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2007年/アメリカ/83分
at・梅田ガーデンシネマ 事実は小説よりもドラマティック。 ドキュメンタリー作品は好きで、テーマは吟味するけれど比較的観ている。 写真家をその人を描いたドキュメタリー作品も今までいくつか観てきた。 ロバート・キャパ、アンリ・カルティエ・ブレッソン、ヘルムート・ニュートン、一ノ瀬泰造などなど。 こんなドキュメンタリーで一番嬉しいのは、彼らの写真がスクリーンで一挙に観れること。写真にまつわるエピソードや関係者の証言とかから、写真の背景や写真家その人に近づけるのも嬉しい。 ローリングストーン誌からカメラマンとしてのキャリアをスタートさせ、世界中のセレブを相手にポートレート・フォトグラファーとして、現在も活躍を続けるアニー・リーボヴィッツ。 アニー本人や被写体となったスターたちや関係者のインタビューや、撮影現場のフィルムなどで綴られるアニー・リーボヴィッツその人のカメラマン人生。彼女の撮った写真が当時のロック音楽とともに一コマずつ次々とスクリーンに登場するのも観ていてご機嫌になってくる。 ![]() アニーの名前は知らなかったけれど、彼女が撮影した「ローリングストーン」の表紙は当時から見ていたし、妊娠中のデミ・ムーアのヌード写真などはかなりのセンセーショナルだった。ジョン・レノンが凶弾に倒れる数時間前に撮影した写真も……。映画「マリーアントワネット」のスチール写真も彼女だったんですね。撮影現場もフィルムで紹介されていた。 ローリング・ストーンズのツアーに同行し、若さゆえの無謀ぶりなエピソードなどは「今思えばただの大バカだったわ」っと振り返れば笑えるエピソードなども語られている。すっかり薬漬けになり更生施設に入った時もあったという。当時は会社中が麻薬だらけだったという証言などから、当時のアメリカと言う時代もみえてくる。 父親が軍人で、基地から基地へ車で家族が移動する生活だったアニーの子供時代。車に乗っている間、車窓のフレームで切り取られた風景をずっと見ていたわとアニーは語っていた。車窓の風景は格別なものがあり私も好きだ。この楽しさは案外とこんな切り取られた風景にあったのかもしれないって、アニーのこんな言葉に思う。こんな言葉にアニーの感性や個性的な視点を感じる。 そして、感性だけを頼りに撮り続けてきたアニーに思想的なバックボーンを与えた作家スーザン・ソンタグとの出会い。有名人たちを撮り続けてきたアニーが、スーザンに同行したサラエボで、小さなカメラだけをもってサラエボの現実を撮り続け、カメラマンとしての自分の原点に戻った気がしたと語っている。バランスが取れたと思ったわと語っている。同志であり、友であり、かけがえのない恋人であったスーザンが骨髄移植手術に失敗した時から彼女の姿を記録することをきめ棺に横たわるスーザンまで、愛する者の姿をカメラで撮ち続けた。いまでもスーザンの死を引き摺っているのだろう。彼女の写真を語るときは涙ぐみ、「スーザンが死に、私にはまた仕事だけになってしまったわ。」語るアニーに私も涙ぐんでしまう。 スーザン・ソンタグは1968年にハノイに渡り、「ハノイで考えたこと」を出版、ベトナム戦争反対の活動でも知られ、それから40年近くもの間、世界で何か大きな出来事が起こるたびに、アメリカのみならず世界中が、彼女が何を書くか、どう語るかに注目するという存在になる。近年では、1999年に「すべての戦争が等しく不正なものなのでもない」とNATOによるセルビア爆撃を支持、このことをめぐる大江健三郎との往復書簡が朝日新聞に掲載され、日本でも話題を呼ぶ。9.11では、ニューヨーカー誌に「これは文明や自由や人間性に対する攻撃ではない。自称“超大国”への攻撃だ」と書きアメリカで物議を醸す。 写真は一瞬だけれど、その記憶は永遠に残る。 アーノルド・シュワルツネッガーが、凍えるほど寒かった撮影現場で「寒さは今だけよ。撮った写真は永遠よ」とアニーとの撮影当時のエピソードを語っていた。