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METROPOLIS
1926年/ドイツ/121分 ![]() ドイツの映画監督フリッツ・ラングが1926年に製作した本作をやっと観た。 クイーンの名曲の一つ「RADIO GA GA」のプロモーションビデオにも利用され、マドンナの「Express Yourself」のプロモーションのモデルになり、マリアの顔が移される前のアンドロイドは「スター・ウォーズ」のC-3POのデザインに影響を与え……。 映画史上最も美しいといわれるアンドロイドの写真などは知っていたけれど、作品そのものは初めて観た。 1926年制作で、100年後の未来都市「メトロポリス」を舞台にした物語。 ここでラングが描いた未来都市のセットを見ていると、「スターウォーズ」のジェダイの都ではありませんか!本作以降、多くの作品で未来都市が描かれているけれど、その構造、イメージは全てこの「メトロポリス」にヒントを得ていると思う。そして支配層が暮らす地上世界と抑圧された者たちが暮らす地下世界という二重構造の世界。対立するものを超えて存在する心=愛といった作品のプロットなど、など、以降のSF作品やファンタジー作品で描かれているもものの源はこの「メトロポリス」にあると思う。これを超えた作品はまだないのではないだろうか。 「メトロポリス…SF映画の原点にして頂点」 本作に対するこの評価、この表現は決して大げさなものではないと思う。 後世になって高い評価をうける本作は、オリジナル版は2時間を越え3時間近くあったのではと推測されている。巨大なセットと膨大な数のエキストラ、当時の最先端技術を駆使した特殊効果など、ドイツの巨大映画会社UFAの後ろ盾を得て制作された映画史上初のSF大作だった。しかし、その評価は賛否両論で、興業的にはUFAの経営を危機へ追い込むまでの失敗作とされた。 公開直後、莫大な予算を使ったこの映画は配給を中断され、1927年の初めにアメリカでは2種類の短縮版が編集され、さらにドイツにおいても封切り終了後、ベルリン以外の都市で上映するための短縮版が作られた。フィルムがフリッツ・ラングの意向は反映されずにカットだらけ、継ぎ剥ぎの「メトロポリス」は製作者にとっては不本意な編集版で広く公開された。 そして1960年代からこの古典映画の復元が何度か試みられ、2001年2月15日ベルリン映画祭で「メトロポリス」の最新復元版が上映された。これは、近年見つかった状態の極めてよい可燃性プリントからの複写プリントに基づき、プレミア上映で使用されたオリジナル版がどのようなものであったのかを様々な資料によって再現した版で、後に変更された中間字幕もオリジナルに戻し、動く映像が現存しない箇所は文字による説明が加えられた。 映像の初めに、「メトロポリスのフィルムで残されているのは不完全なコピーだけで、4分の1は失われている」という字幕説明があった。 映画作家が心血を注いで作った我が子のような作品が切り刻まれた、そのことに胸が痛む。 SF映画の原点にして頂点」と評される「「メトロポリス(Metropolis)」。 失われたフィルムが惜しまれる。 ![]() 以下は、感想も述べながら、1度きりの鑑賞ですがストーリーを追ってみました。失われている部分もあり前後のつながりが不明瞭な箇所もありますが……。 西暦2000年の未来都市「メトロポリス」を舞台にした物語。 摩天楼がそびえたち、空中道路が交差し、飛行機が飛び、選ばれたものたちだけが住む地上の楽園である高度な文明社会「メトロポリス」。そしてメトロポリスを支配する独裁者ジョー・フレダーセンが君臨するメトロポリスの中枢は「ニュー・バベル」。 そしてトロポリスの都市機能を動かし、その繁栄を支えているのは、地下で過酷な労働を課せられている労働者たち。地上に住む支配階級と地下に暮らす労働者階級。 