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REBELLION THE LITVINENKO CASE
2007年/ロシア/110分 at:第七藝術劇場 2006年11月23日、ひとりの男がロンドンで放射性物質ポロニウム210服毒による多臓器不全により死亡した。彼の名は、アレクサンドル≪サーシャ≫・リトビネンコ。イギリスに亡命中の元FSB(ロシア連邦保安庁)中佐である。11月1日、ある調査委員会顧問と会食中に体調悪化により入院。20日、ロンドン警視庁対テロ対策本部は毒殺を企てられたと調査を開始。彼は、チェチェン戦争の裏側にある、FSBとプーチン政権の腐敗を告発していた。 ![]() 2006年11月のリトビネンコの死。 そしてその1ヶ月前の10月7日には、ロシアのジャーナリストでチェチェン戦争におけるロシアの戦争犯罪を報道・告発していたアンナ・ポリトコフスカヤが自宅アパートのエレベーター内で射殺されている。 こんな二つの事件の報道で、体制批判のジャーナリストたちがロシアでは1999年~2006年の間に126名が死亡あるいは行方不明となっているという事実を知り、ソ連邦からロシアへと、そのカーテンの向こう側の隠された実体に震撼させられたことは、まだ私の記憶に新しい。 本作の監督である本作の監督であるアンドレイ・ネクラーソフもまた、ロシア・サンクトペテルブルグ州立演劇・映画研究院の1年生の時にKGBから圧力をかけられた経験をもっていることを作中で語っていた。学内では旧友による密告を警戒するような環境だったという。彼は当時、英語に興味がありアメリカ人やイギリス人とつき合っており、密告によりKGBに呼び出され、彼らの情報を報告するように要求され、拒否したことにより退学処分となり、ドイツに出国した彼は、ベルリン映画祭でタルコフスキーと出会い、「サクリファイス」の撮影を手伝ったそうだ。その後パリ大学で言語と哲学の博士号をとり、ジャーナリストしても活動している。 ![]() 彼は、ロンドンに亡命してきたリトビネンコと会う前から、チェチェン戦争について長年取材を続けていて、国家規模で行われた報復によってチェチェンの子供達、人々が受けた悲劇を短編映画にまとめ各地で上映会を行う活動を続けていた。作中でもその映像が流されていた。 テロと報復。 この映画をみて、第二次大戦後、世界はいっそう血なまぐさい紛争の絶える時はなく、そして、これらは今なお解決の糸口もないまま続いているということを、つくづく思い知る。 本作でアンドレイ・ネクラーソフは、ソ連邦が崩壊した90年代はロシアは自由だと思っていた。その裏までは見えなかった。そう語っている。 アレクサンドル≪サーシャ≫・リトビネンコは、愛国心の強い一途なひとだったのだろう。ネクラーソフ監督はそんな彼を「サムライ・サーシャ」と呼ぶ。 ソ連邦時代、1988年にKGB防諜部に入隊し、後にFSB部長に昇進した彼は1991年頃から組織犯罪対策とテロ対策に専任し、1997年にはFSBの極秘班である組織犯罪対策班に異動となっている。そして1998年、リトビネンコはFSBの同僚たちと記者会見を行い、プーチン政権に反旗を翻したベレゾフスキー暗殺計画、殺人、強奪、マフィアとの関係などFSBの腐敗を告発する記者会見を行っている。 その前にも、元上司で今は弁護士をしているグサクと共に、秘密裏の取材を受けている。この時のテープは死後に公表することを条件に封印されたが、リトビネンコはこのテープを放映する。このテープもリトビネンコはネクラーソフ監督に渡し、作中でも映像として入れられている。 このため捏造された罪により逮捕。裁判で無罪となるも、その場で新たな罪状で再逮捕されるというドラマが行われる。共に告発の記者会見をした同僚はインタビューで「リトビネンコ逮捕のための偽証を上から強要された。拒否した私もここにはおれない」と語っていた。 そして、プーチンが大統領になった2000年に、息子の生命にも危険が及ぶことを恐れたリトビネンコはトルコ経由で家族と共にロンドンに亡命。 2002年にネクラーソフ監督は、亡命していたベレゾフスキーを介してリトビネンコと会い、以降彼へのインタビューを続ける。 ロバート・デ・ニーロは「グッド・シェパード」でCIAの一端を描き出した。 CIAにしろ、本作で語られているソ連KGBそしてロシアにおけるFSBの実態。