![]() by mChouette 検索
カテゴリ
全体 ■映画 =映画:あ行 =映画:か行 =映画:さ行 =映画:た行 =映画:な行 =映画:は行 =映画:ま~わ行 ■映画・雑記 ■ドラマ ■展覧会・コンサート ■一冊の本 ■徒然なるままに… ■美味しいもの ■アウトドア・旅 ■勝手にバトン ■ご挨拶・お知らせ 未分類 最新の記事
その他のジャンル
|
Le pays des sourds
1992年/99分 at:テアトル梅田 「ニコラ・フィリベール レトロスペクティヴ」から。 沈黙の中で生きる多くの人々にとって、世界はどんなふうに見えているのだろう。 パリのろう学校に通うろう者たちの日常を描き、数多くの映画賞に輝いた作品。 音のない世界で、手話が彼らの言語である聾者たちを描いたこの作品を観ていると、「私は<~について>の映画を作っているのではなく、<~と共に>映画を作っている」というニコラ監督のそんな視線をあらためて感じてしまう。撮る対象と、レンズを通してニコラ監督は常に対話をしている。 ある概念や先入観で対象を捉えるのではなく、そこにいる彼らを、彼らのあるがままを捉えている。そして、彼らがどのように自分を取り巻く世界や目の前の人たちとつながりをもっているのか、彼らの世界を捉えようとしている。 ![]() …家族はみんな健聴者。みんなの会話に入れず私一人がのけ者で淋しかったけど、旅行先で聾の人たちの団体に出会い、彼らが手話で話しているのを見た時は、私も皆と話せるんだって思うと嬉しくって、すぐにママに伝えたわ。それまで手話は知らなかったけれど、2週間で覚えたわ。 …先生たちから補聴器をつけるように言われるけれど、補聴器をつけるといろんな雑音が入ってきてうるさいんだ。僕は音のない静かな世界の方が落ち着くんだ。 …両親も兄弟も、兄弟の結婚相手も、親戚もみんな聾なんだ。不自由は何も感じないよ。 …僕も妻も聾で、生まれてきた子供は健聴者なんだ。聾の方がよかったと思うよ。通じ合うからね。 …芝居をみて役者になりたいと思った。近くに有名な映画監督がいたのでその人に頼んだけれど、言葉が話せないから駄目だ、と言われた。悲しかったよ。<この彼はパントマイムの舞台に立ち、客席から拍手喝さいを受けている映像があった。> …聾は、耳が聞えない分、視覚が発達していて、普通の人よりも見る角度に比べると、聾は180度見えるんだ。 子供たちは学校では、先生の喉の動きを手で触りながら言葉となる音を出す訓練をしている。違う発音が続くと、先生は容赦なく、「ダメ」といって次の子に移ろうとするけれど、その子は先生に食い下がって、発音が聴いてもらおうとしている。 子供とはいえ非常な集中力と忍耐のいる発声を学ぶ授業。家でも母親が機会あるごとに彼の喉から音を引き出す訓練をしている。 でも昼食時間の彼らは、食事しながら凄いスピードでもって手話で友だち数人とお喋りしている。聞えてくるのは食器の音だけ。 聾で健聴者に混じって働いている若者もいた。上司の簡単な手話と、彼の手話、そして発声練習で身につけた発音で仕事のコミュニケーションはなんとかできている。ただ、なにか問い直そうとした時は、上司を追いかけて行かなければならない。 健常者からみれば、それはとても面倒なことのように思うけれど、彼らにとっては、それもコミュニケーションの内に入るべき普通のことなのだろう。 そして手話は万国共通の記号のように思っていたけれど、国によって手話の言語も違うということを知った。当たり前のことなのだけれど、手話は聾者の言語。健聴者は声で、聾者は手で自分を語るだけ。そして彼らは聾の世界だけで生きるのではなく、健聴者たちとのコミュニケーションをとるために声を出すことも覚えていく。 子供が健聴者の男性は、子供は手話も教えバイリンガルに育てると話していた。 世界には色んな人がいて、いろんな言語があって、自分たちの言語の世界だけで生きていくのではなく、様々な人たちとつながって生きていかなければならない。 そんなことを、健常者である私より、少し不自由な彼らの方が、その大切さをもっと知っている。 「ほんの些細な出来事」や本作「音のない世界」などをみていると、「普通」とか「当たり前」といった日常って、どこまで普通で当たり前で、どこからが違う?って思えてくる。 確かにスムーズに行くか行かないかといった違いはあるけれど、どんな風にスムーズに行かないかっていうことを考える。相手とコミュニケーションをとって、分かり合えるということは、言語以前のそんなところから始まるんだなって思う。
by mchouette
| 2008-04-04 00:00
| ■映画
| |||||||||
ファン申請 |
||