そして労働者たちはメトロポリスの地下深く、かつてローマ時代にキリスト教徒が逃れたカタコンベの地に密かに結集し、労働者階級のマリアという一人の女性の言葉に耳を傾ける。 マリアは旧約聖書に描かれるバベルの塔について語り、同じ言葉を話す人間がどうして理解しあえないのか、支配者の「頭脳」と労働者の「手」を結びつけるのは「心」だ。その心を持った媒介者は必ずやってくると説く。 メトロポリスの支配者ジョー・フレダーセンの息子であるフレーダーは、ある日マリアと出逢い、心臓を貫かれる衝撃を受ける。マリアの姿を求め地下に降りていったフレーダーは、そこで初めて労働者たちがいる抑圧された地下の世界の実態を知る。 一方、ジョー・フレダーセンは地下の労働者の不穏な動きを知り、ロボットの開発に余念のない狂気の科学者ロートバングに労働者たちの弾圧を要請する。そしてロートバングは労働者たちのマドンナとなっているマリアの顔をしたロボットを放つ。 ジョー・フレダーセンとロートバングは亡くなった「HELヘル」という女性をめぐってかつての恋敵でもある。ヘルはフレダーセンに仕え、彼の息子フレーダーを産んでいる。そしてロートバングは未だにヘルを思い続けている。彼の作り上げたアンドロイドはヘルを思い続けるロートバングの生み出した傑作でもあった。HELという名は北欧伝説では暗黒と死者の女神の名であることも興味深い。HELの彫像はとても美しい女性の顔だった。 ![]() これが映画史上最も美しいといわれるアンドロイド。これをヒントにしたといわれるスターウォーズのC-3POと比較にならないほどに、本作のアンドロイドは荘厳で芸術的な雰囲気も漂わせているといっても大げさじゃない。 マリアと瓜二つのアンドロイドは、地上にあっては支配階級の男性たちを、その扇情的な踊りで虜にし、彼女をめぐって男たちは争いを始める。そして地下にあっては、マリアと信じる労働者たちに向かって「もはや待てない。起ちあがる時だ。機械を破壊するんだ」と扇動する。 アンドロイドが肌も露にして躍る歓楽街の名前が「ヨシワラ」。この後、第二次大戦で日独伊同盟を締結したことを考えると、笑った後にちょっと引きつった。 大挙して労働者たちを率いて機械の心臓部めがけて突き進むアンドロイドは、まさに民衆を率いてフランス革命を勝利に導いたジャンヌ・ダルクのよう。いまや暴徒と化した労働者に地下での任務終了を果たしたと知った彼女は、密かにその群れから抜け出し、地上に戻り次には支配階級の男たちに欲情から争いを起こさせる。いまやメトロポリスは地上も地下も統制がきかない状況に陥る。 アンドロイドによるこのメトロポリスに対する破壊工作は、ジョー・フレダーセンに対する積年の恨みをもつロートバングの目論みであった。 破壊活動を行う労働者たちに対し、支配者のジョー・フレダーセンは水門を開き地下の世界を水没させようとする。そこには労働者たちの子供たちがいる。ロートバングの手から逃れたマリアは時計台に上り渾身の力で時を鳴らし、子供たちを呼ぶ。地下の戸口から次々と走り出てきた子供たちは時計台のマリアの周りに群がる。マリアはフレーダーと共に子供たちを地下から救い出し地上の世界に避難させる。 映画資料によると、男優25,000人 女優11,000人 禿頭の人1,100人 子役750人 黒人100人 東洋人25人 計37,975人という。ほとんどは地下に暮らす子供たちであり労働者たちとして出演したのだろう。とにかく凄い数の労働者、子供たちには圧倒される迫力がある。これらの人のエネルギーはCGでは再現できないだろう。「ベン・ハー」なども同じこと。生身の人間が動く厚みが違う。 一方、機械を破壊したことで地下の町が水浸しになり、子供たちが被害にあっていると思った労働者たちは、マドンナとしてあがめていたマリアの顔をしたアンドロイドを魔女と罵り、マリアを捕まえ火刑にする。火に煽られたマリアの姿の下から現れたのはアンドロイド。 