去られた存在のトロッキ。 俺はスコットランド人だと言い切り、そのスコットランド訛りを頑として押し通しているスコットランド魂のユアン・マクレガーにとって、同じスコットランド生まれの作家トロッキーの原作を基にしたこの脚本は直ぐに飛びついたことだろう。スコットランド・グラスゴーを舞台にした紛れもなくスコットランドの映画。 劇場公開の「フィクサー」でティルダ・スウィントン、そしてCSで見た「めぐりあう大地」でピーター・マランをみて、久々に見たくなった本作。 陰鬱さが漂っているのだけれど、グラスゴーの運河沿いの風景やゆらめく水の映像、そして本作に流れる音楽。なぜか心が惹きつけられる作品。ジョーの内面に巣食うこの不感症は、誰しもが重なるものを隠し持っているだろう。人間の、水の中で淀み揺らぐ内面世界を繊細に描きだした作品。トロッキーの原作もあわせて読んで欲しい作品だ。原作世界にかなり迫った映像だと思う。 しかし「猟人日記」というこの作品につけられた邦題はいまだに解せず拒否反応がでる。かつてトロッキーは食うために、出版社の要求でポルノ部分を増やし出版してもらい、後に彼自らそのシーンを原稿から削除し出版し直したという。そんな彼の作家生活を考えると、この邦題はそんな彼の屈辱的なポルノグラフィーに近いものではないかしらと、ちょっと胸が痛む。 原題「Young Adamu」… イブと出会う前のアダムを指すのか? 人間とは一生、未完のままの存在ということなのだろうか。 観る人によって様々に解釈できる原題だろう。 監督: デヴィッド・マッケンジー 製作: ジェレミー・トーマス 製作総指揮: ロバート・ジョーンズ 原作: アレグザンダー・トロッキ『ヤング・アダム』(河出書房新社刊) 脚本: デヴィッド・マッケンジー 撮影: ジャイルズ・ナットジェンズ 編集: コリン・モニー 音楽: デヴィッド・バーン 出演: ユアン・マクレガー (ジョー・テイラー) ティルダ・スウィントン (エラ) ピーター・マラン (レズリー) エミリー・モーティマー (キャシー) ジャック・マケルホーン テレーズ・ブラッドリー ユアン・スチュワート スチュワート・マッカリー
by mchouette
| 2008-04-24 00:00
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