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DAS LEBEN DER ANDEREN
THE LIVES OF OTHERS 2006年/ドイツ/138分 第二次大戦後の米ソ冷戦時代に東西ドイツを分断した「ベルリンの壁」は1989年11月に崩壊した。人々が東西を分断したその壁に上り、壁を撃ち砕く歴史的瞬間のライブ映像をテレビで見ていて、人々の手でいとも容易く崩れ去ったそのあっけなさに唖然とし、ベルリンの壁にまつわる様々な悲劇や死を、メディアを通して少しは知っていただけに、こんなにもあっけなく崩れ去った壁に、こんな壁一枚によって……という思いがこみ上げてきた。 反体制派への国家規模で行う旧東ドイツの監視体制。ナチス時代のゲシュタポと比較される旧東ドイツの秘密警察「シュタージ」。人間の感情をも利用するその非情で冷酷な実態。一部の権力者に委ねられ、その欲望の餌食となる個人。 共産主義圏諸国のベールに閉ざされたこんな実態について、知識としてはおぼろげには知っていても、やはりこの作品で浮かび上がるその実態には得体の知れない恐ろしさとヒンヤリとした冷たさを覚える。戦後の日本に住む私にはかけ離れすぎている。そして現実はここに描かれている以上にもっと陰惨で生臭いものだったろう。 ![]() シュタージを管轄する国家保安省の大臣は女優のクリスタを手中に収めようと、シュタージのグルビッツ部長に命じ、恋人で共に暮らしている劇作家ドライマンを24時間の監視体制下におく。彼らの住むアパートの屋根裏で盗聴器を通して彼らを監視するシュタージ局員のヴィースラー大尉。 しかし彼らを監視していたヴィースラーは、音楽や文学を語り愛を語る二人の自由な精神に触れ、また一方で、権力を盾に大臣と関係を強要され、ストレスから薬中毒になっているクリスタの苦悩する姿を知り、彼女のファンでもあるヴィースラーは胸を痛める。そしてドライマンが弾く「善き人のためのソナタ」と題されたピアノ曲のそのメロディに、任務を忘れしばし陶酔する。ヴィースラーは次第に彼らに共鳴していく。 本作を劇場で見た時は、「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない」というこの映画のこんなコピーから、「戦場のピアニスト」で、主人公の弾く「月光のソナタ」の魂を揺さぶるようなその美しい音色に、ナチの将校がユダヤ人である彼を見逃すという、あのドラマティックな場面を自然と期待していたところがあった。 しかし、本作ではそういったドラマティックな展開はむしろ極力抑えられ、淡々と静かなタッチで描かれている。 本作は、監視体制化に生きる彼らを通して、常に監視され、隣人や友人、愛する者を「密告」という形で裏切らなければ、この国では生きていけないという状況の中で、人はどのように生きられるのか?といった、人間の真価に迫る物語だと思う。 そして、この国家監視体制の傷跡の悲劇が壁が崩壊したところから始まり、今も人々は影を引きずって生きており、物語は今もなお続いているという、その事実をドナースマルク監督が深く受け止めて本作を撮ったことを感じる。 ヴィースラーが、どこで自らの良心に目覚め、国家を裏切り、ドライマンたちを擁護するようになったのかなどということは、さほど重要なことではないだろう。それがピアノのメロディだとしても、それは彼の中に眠っていた何かを呼覚ますきっかけに過ぎないものだろう。 監視から何の成果があがってこない彼にブルビッツ部長は「いいか、もう学生ではないんだぞ」と言うシーンがある。案外と彼の純粋さを突いている言葉ではないだろううか。純粋だからこそ、国家のイデオロギーを自らのものとしシュタージ局員として国家使命に殉じてきたのだろう。そんな一途ともいえる彼の琴線が、ドライマンたちの自由で純粋な精神に触れた。 ベルリンの壁崩壊後の情報開示によって、人々は自由に旧東ドイツが管理されていた自分の情報を閲覧できるようになった。ドライマンは、そこで自分たちが24時間の監視体制にあった彼に関するレポートの量の膨大さに驚く。「HGW XX7」というコードネームに呼ばれていたヴィースラーという人物によるレポート。私生活の隅々まで曝され記されているレポートに震撼とし、さらに捏造された報告書に至り、「HGW XX7=ヴィースラー」によって擁護されていた事実を知る。そして、クリスタが署名した彼に関する密告文書も目にする。 ![]() シュタージによる市民一人一人を密告者に仕立て上げたこの国家監視体制の傷跡は、統一後も旧東ドイツの市民の心に深く影を落としているという。ヴィースラー大尉を演じた東ドイツ出身のウルリッヒ・ミューエ自身も妻に監視され密告されていたと告白している(夫人はその事実を否定しているそうだが)。 クリスタは、密告者が彼女であることを知ったドライマンの、彼女に向けた戸惑いと驚きの眼差しに耐え切れず、道路を走るトラックの前に飛び出し自ら命を絶つ。 ベルリンの壁崩壊後、かつてクリスタが演じた舞台を見つめるドライマンはいたたまれず席を立つ。あれから2年、新生ドイツにあって彼は一切何も書けなくなっていた。 東側の腐敗した実態を世界に知らしめようとしたドライマンは、そのことによって、愛する者を「密告者」として追い詰めてしまったという悔恨と、愛する者を失った喪失感は大きいだろう。そして彼女をそこまで追い詰めた国家権力の前に、彼女を救えなかった個人の無力さをも噛み締めていたことだろう。 そんな中で、権力の側に自分を擁護した人物がいたという事実。そして2年後、ドライマンは「HGW XX7に捧げる」小説「善き人のためのソナタ」を執筆する。 魂が引き裂かれ自ら命を絶ったもの。 国家に売り渡した魂を自ら取り戻したもの。 魂の在り処をペンによって受け止めたもの。 「これは私のための本だ」 町の片隅で寡黙にひっそりと生きていたヴィースラーは、書店でその本を前に魂の充足を感じさせるような静かな笑みを浮かべる。 本作は旧東ドイツの物語でも、かつての共産主義陣営に限った物語でもない。9.11でいち早くアメリカという国家によって抑えられたのはジャーナリストたち。ソ連崩壊後のロシアでも国家に批判的意見を持つ者たちが不可解な死を遂げている。日本でも国民の安全と利益を守るという名目の法律を注視すれば、目に見えぬ規制と抑圧の実態が見えてくる……。 「私は弱い人間なの…。死ぬことでしか償えないわ。」 クリスタが最後に口にした、命と引き換えにしたこの言葉も重い。 国家によって支配され、翻弄された振り子の揺れは、最後には個人に揺れ戻され、一人一人が引き受けなければならないというこの不条理! 劇場で2回。WOWOW放映で先日もう一度観た。観るたびに旧東ドイツの監視国家に、精神の自由、そして愛や信頼といった人間に希望を与えるこれらが真っ先に権力に利用され犠牲にされてしまうという悲劇が、さらに深く胸に沁みてくる。 そして 「人としてどう生きる?」 こんな辛い現実的な問いかけを、静かに深く観る者に投げかけてくる。 監督は本作が長編第1作目となる弱冠33歳のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。ここで描かれていた時代はまだ8歳ぐらいの子供だった彼は、両親の怯えを子供の鋭い感受性でキャッチしていたという。ドイツの若い世代が、自国の歴史に敏感に反応し、過去のことではなく、今生きている自分達世代の問題として受け止め、人々が触れたくないであろうその暗部を真摯に描いたことにも深い感銘を受ける。ドイツ・ナチスによって引き起こされた第二次大戦。そしてその戦後の重荷をドイツ国民が精神的な傷として背負い、そんな歴史を描こうとする若者がドイツには生まれ育っているということ。こんな風にしてドイツはあの戦争と戦後を総括していっている。本作の静謐さは、この悪夢の時代を生き、今もその傷を抱えて生きる人たちに対する彼の敬意と真摯さを感じる。 監督: フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 製作: クイリン・ベルク /マックス・ヴィーデマン 脚本: フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 撮影: ハーゲン・ボグダンスキー 衣装: ガブリエル・ビンダー 編集: パトリシア・ロンメル 音楽: ガブリエル・ヤレド/ステファン・ムーシャ 出演: ウルリッヒ・ミューエ (ヴィースラー大尉) マルティナ・ゲデック (クリスタ=マリア・ジーラント) セバスチャン・コッホ (ゲオルク・ドライマン) ウルリッヒ・トゥクール (ブルビッツ部長) トマス・ティーマ ハンス=ウーヴェ・バウアー フォルカー・クライネル マティアス・ブレンナー
by mchouette
| 2008-04-19 00:00
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