そしてチェチェン紛争。プーチン政権のダークな部分…マスコミ報道や書籍等からおぼろげに知っているつもりだが、こうしてリトビエンコという、その組織の中にいた人物、そして彼に関係する人たちの証言、そしてチェチェンの悲劇の映像を目の当たりにすると、やはりその生々しい事実には驚愕する。 チェチェン戦争は、一体誰が、何のために引き起こしたのか? ……この問いかけは、各地を回った上映会でも会場からの発言にもあった。 第二次チェチェン戦争の引き金になった一連のアパート爆破テロはFSBによって仕組まれたものだという。 ソビエト連邦下の非合法ともいえる情報機関・秘密警察KGBは、ソ連崩壊後、合法国家のもとFSBもまた合法組織として、その動きに制約を受けるようになる。 非合法に動けなくなった組織を動けるようにするには、国家が非合法となることだ。国家が非合法になれば、組織は非合法国家の下で合法組織として自由に動けると。そすして国家を非合法にするためには戦争をすることだ。そのために爆破テロが工作されたと……。 FSBは政治的な秘密警察であり、過激な手法も使う機関だとリトビネンコはその実態を語っている。スパイ対策や対テロ防止のための組織ではなく、政権を維持するための機関であり、1999年から2000年にかけてのプーチン政権誕生でも彼らは秘密手法をフルに活用したと。プーチンもまたKGBに所属していた。 ロシアでは金でどんな情報も全て買えると。 金で兵士をチェチェンに売り渡していると。ある時は部隊ごと。 リトビネンコも告発したときに上層部から言われたそうだ。「このまま目をつぶれ。企業から賄賂をとって優雅に暮らせ。企業が見つからなければ、こちらで見つけてやる。」と。 汚職、暗殺計画、プーチン自身にまつわる麻薬組織との繋がり、公金横領などの闇の事実などなど。 100時間以上に及ぶネクラーソフ監督とのインタビューを終えたとき、リトビネンコは「終った。全てだ」と言い、二人は握手をして抱き合う姿が映像に映されていた。 リトビエンコが、愛国心と正義でもって任務についていた組織に対し疑問をもつきっかけとなったのは、チェチェンに派遣され、多くのチェチェン人を逮捕した時、その中に17歳の少年がおり、なぜこんな馬鹿げたことをするのかと質問したところ、彼はクラスの全員がロシア軍と闘っている。だから僕も闘うと言ったという。その少年の言葉を聞いた時、彼は第二次大戦と同じだと思ったそうだ。あの時も我々は全員ドイツ軍と闘った。こんな気持で闘っている彼らに勝てるわけがない。何かが違うと。リトビネンコはインタビューで語っていた。 私の身に何かあった時はこのビデオを公表し世界に伝えて欲しい。 彼らは暗殺など平気だし、実際にやってきている。国内でも国外でも…… 生前、リトビネンコはアンドレイ監督とのインタビューについてこのように語っていたという。 そして、アンドレイ・ネクラーソフは「リトビネンコ暗殺事件についてイギリスの捜査当局から事情聴取を受け、その時は充分に話せなかったと、今にして感じる。本作が私の証言だ」と本作で語っている。 射殺されたアンナ・ポリトコフスカヤもまた、第二次チェチェン戦争の引き金となったアパート爆破テロは「ヤラセ」であり、その後に「チェチェンからのロシア軍撤退」を要求する武装集団による、人質100人以上が死亡したモスクワ劇場占拠事件については、犯人の一人がプーチン政権下で働いている事実を新聞で報道し、ロシア側の手引きと扇動による惨劇だと告発していた。1000人以上の死傷者を出したベステン学校占拠事件の現場に向う飛行機で彼女は倒れ、病院で毒を盛られたと話していたそうだ。 ネクラーソフ監督は生前のアンナ・ポリトコフスカヤにも取材を行っており、その時のインタビューで彼女は「彼らは高みから私達を見下ろしてこう思っているわ。“好きに書くがいい、必要なら消すが、今は生かしておいてやる”と」と毅然と笑いながら語っていた。 ![]() このドキュメンタリーがカンヌ映画祭で急遽、上映されることが決定し、ネクラーソフ監督はその編集に追われていた時に、彼の家が何者かに襲撃されるという事件が起きている。通報を受けた彼は、編集作業でそれどころではなかったが、ともかくも撮影だけ行いにいった。冒頭でこの映像が映し出されていた。 窓ガラスが割られ、鋭く刺さる硝子の破片。部屋中が荒らされているが何も盗られていない。そしてベッドの上に本作のチラシにも使われている病床に横たわる彼の写真が置かれている。 