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La Nuit Americaine
DAY FOR NIGHT 1973年/フランス・イタリア/117分 まず始めに…この映画の邦題については映画情報などではサブタイトル「映画に愛をこめて」が「アメリカの夜」の前について「映画に愛をこめて アメリカの夜」として紹介されている。私はトリュフォーが「アメリカの夜」というタイトルに込めた彼の思いが、サブタイトルを前につけることで損なわれるような気がし、やはり抵抗を感じるのでメインタイトルの「アメリカの夜」だけにしています。1961年制作のイタリア映画「AMERICA BY NIGHT」という原題で、北米から南米までの14都市のナイトショーを14台のカメラで撮影したドキュメンタリー作品に邦題「アメリカの夜」とつけられているので、混同をさけるためにサブタイトルを前につけたのでしょうか。 この映画は何度観ても、観るたびに「映画って、やっぱりいいなぁ!」って思わずにはいられなくなる作品。 そしてフランソワ・トリュフォーって、やっぱり映画が大好きで、心の底から愛しているんだなってつくづく思う。 トリュフォーの映画にこめた愛が、撮影現場の隅々にまで、映画の制作スタッフ、役者、映画を支える全てのもの隅々にまでいきわたった、そんな愛に満ちた作品。 ![]() トリュフォー作品にはお馴染みのジャン・ピエール・レオが地下鉄の階段を上がって街を歩いている。一人の中年紳士も歩いている。出会ったその紳士の顔をレオは突然平手打ちにする。 カット! 監督の声。 ……もう一度。 役者、スタッフ、エキストラたちが再度それぞれのポジションにつく…… 撮影現場? メイキング・フィルム? こんなシーンから始まる「アメリカの夜~映画に愛を込めて」 これは「パメラ」という映画の映画制作そのものを描いた映画。 トリュフォーも監督役として、助監督も助監督として出演している。 この方はしばらく助監督をやっていたけれど、その後俳優になったそうだ。 出演する役者の私生活と演じる役柄のプロットを交錯させ、その撮影に携わるスタッフたちとの人間関係を絡めながら、映画の撮影は進んでいく。 これは映画、フィクションと思っていても、撮影風景とか、撮影現場の内側、役者の素顔、小物の手配、現場スタッフたちのやり取り、トラブル、記者会見、スタッフ会議などなど…そのリアルな雰囲気に、どこからが本当で、どこからがお芝居?観ている私は映画の製作現場にいるような錯覚さえ覚える。 映画タイトル「アメリカの夜」原題「DAY FOR NAIGHT」は、特殊フィルタをつけて昼間の撮影シーンを夜のシーンに変えてしまうという撮影手法で、作中で「今度はアメリカ式夜だよ。」という会話に、ジュリーが「DAY FOR NAIGHTね」という台詞がある。 作中でジュリーと恋に落ちる役を演じるアレキサンドルが、ジュリーの夫との会話の中で、役者と映画との関係を実にいい言葉で語っている。 「私たちは、みんな始終キスばかりしている。自分達が愛し合っていることを示さなければならないんだ。生きる糧だ。」 昼間を夜に変えてしまう映画という虚構の世界。その世界を役者が真実の息吹を吹き込むことによって、映画が偽りのない真実となって観るものをその映画の世界に誘う。 こんなアレキサンドルの言葉だけでも、感涙しそうでした。 ベテラン女優のセブリーヌの出番が終わり、お別れの食事会の席で彼女はしみじみと語る。 「面白い生活ね。みんな一つ所に集まり、愛し合い、ようやく慣れて気心が知れたと思ったら、途端に消え去る……」 いまや老いた女優となった彼女は台詞をすぐに間違え、撮影中はスタッフもイラついていたけれど、最後はやはり映画への愛で結びついている撮影仲間。役が終わり撮影所を去る人に対して役者、スタッフたち撮影所メンバーたちは敬意を表する。 私生活でのエピソードや会話を映画の中にそのまま使うことで有名なトリュフォー。 映画「隣の女」でも、ドヌーブがトリュフォーとの私生活で喋った言葉がそのまま使われていたことに抗議したとか、あきれたとか…。 本作でも、若手女優ジュリーが、夫とのトラブルに動揺して泣きながら監督に喋った言葉を、彼は翌日の彼女の台詞としてそのまま差し替えるという場面がある。ジュリーが渡された台詞を読んだ後「なんて人なの…」という最後の一言には思わず笑ってしまった。 ジュリー役のジャクリーン・ビセットの控え目な笑顔、気遣いの様子…とても魅力的で美しかった。 そして、ジュリーの夫役アルフォンを演じるのがジャン=ピエール・レオ。彼は何処にいってもアントワーヌだ。まだまだ子供で、なんにも分かってなくって、スクリプターの恋人がスタントマンと駆け落ちしてしまったショックで落ちこんで撮影をスケープするし、挙句には映画を辞めると言い出す。 撮影現場を捨てた彼女に対して、ナタリー・バイ演じるスクリプターは「私は映画のためには男は捨てても、男のために映画は捨てないわ」と言い切る。 そして落ち込んでいるアルフォンに、監督は「私生活は色々あるが、映画の撮影はよどみなく進んでいるんだ。夜行列車のようにね。私も君も、映画という仕事の中でしか幸福はないんだ。」と諭す。 