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TWO FRIENDS
1986年/オーストラリア/76分 「ジェーン・カンピオン短編集を観てから、俄然カンピオン作品、それも「ピアノ・レッスン」以前のオーストラリアで制作された彼女の作品を観たくなった。同性だからこそ描ける思春期の少女たちの微妙な心の内と、観察者の冷静な視線。カンピオンのそんな感覚を映像で見たいと思う。カンピオンが映しだす風景や構図は、そんな彼女たちの心象風景を色濃く反映された映像として映し出されている。そんな映像がゾクッとさせる。 ●ジェーン・カンピオン短編集 (1982~1984) <未公開> ●ルイーズとケリー (1986) ●スウィーティー (1989) ●エンジェル・アット・マイ・テーブル (1990) ●ピアノ・レッスン (1993) ●ある貴婦人の肖像 (1996) ●ホーリー・スモーク (1999) ●イン・ザ・カット (2003) ●めぐみ-引き裂かれた家族の30年 (2006)…これは製作総指揮として関わっている。 ジェーン・カンピオンのフィルモグラフィから、「ルイーズとケリー」「エンジェル・アット・マイ・テーブル」そして「ホーリー・スモーク」をまずはレンタルした。 観たかった「スウィーティー」。これはいつも行っているTSUTAYAには在庫がなかった。ムキになって探してみよう。 「ある貴婦人の肖像」は「ピアノ・レッスン」に惚れ込んだニコール・キッドマンがカンピオン作品への出演を熱望し、実現した企画とのこと。あまりこういう形で製作された作品には、今回あまり興味が湧かない。あえて外す。「イン・ザ・カット」メグ・ライアン主演の作品。これも後ほど観ることに。 ![]() 物語はオーストラリアで、製作年の1980年代だろう。 ルイーズとケリーというまるで双子の姉妹のようにいつも一緒の仲の良かった女の子二人の友情が、最難関の女子高に二人揃って合格した中学生の終わりから、翌年の7月までの9ヶ月間で、彼女たちがおかれた状況の変化に伴って、どのように変わっていったかを描いた作品。変わっていったというより、壊れた、いや消えてしまったといったほうがいいだろう。 10代半ばの多感な年齢の女の子の友情の在り様と、彼女たちを取り巻く大人たちの様子を見事に日常の中で浮かび上がらせている。 物語は、ルイーズやケリーたちと同年齢の女の子がドラッグ中毒で亡くなった、その通夜に訪れた際のルイーズの両親の会話から始まる。 通夜には亡くなった女の子の友だちだろう。パンクファッションの若者が数名固まっている。戦後の高度成長の中でロックに象徴されるように若者を中心に、時代の価値観が大きく揺れ動く、そんな混沌とした20世紀後半という時代が切り取られた映像。 「ルイーズは大丈夫よ」「あの不良っぽい友だちは?」「ケリーのこと?」 ルイーズとケリーが、最難関の市立の女子学校に同じ学校から受験した中で二人だけ合格した時は、ともに祝いあい、そして、ケリーの母親の再婚相手である新しい父親のマルクスが、伝統と権威主義の学校なんかには行くなと、せっかく合格した学校への入学を許可しなかった時も、ルイーズの父親はマルクスに「ケリーは頭のいい子だ。入学を許可してやって欲しい」と説得していたほどケリーに対し親密だったのに、数ヶ月後には「あの不良っぽい子」という表現でしか語られない存在になってしまったケリー。 物語は、ここから時間を遡り、上級学校に合格した喜びに溢れた2人の姿で終る。逆行する時間軸の中でルイーズとケリーの関係の変わっていく様を、その兆しを掬い取りながら語られていく。 時間を遡って語るという手法は、例えばフランソワ・オゾンは「ふたりの5つの分かれ路」(2004)で一組の夫婦の出会いから離婚までを、時間を遡り、二人の間に徐々に広がっていった歪を浮き彫りにさせている。オゾンはカンピオンのこの作品からインスピレーションを与えられて「ふたりの5つの分れ路」を撮ったそうだ。 オーストラリアの教育制度は15歳までが義務教育だから、ルイーズもケリーもおそらく15~16歳という年齢だろう。 この年齢の女の子同士って、いつも学校で一緒で、家に帰っても電話でおしゃべりをして、さらに、長い長い手紙を交換して、お泊まりして……と、とにかくいつも、何をするにも一緒。 私はそういったべったりとした女の子の仲良しってあまりピンとこなかったから、ルイーズとケリーの仲良し振りをみても、中学時代にも周りにそういう子たちがいたなって思うだけで、どうしてそんなにベタベタと仲良くできるのか、あまりよくわからないところはある。けれど、私も複数の女友達がいて、家に帰ってきてからいつもその子たちの誰かの家に遊びに行ってたし、帰るときも彼女たちといつもケラケラ笑い転げながら帰っていたから、似たようなものかも知れない。 ルイーズとケリー 二人して女子校に合格した時の二人はどちらも普通の十代の明るい女の子。 それが、ルイーズはそのまま合格した学校に通い、キチンと制服を着て、ドラッグとかタバコなんか最低。ディスコなんかみんな死んだみたいな顔して躍っているから最低、といった優等生タイプで、子供のときからそのままあまり大きな変化もなく大きくなっていった。 ケリーは、義理の父親からルイーズと一緒に合格した学校に行かせて貰えず、違う学校に生かされてから、すっかり糸の切れた凧のようになってしまい、家を出て刹那的に生きている。外見はみるからにパンクそのもの。周囲の大人たちが心配するほど変わってしまった。 ルイーズを通して、ルイーズの中でケリーに対する彼女自身の内面の変化を、ケリーを通して、ケリーの両親の離婚、新しい父親との確執といった周囲の大人たちの中で次第に居場所をなくしていく彼女自身の変化を、カンピオンは描いている。 