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2007年/ドイツ・カザフスタン・ロシア・モンゴル/125分
at:梅田ブルグ ずっと待っていた、ロシアのセルゲイ・ボドロフ監督の「MONGOL」。 主役のジンギス・ハーンには浅野忠信がただ一人の日本人俳優として参加している作品だけれど、米アカデミー外国語映画賞にノミネートされなかったら、日本では公開されなかった作品。劇場公開は諦めていただけに嬉しい限り。アメリカでもノミネートされたことによって劇場公開されるとか。これも嬉しいことだ。セルゲイ・ボドロフ監督は、過去にもチェチェン紛争の悲劇を描いた「コーカサスの虜」(1996)でアカデミー外国語映画賞にノミネートされている。 中学生の時、井上靖の『蒼き狼』を読んでから、成吉思汗とモンゴルに壮大なロマンを感じてしまった。日本人のDNAにも刻まれているだろう、はるか遠い時代の騎馬民族の血なのだろうか。 「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる惨白き牝鹿ありき。」 こんな一節にも、なぜか血がざわつく。 ブログ開設前の昨年3月に、森村誠一の同名の原作を、反町隆がジンギス・ハンで日本とモンゴルの合作で映画化した『蒼き狼 地果て海尽きるまで』が劇場公開された。全編モンゴルロケということで、さぞや広大なモンゴルを舞台に勇壮な映像が、と期待して観にいったけれど、美しい衣装と、別にモンゴルに行かずとも…の映像にがっくりしたので、余計にボドロフ監督のこの「MONGOL」、ノミネート以前からYouTubeの映像でその泥臭さ、雄大さ、リアルさを知っていただけに、ずっと観たかった作品。 撮影は中国内モンゴル自治区で敢行されたというだけあって、見渡す限りの平原、砂漠、ひび割れた大地。その中を騎馬遊牧民たちが馬を駆る。その映像のスケールには圧倒され、騎馬遊牧民達の食うか食われるかの壮絶な闘いの世界も垣間見た。 西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ビルマ、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸の大部分にまたがる史上最大の帝国を創り上げた始祖であるジンギス・ハーンに対し日本人が持つイメージは、私も読んで感銘を受けた井上靖の「蒼き狼」で語られる、自身の出生の秘密に悩み、それを自身が蒼き狼たることを証明することによって払拭しようとするテムジンの姿と重ねあわすだろう。『蒼き狼 地果て海尽きるまで』はそういう苦悩し、葛藤を乗越え自らジンギス・ハーンと呼ぶに至るテムジンを描いていた。 しかし、本作ではそんな出自の苦悩や葛藤などは、あの大陸の雄大さと、命がけで生き延びていく厳しさの中で、テムジンの中には存在すらしていない。 父母の過去から続く因縁の復讐により、メルキト族にさらわれたテムジンの妻のボルテを奪回するため、多くの戦士を抱える盟友ジャムカの加勢を助けにメルキト部族に攻め入る。男の寝首をナイフで掻き切って静かにテムジンを待つボルテのお腹にはメルキト部族の子が宿っていたがテムジンは、何の迷いもなく、盟友ジャムカに「俺の息子だ」と嬉しそうに誇る。後に、テムジンとモンゴルの覇者を決する相手となるジャムカは、この時テムジンの度量の大きさと非凡さを見たことだろう。 森の中をメルキト族の集落に向う行軍を上から撮影した映像なども見事。 本作はモンゴルの一部族の頭領イェスゲイの息子として生まれたテムジンが9歳の時、途中立ち寄った村で、少女・ボルテと運命的な出会いをし彼女を許嫁として選んだ帰路、敵対する部族によって父が毒殺され、頭領の座を狙うタルグタイの裏切りによって、部族を奪われ過酷な運命を背負うこととなったテムジンが、幾多の苦難を乗越え、盟友ジャムカとの戦いに勝利するまでを描いている。 そしてボドロフ監督は、チンギス・ハーンの人生の空白の期間に光をあて、「おそらく捕らえられ、牢に繋がれていたのだ」と考えるロシアの歴史学者レフ・グミリョーフの説を取り入れ、架空都市・タングート王国で長い間監禁されるテムジンをフィクションとして作品の中に描いている。(このあたりはもう少しドラマが欲しかったけれど) 「ロシアの19世紀の革命家やスターリン時代に長い年月を獄中で過ごした人々の何人かが、後に哲学者や偉大な人物となったように、テムジンが瞑想し深く考える月日を持たなければ、後のチンギス・ハーンは存在しなかったのではないか」という考えをボドロフ監督は語っている。 