このアルフォン君、スタッフ達や役者仲間に「女は魔物か?」って聞いて回る。 ジュリーは「男も女も生きているわ。それが素晴らしいのよ。」って素敵な言葉をいっている。 エピソードや台詞の一つ一つが映画への愛でキラキラと輝いている。 これは映画制作の現場を舞台にした、映画を愛する者たちの物語、というよりも、映画に憑かれた者たちの、映画に込めた愛を描いた物語ともいえるだろう。 ![]() トリュフォー演じる監督が夢にうなされるシーンが何度か登場する。 役者の私生活のトラブルから、撮影スケジュール、撮影資金などなど映画製作についてまわる全てのことを引き受ける監督の人知れぬ苦悩や不安に彼は夢でもうなされる。しかしそんな彼の夢に最後に出てくるのは、夜更けの街をステッキを引き摺りながら歩く少年の姿。そして何度目かの夢の中で、この少年がシャッターの降りた映画館のパネルの足をステッキで引き寄せて、そこに貼られている「市民ケーン」のスチール写真を一枚一枚剥がして、それを抱えて大急ぎで夜の街を走り去る。 こんなに映画が大好きだった少年は、大きくなって映画監督になって、撮影現場のいろんなトラブルに悩まされながらも、やっぱり映画が大好きだという一点に尽きる。このモノクロシーンには胸にジーンと来る。 それから、作曲家から出来上がった楽曲を受話口で聴きながら、届いたばかりの小包みを開けて中に入っている資料を次々と机に置いていくシーンがある。ブニュエル、ベルイマン、ゴダール、ヒッチコック、ホークスなどなど…。 トリュフォーが尊敬する映画監督たちの映画資料だ。こんなシーンには私の胸の中で歓声があがる。 役者の私生活が見え隠れし、彼らのコンディションが撮影に大きく影響を及ぼす。 アレキサンドルの突然の事故死で急遽シーンを変更し、雪を降らしたり……。 食事のトレーを戸口に出して残ったミルクを猫が舐めるというシーンでは猫が逃げて近づかず、別のところから見つけた猫を代役に猫がミルクを舐めるまで、わずか数秒のシーンに何度も何度も取り直し、一堂固唾を呑んで見つめるといった、後では笑い話にもなろうかと思われるシーン一つ一つに撮影苦労がつきまとう。 火の見櫓のような上に作られた窓だけのセット。窓同士で挨拶しあう撮影風景なども面白い。 映画好きにはたまらん魅力の映画です。 アレキサンドルが毎日空港まで出向いて待ち焦がれていたのは一人の若い青年。スタッフたちはその青年が彼の恋人だったことに気づく。野次馬根性ながらも優しく見つめている。 アレキサンドルは昔馴染みの女優セブリーヌに「彼を養子にしようと思うんだ」と打ち明ける。「素晴らしいことね」そんな会話で終わるワンシーン。 同性同士は結婚できない。養子にして自分の財産の相続権を愛する青年に与えたい。同性愛者同士の結婚を法律で認められる前には、同性愛者たちの間ではこうした問題があった。こんなこともトリュフォーは当たり前のこととして、さり気なく映画のシーンに入れているのも心憎い。 映画は夜行列車…映画製作の中の喜び、悲劇、苦悩、葛藤、動揺、愛、確執……人生の縮図のように悲喜こもごものドラマを乗せて、映画という夜行列車は一つの物語を作るために進んでいく。映画を愛する者たちを乗せて……。 本作は、ヴィクトリーヌ撮影所内で、数年前に屋外に建てられた巨大なセットが解体に費用がかかるため、そのまま残されているのを利用して撮影されたそうだ。 ラスト近くでトリュフォーは、「スタジオの時代も終った。今後の映画は脚本もスターもない。『パメラ』のような映画はもう作れないだろう」と語っている。 そして映画の冒頭でトリュフォーは、アメリカ映画の父といわれたD.W.グリフィス監督の「見えざる敵」の写真に「この映画をリリアンおよびドロシー・ギッシュに捧げる」という献辞を記している。 ![]() トリュフォーのアメリカ映画に対する敬意、そしてスタジオ撮影へのオマージュ、尊敬する映画人たちへのオマージュ、そんなトリュフォーの映画に対する思いがひしひしと伝わってくる映画。 アメリカで失意にあったジャン・ルノワールを、彼は何度も渡米し精神的に支えたという。 何度観ても、フランソワ・トリュフォーの映画への愛が伝わり、そしてますます映画が好きになる。 ジョルジュ・ドルリューの音楽が胸に響いてくる。 そしてこんな素晴らしい映画を作り続けたフランソワ・トリュフォーの、52歳というあまりにも早すぎる死をあらためて切なく思う。 フランソワ・トリュフォ(1932年2月6日 - 1984年10月21日) 本作は本日2月19日 夜9時からNHK・BSで放映されます。 監督: フランソワ・トリュフォー 製作: フランソワ・トリュフォー 脚本: フランソワ・トリュフォー/ジャン=ルイ・リシャール/シュザンヌ・シフマン 撮影: ピエール=ウィリアム・グレン 音楽: ジョルジュ・ドルリュー 出演: ジャクリーン・ビセット ジャン=ピエール・レオ ジャン=ピエール・オーモン アレクサンドラ・スチュワルト フランソワ・トリュフォー ナタリー・バイ ヴァレンティナ・コルテーゼ
by mchouette
| 2008-02-19 00:00
| ■映画
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