そしてケリーを通して、カンピオンは、社会の価値観の変化に伴い、個人の自由を追い求める風潮の中で急激に増えつつある離婚による家族の崩壊といった深刻化する社会問題についても訴えていると思う。 ルイーズとケリー とっても仲がいいんだけれど、微妙な屈折した力関係の危ういバランスで保たれている関係でもある。 同じ時間をより長く、そして同じ感情を共有することで、仲良しを確認しあう。 相手の内面の痛みや苦悩を理解するのではなくて、そのことによって引き起こされる感情を共有する。その年齢だったら、案外こんなものかもしれないな、という気もするけれど……。 案外、心のうちは見せていない。彼女たちは誰にも自分の心の内を見せていない。 ルイーズがつけている日記も、日記をロックして、さらに箱に入れてベッドの下にしまいこんでいる。 ケリーは自己主張が強く、自分の個性をはっきりと外に出すタイプで、ルイーズはどちらかというと世間の良識の枠に自分を収めることができるタイプ。 そして、無邪気に二人で笑い転げていた間は、どちらかというと、行動的なケリーが提案をして、ルイーズがそんなケリーを受け入れていたという風だった。 ケリーが父親との不仲が表面化し、互いの家庭環境の違いが歴然としてきた時、ケリーとルイーズの力関係も微妙に変わっていき、そこに「憐れみ」という感情も入ってくる。優位のバランスが崩れたとき、そこにあった関係そのものも崩れていくのだろう。 ケリーが家をでてから数ヶ月ぶりにルイーズに宛てた手紙を、ルイーズは途中まで読むけれど、興味をなくしたように手紙を机の上に置き去りにしてしまう。 ケリーの手紙も精一杯片意地はった内容だった。 無邪気に泣きじゃくっている間は、二人して泣いたけれど、本当に不幸な状況に陥った時、そんな自分を打ち明ける相手は誰もいないということ。それは、あんなに仲の良かったルイーズでもないということ。 初めてケリーが画面に登場した時は、すっかりパンク娘になってしまい、恋人と砂浜で座っている光景が映し出される。海が見えるバス停で恋人と別れたその光景は、色のない寒々としていて、後ろに見える海さえも何かを拒絶したように見えるだけだった。これがケリーの心象風景。 ルイーズとケリーに限らず、世間の人と人との繋がりとは、こんな風に表層的で、壊れやすいものなのかもしれない。そして、人は人といろんな話をしているように見えるけれど、その実、本心は固く閉ざしているのかもしれない。 冒頭でルイーズの両親が通夜に行ったとき、ドラッグ中毒で亡くなった父親の哀しみを思うより前に、娘のルイーズが問題児でないことに安堵する。 ルイーズの母親は、ケリーの家庭事情を知っていて、家出をしたあとのケリーのことも耳にしていて、彼女に何もしてやれなかったことに対し、友人に「責任を感じているわ」と語っているけれど、どこまでケリーの心を受け止められるというのだろうか。 ケリーの母親も、娘の気持よりも再婚相手のマルクスの機嫌を気にしている。ケリーの父親も、ケリーが訪ねていっても恋人の電話で、娘を置いて出かけていく。 自己主張の強いケリーはそんな大人たちの世界に反応し、行き所を探しあぐねて自ら世間の枠から外れていく。 そしてルイーズは、おりこうな仮面を被っている彼女が、誰よりも一番爆弾を抱えているかもしれない。世間の良識よりも自分のやりたいことを、はっきりと表に出すケリーに自分の願望を投影していたのかもしれない。 向きになってタバコもドラッグも最低、ディスコも最低といいながら、ボーイフレンドのマシューがディスコでケリーを見かけたことを聞いた時、ケリーの様子とか服装とかを気にしていた。ルイーズの今の生活は母親も別に恋人がいるようだけれど表面上は両親も仲がよく、家庭も落ち着いているけれど、いつか彼女のそんな環境も変化が起きるだろう。そして、いつか彼女の自我が彼女の中のバランスを突き破る時が来るだろう。 カンピオン作品は女性を主人公にした作品が多い。そして彼女の視線は常に女性たちの内面にじっと注がれている。 本作のパッケージに「『ピアノ・レッスン』の原点がここにある」と書いてあった。 本作が初めての長編映画だろうけれど、どうして「ピアノ・レッスン」と結びつけてカンピオンを語るんだろう。カンピオン=「ピアノ・レッスン」の図式はおろして欲しい。 初期のこんな作品にカンピオンの感性がとても生き生きと息づいているのに……。 本作はカンピオンの短編「彼女の時間割/A GIRL’S OWN STORY」に続く長編映画だと思う。「寒いわ 寒いわ ここはとても寒いわ 溶けてしまいたい~」この歌詞が、ケリーやルイーズをみていて重なってしまう。 カンピオンの最新作は「Bright Star」で、こちらは若くして亡くなった実在の英国詩人ジョン・キーツと、その恋人ファニー・ブローンの悲恋を描いた作品とのこと、ジョン・キーツ役には「パフューム ある人殺しの物語」のベン・ウィショーが決まったとのこと。その恋人ファニー・ブローン役にはオーストラリア映画「キャンディ」でヒース・レジャーと共演したアビー・コーニッシュが予定されているそうだ。男性が主人公って初めてではないだろうか。これは大いに興味があり。 監督: ジェーン・カンピオン 製作: ジャン・チャップマン 脚本: ヘレン・ガーナー 撮影: ジュリアン・ペニー 音楽: マーティン・アーマイガー 出演: エマ・コールズ クリス・ビデンコー クリス・マッケイド
by mchouette
| 2007-11-30 00:00
| ■映画
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