この映像はかなりの恐怖だ。 <チェチェン戦争> チェチェン共和国は、ロシア連邦南部の共和国。ソ連解体を前に1991年11月に独立を宣言。エリツィン大統領はこの離脱を拒絶し、チェチェンに連邦軍を投入。第1次チェチェン戦争が勃発した。1996年に休戦するが、ウラジーミル・プーチンが大統領に就任した1999年にモスクワでアパート爆破事件が連続して勃発し、ロシア政府はチェチェン人の犯行として、テロリスト掃討のため、再び軍がチェチェンに侵攻し30万人もの死者を出し、共和国の首都は壊滅状態になるが、ロシア政府による厳しい報道管制がひかれその実情はほとんど世界に知らされていない。 アカデミー外国語映画賞ノミネートされ、浅野忠信が唯一の日本人として参加している映画「モンゴル」の監督でもあるセルゲイ・ボドロフ監督が1996年に第一次チェチェン戦争を背景にした「コーカサスの虜」があるだけかな。 そして泥沼化したこの戦争は現在も続いている。 また2002年にはロシア軍のチェチェン共和国からの撤退を要求した武装勢力によるモスクワ劇場占拠事件が起き、突入した特殊部隊による催眠ガスにより人質100人以上が中毒死するという事件がおきた、2004年にも同じく武装勢力によるベステン学校占拠により1000人以上の死傷者を出している。 ロシア最大の外貨獲得資源である石油パイプラインの経路の一端を持つチェチェン共和国。資源をめぐる戦争がここにもあることが伺える。 ……………………………………………………………………………… 本作で語られている事が事実なのかどうかは定かではない。あくまでもリトビネンコや関係する人々の証言に基づくものだから。そしてロシア政府はその関与を否定している。 しかしリトビエンコやアンナ・ポリトコフスカヤたちジャーナリストの相次ぐ死亡や行方不明。 ロシア政府がチェチェン人の反抗とするアパート爆破テロはFSBの自作自演だという声も多く聞かれ、外国の報道機関にも、こうした情報は寄せられたという。 アンドレイ・ネクラーソフ監督は「ロシアでは大多数の国民が無力感に陥っている。真実や不正に対して無関心で、酒に溺れたり、正面きって政権を批判するのは無意味だと思っている。ソ連時代は物質的には不自由だったけれど、思考は自由だった。いまは心の中まで支配しようとしているのを感じる」と語っている。 何者かに射殺されたアンナ・ポリトコフスカヤもインタビューで「あの悲惨なテロがヤラセだったのに世間は無関心。政府も何の抗議もないことを見通している」と怒りの表情で語っていた。 リトビネンコの遺書が25日に公表された。その遺書のなかでも、プーチン大統領を激しく糾弾していた。 息子を殺させるわけにいかないと亡命を決意し、ロンドンで安全を手に入れたと喜んでいたリトビエンコだったが暗殺された。彼の妻は、「知りたいのは一つだけ。ポロニウムはどこから来たの?それだけ…」ラストでロンドンで散歩するリトビネンコたち一家の楽しげな姿が映し出されていた。 本作を見た後、邦題の「暗殺」と言う言葉が引っかかる。原題は「REBELLION」となっている。 自らの行為を「反乱」といったリトビネンコ。 「反乱・リトビネンコ事件」 この映画は、リトビネンコが自らの正義を貫いて告発した事件であり、その内容を記録したものでもある。 そのために彼は、やはり放射性物質ポロニウム210によって暗殺されたのだろうか。 イギリス捜査当局は容疑者とされる元KGB将校アンドレ・ルゴボイの引渡しを要求しているが、ロシア政府はこれを拒否している。 彼の毛は放射線物質によるのだろう。ふさふさとした髪の毛は抜け落ちていた。 リトビネンコとネクラーソフ監督はインタビューを通して、友情を育んでいった。 その友が、ポロニウム服毒による多臓器不全となり目の前で死んでゆく。彼の身体を泣きながらさすっているネクラーソフにとって、リトビネンコの死は大切な友の死でもあった。 今も世界で続いている紛争。世界の大きなうねりと、日本にいる私自身に大きなズレを感じる。 世界はこんなに血なまぐさく、悲哀に満ちていて、緊張と貧しさの中で闘っている人々が、国があり、なにも知らないことに、ちょっと薄ら寒さを覚える。
by mchouette
| 2008-02-25 00:00
| ■映画
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