一言で火がつき、流れが変わる烏合の衆となった群集心理の恐ろしさを見る思いがする。 その頃、マリアはまたしてもロートバングに見つかり、彼女をヘルのかわりに我が物にしようとするロートバングから必死に逃げようと闘っていた。それを知ったフレーダーはマリアの救うため聖堂の塔の上でロートバングと死闘を繰り広げる。息子の危機を知り、ジョー・フレダーセンも聖堂に向う。戦いに勝利したフレーダーとマリアは互いの愛を確認しあう。そしてかけつけた父親のジョー・フレダーセンとともに聖堂から出てきた。3人を迎える労働者たち。フレーダーは父の手と労働者のリーダーの手を取り、互いに握手させる。 頭脳と手が心によって結びついた瞬間だ。 マリアと彼女を模して作ったアンドロイド、いわば聖女と悪女の二役を演じたブリギッテ・ヘルム[Brigitte Helm]という女優の演技が素晴らしい。 頭脳と手を結ぶのは心だというのは本作の一つの大きなテーマだろう。 当時のドイツは第一次大戦の敗北によって帝国国家から共和制に移行し、ヴァイマル共和政権時代に製作された作品である。 本作は1925年に製作された戦艦ポチョムキンと並んで、当時の資本主義と共産主義の対立を描いた作品とされているけれど、そして、ラストについて1984年ハリウッドで彩色された版を観た手塚治虫氏は「実際、資本家・特権階級と労働者階級とが、結局、愛で結ばれるという結末は、なんとしても安易過ぎ、それまでのさまざまな問題提起を一度にだめにしてしまう失点だったと言わざるを得ない。これはおそらく原作となった小説の責任で、執筆者でありフリッツ・ラング監督夫人であるテア・フォン・ハルボウの筆の甘さであろう。…」と評したそうだ。 けれど、本作を階級闘争という視点でみたら手塚氏のような批判的な見方もできるだろうけれど、マリアがバベルの塔の崩壊を語り、いがみ合い闘いあう人々を超えるものは「人間の心」だと訴えているように、ラングはもっと人間の存在の根本的なところで本作を描いていると思う。 小国の集まりであったドイツは常に戦いがあった国であった。そんな人間同士の闘いを超える道は、それがたとえ幻想であるとしても人間の心の中にある愛に希望を見出す以上にどのような道が残されているのだろうか?「エゴと愛」人間の永遠のテーマだろう。そしてこれは繰り返し幾度も映画でも語られているテーマでもある。 これを1926年という時代の中で、このテーマを描いたラングは称賛したいと思う。 この映画の原作の脚本はフリッツ・ラングと彼の妻であった脚本家テア・フォン・ハルボウの共同で1924年に書かれたものであったけれど、1926年にハルボウ名義の原作小説として出版されたそうだ。 そしてこの映画が公開された時、観客の一人にヒットラーがいたという。そして、この映画に感激したヒットラーは、政権を取った後、ラングに「ナチスの宣伝映画」の製作を依頼したそうだ。 ユダヤ人であったラングはヒトラーとの会見の後すぐにパリ経由でハリウッドに亡命している。 そしてナチスを指示する妻のハルボウとラングは1932年に離婚し、彼女は離婚後ナチス党員となり、科学者ロートバング役のルドルフ・クライン=ロッゲと結婚し、二人はナチスの宣伝映画を数多く作ってゆくことになる。 見終わった後、そして本作のフィルムが切り刻まれた悲劇を思い、フリッツ・ラングも、そして「メトロポリス」もその時代の価値観に翻弄された。そんな思いに映画の感想とは別の感慨ももった。 監督: フリッツ・ラング 製作: エリッヒ・ポマー 脚本: テア・フォン・ハルボウ/フリッツ・ラング 撮影: カール・フロイント/ギュンター・リター 出演: アルフレート・アーベル ブリギッテ・ヘルム グスタフ・フレーリッヒ フリッツ・ラスプ ルドルフ・クライン=ロッゲ
by mchouette
| 2007-12-19 00:00
| ■映画
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