そういう視点で描かれている本作「MONGOL」におけるジンギス・ハーンは、テムジンの内面ドラマを描いた作品というよりも、部族間の陰謀や復讐が渦巻き、部族間の戦いが絶えなかった12世紀のモンゴルの地で、彼がどのような意思と精神力を持って過酷な運命を生きていったかを描いている作品といえる。 そして、これは息子から教えてもらったことだけれど、ロシアの歴史には「タタールのくびき」という言葉があるそうだ。かつてロシアはモンゴル帝国に200年の間支配されていた時代があり、その屈辱をさしている。歴史に疎い母である私はそんな息子の言葉に、ちょっとネットで調べてみると、ウィキペディアなどでも詳しく書かれていたが、フリーの国際情勢解説者、田中宇(たなか・さかい)のサイトで「消されたチンギスハーンの記憶」として簡潔にまとめられており興味深い記事なので引用させてもらう。 ▼消されたチンギスハーンの記憶 今から約800年前、モンゴルにチンギス・ハーン(ジンギスカン)が登場し、中国から中央アジア、現在のロシアにいたる広大な地域を征服し、モンゴル帝国を作った。ロシア人の王朝は滅ぼされ、それから200年以上の間、「キプチャク汗国」としてモンゴル人に支配された。こうしたロシアとモンゴルの歴史的背景を踏まえると、ロシアの監督がモンゴルを、その始祖であるジンギス・ハーンの精神性、人間性を熱い思いで描いたということの意味は大きいだろう。 そしてドイツ・ロシア・カザフスタン・モンゴルの4カ国合作の一大プロジェクトである本作に関わったスタッフたちの属する国をみると、ドイツ、カザフスタン、ロシア、モンゴル、中国、韓国、香港、フランス、オーストラリア、オランダ、フィンランド、アメリカ、日本…。遠い祖先を辿ればモンゴル遊牧騎馬牧民と繋がる国々。(スチールカメラマンの一人として長谷井宏紀さんも参加している) 映画を観終わって、本作のタイトルが「ジンギス・ハーン」ではなく「モンゴル」としたことが分かったような気がした。 どこまでもどこまでも果てしなく広がるモンゴルの壮大な自然。国境といった境もなく、騎馬遊牧民達が群雄割拠した時代。部族間の熾烈な戦いの歴史の一方で、モンゴルの誇りと強い精神でもって生き抜いた一人の若者がいた。その力強く雄大な民族性をも描いた本作は、ソ連邦が崩壊し、小国家の独立と紛争が絶えず不安定な社会情勢にあるロシアにあって、セルゲイ・ボドロフ監督が国境を越えて「MONGOL」という作品を撮ったということは、ユーラシア大陸に生きる彼にとっては、やはり大きな意味があるんだろうなって思う。 圧倒されるほどの壮大なスケールで描かれたモンゴルの自然。勇壮で哀愁を帯びた音楽。 圧巻ともいえる盟友ジャムかとの騎馬民族同士の戦闘シーンは、約600人のクルー、1000人を越えるエキストラ、カザフスタンから運んだ300頭の馬たちが集結して撮影されたもの。最近の戦闘シーンにおおいCGではなく生身の迫力と美しさがあった。 ジンギス・ハーンを演じた浅野忠信は、そんなモンゴルの地で堂々たる存在感をみせてくれた。 そして盟友ジャムカを演じたスン・ホンレイって「初恋のきた道」の私、コン・リーと共演した「たまゆらの女」で獣医役の人。どちらも物静かで誠実な役柄だっただけに、今回の策を張り巡らすジャムカ役の演技には驚いた。そしてボルテ役のクーラン・チュランはまだ学生で映画初出演だとか。美人ではないけれど、目尻のあがった目が涼しげで意思の強さを感じさせ、モンゴルの大地に溶け込むとてもいい雰囲気を持っていた。 そして、映画パンフレットに監督と浅野忠信が並んだ写真があった。こんな写真をみると、浅野忠信より2歳年上のボドロフ監督の息子セルゲイ・ボドロフ・Jrを思い出してしまった。「コーカサスの虜」で若きロシア兵役として出演したのをきっかけに映画の世界に入り、自らメガホンをとるロケ先で氷河崩落の惨事に巻き込まれ2002年、30歳の若さで死亡している。 監督: セルゲイ・ボドロフ 脚本: セルゲイ・ボドロフ 撮影: セルゲイ・ボドロフ/ロジェ・ストファーズ 音楽: トゥオマス・カンテリネン 出演: 浅野忠信 スン・ホンレイ アマデュ・ママダコフ クーラン・チュラン
by mchouette
| 2008-04-06 00:00
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