数々登場するエピソードで一番気にいったのは、「真っ白な世界からあなたが……」とアニーに言われて撮った、真っ白なミルク風呂から顔と手足だけを出したウーピー・ゴールドバーグの写真。「あの写真で全てが変わったわ」とゴールドマンはインタビューで語っていた。アニーだからこそのセンスと、アニーの人間性を知っているこそゴールドバーグも撮らせた写真だろう。 アニー・リーボヴィッツは、写真が写し撮った一元的なものに比べたら、人間の人生はもっと複雑だわ、と語るけれど、やはり写し撮られた写真から、写されたその人を感じるし、写真家その人も伝わってくる。自らの作品に対する謙虚さも窺え、「アホな発想で…」と語るアニーからは、素朴でエネルギッシュで人間が大好きなアニーの人柄が見えてくる。 「彼の写真集を見ているだけで、写真とは何かを教えてくれる」とアニーがいうアンリ・カルティエ・ブレッソンは、写真を「一瞬の記憶」だと語る。 被写体に敬意をもって、ありのままに撮る。 そしてブレッソンとともに戦争カメラマンとして戦場を駆け抜けたロバート・キャパは「いい写真が撮れなかったら、もっと近づくことだ」と語る。 木村満里子氏の映画レポートのこんな一文をいくつかの映画紹介サイトで見た。 「監督が実妹なのが裏目に出たのだろう。取材対象者への貪欲な好奇心がなく、身内だからこそ本人が語りたがらない領域にずうずうしく踏み込んでいくこともない。だから恋人であった女性批評家スーザン・ソンタグについても、2人の関係を語るのは周りの人間で、彼女自身はエピソードを多少話すだけだ。子供たちについても、映像がたくさん出てくるわりに詳細がわからず、養子をもらったのだろうと想像するしかない。そういった個人的な点をやんわり避けていてはリーボヴィッツの本質が見えてくるはずがない。もっと彼女の内側に近づいてほしかった。」 「取材対象者への貪欲な好奇心」 これが私がドキュメンタリー作品で手ごたえを感じるところだ。 ロバート・キャパを描いた「キャパ・イン・ラヴ&ウォー」や一ノ瀬泰造の「TAIZO」には切ないほどの感覚を感じたけれど、ブレッソンの写真を賞賛する声で綴られたアンリ・カルティエ・ブレッソンの「アンリ・カルティエ・ブレッソン~一瞬の記憶」には不満が残ったのもまさにこの点だった。 そして本作も、写真、音楽、登場するスターたちと楽しい映像だった一方で、踏み込みの浅いもどかしさを感じた、その私の感覚を木村氏が的確に語っていた。 アニー・リーボヴィッツはカメラをもって、70年代アメリカ・ポップカルチュアーを駆け抜け、アメリカを写真で語ってきた人だと思う。 時代を超えて語られるべき人であると思う。 家族の肖像の延長に終っている本作が惜しいと思う。 第三者的な視線で彼女を語るという1本の幹があってこそ、被写体であるスターたちの賞賛の声がさらに生きてきたと思う。 「キャパ・イン・ラヴ&ウォー」でキャパの被写体に肉薄する荒削りな感性を、マグナム創設メンバー3人が同じ事件を取った彼らの写真で解説していた。アンリ・カルティエ=ブレッソンは構図を意識し、ジョージ・シーモアは同情をもって人々を撮影し、そしてキャパが撮っているのはアクションだと。 とはいえ、アニーは現在もカメラマンとして活躍しており、そういう人間を語るのは難しいとは思うけれど……。ブレッソン生存中に製作された「アンリ・カルティエ・ブレッソン~一瞬の記憶」も、ブレッソンの写真解説と賞賛だけに終る形になったのはブレッソンを慮るものがあったのだろうとも思うが。 ![]() 監督: バーバラ・リーボヴィッツ 製作: バーバラ・リーボヴィッツ 製作総指揮: ポール・ハーダート/トム・ハーダート/スーザン・レイシー 音楽: ゲイリ・ショーン 音楽プロデューサー: ジェームズ・ニュートン・ハワード
by mchouette
| 2008-03-17 00:00
| ■映画
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