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1984年/オーストラリア/48分
ジェーン・カンピオンといえば、1993年にカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した「ピアノ・レッスン」がマイケル・ナイマンのあのピアノのメロディとともに蘇ってくる。 1955年ニュージーランドで生まれた彼女は、父親が演出家、母親が女優という家庭環境に反撥して、大学で人類学を専攻するけれど、彼女の中のDNAでしょうか、次第に映画に歓心を持つようになり、大学卒業後、ロンドンで美術を学び、その後オーストラリアのシドニーの美術大学でで視覚芸術を学んでいる。さらに1981~1984年に、オーストラリア・フィルム&TVスクールで演出を勉強し、本格的に映画演出の道を歩み始め、現在に至っている。 今回の短編作品はいずれも、彼女がオーストラリア・フィルム&TVスクール在学中に製作したもので、1982年製作の「ピール PEEL」が1986年カンヌ映画祭の短編部門でグランプリを受賞している。この時に、このビデオテープにも収録されている「キツツキはいない」(1984)と「彼女の時間割」(1984)が、同じくカンヌ映画祭「ある視点」部門で一挙上映され、ジェーン・カンピオンの名前が一躍に知られるようになったとのこと。 とはいっても、私がジェーン・カンピオンの名前を知ったのは「ピアノ・レッスン」から。 この短編集。レンタルされてなくって、アマゾンにもなくって、半分諦めていたけれど、週末ソクーロフ監督作品を観にいったシネ・ヌーヴォにビデオテープだけど販売の棚にあった。販売元は「アップリンク」。シネ・ヌーヴォはアップリンクの配給作品の上映館でもある。 でも、彼女はそれよりももっと以前、10年も前から,私的には、「お、おっ!」と嬉しくなるようなこんな作品をつくっている。 わずか数分間の映像で描きたいものを表現した短編には、長編よりも、更に彼女の視点とか表現の仕方とか構図のとり方とか、そんな彼女のセンスがストレートに伝わってきて面白い。 「ジェーン・カンピオンってこんなセンスしてるんだ!」 描き方とか、表現の仕方とか、表現の仕方はユーモアやウィットがあるけれど、結構シニカルに観察していて、その掬い取りかたと描き方には「鋭い!」って言いたくなる。……。 「ピアノ・レッスン」でも、スカートを広げるためのクリノリンをテントにしてその中で一晩過ごすといった発想とか、ピアノが置き去りにされている海岸まで連れていって欲しいと頼みに行ったとき、エイダ母娘が二人揃って「お願い。駄目かしら」っていう風に双子みたいに首をかしげる茶目っけある仕草とか、フローラが海草をもって踊ったり、ピアノを弾くエイダ囲むように砂浜に貝殻で描いた絵とか、そんなところにも、監督であるカンピオンのとても個性的でユニークな発想や、目の前に立ちふさがる夫を跳ね除けてでも、口を固く結んでジョージの許へ行こうとする強い意思の描き方とかに、新鮮なものを感じた。 「ピアノレッスン」でカンピオンのとても瑞々しい映像表現や演出以上に、この短編集のジェーン・カンピオンは、伸びやかで冴えている! ピール PEEL …1982年/9分 「ピールPEEL」はミカンの皮のこと。 兄のティムと妹のカティ、そしてティムの息子のペン。この3人は実際の家族。 赤毛はヨーロッパでは頑固者の代名詞だとか。そういえば「赤毛のアン」でもそういう件があったっけ。カンピオンは、ティムとカティにあったとき、二人が顔立ちとかの外見だけでなく、正確もそっくりなことに驚き、そしてティムの息子のペンがあまりにもティムそっくりなので思わず笑ってしまったとか。この3人の肖像画を映画にしたのが本作。この3人、日本語で表現すると頑固というよりも「意固地」っていう表現の方がぴったりかもしれない。 ドライブ中に、ペンがむいたミカンの皮を車の窓から捨てているのを父親であるティムが注意したことから始まる。自分のしていることを注意されても素直に聞けないのがこの親子。 どっちも意地になる。ティムはペンを車から降ろし捨てたミカンの皮を全部拾えといってドアを閉めてしまう。素直になれないのもこの3人。優しさとか心配とかを素直に見せれないけど、ペンが心配で……。カティが草むらで用をたすシーンが突然入ってくる。こんなシーンを入れる辺りなんかニヤリとしてしまう。案外草むらのトイレは口実だったのかも。知らん顔して目はペンを探している。 カティの服装はタイツまでも赤紫の系統。こだわったらとことんこだわるのもこの性格ゆえかしら。そして互いに絶対に譲らないし、謝らないのもこの性格。ティムとペン父子が仲直りする仕方とか…。絶対に謝らない同士の仲直りってこんな風。父子が仲良く車まで帰ってきたら、今度はカティが……。全く、ティムとカティとペンのこの3人ときたら……。 「頑固」をこんなに端的に、ユーモラスに描いているカンピオン。 上の写真でこの作品の絶妙なるセンス伝わるかしら! キツツキはいない PASSIONLESS MOMENT …1984年/12分 原題の「PASSIONLESS MOMENT」は心理学用語で「無為な時間」という意味だそうだ。 日常生活の中の気の抜けた瞬間を10の話をオムニバス形式で綴った作品で、捉えた瞬間の展開と絶妙な間合いには、ニヤリとさせられたり、妙に頷いてしまったり……。 邦題タイトルの「キツツキはいない」は、この中の一つの話のタイトルからつけられたもの。 コン・コン・コンとリズミカルな音を聞いた主婦が、はじめは日本の拍子木を叩いているのかしらと思い、次にキツツキが木をつついている音と思い、外を覗いたら、布団を叩いている音だった。ふとオーストラリアにキツツキがいないことに気がつき、どうしてキツツキと思ったのかしら?といった、よくある思い込みの勘違い。この主婦は日本びいきかしら。日本の華道で花を活けていた。人の発想って大概はその人の関心のある事に左右されるものだ。この主婦みたいに、日本の拍子木が思い浮かび、「木」の発想がキツツキにつながって……。 「焦点距離」は、恋人同士の青年が二人。相手に腹を立てているけれど、その相手はちっとも気にしていない。なぜ2つの物に同時に焦点を結べないのか?というお話。 「スリーピージーンズを洗え」は、ジーンズを洗いながら男は10年前にはやったポップス曲を口ずさんでいる。「頑張れスリーピージーンズ!。スリーピージーンズを洗おう!」曲は「モンキーズのテーマ」。一瞬、男は自分の歌っている歌詞に「?」と思う。「こんな歌詞おかしいよな。こんな歌詞作るはずない」でも彼はずっとこの歌詞で歌っていたというお話。 「エドはフロントローだった」は、いつも日曜日には6枚のワイシャツにアイロンをかけるエドはラグビーでフロントローだった(と過去形)。アイロンの途中で休憩し冷蔵庫からビールを取り出す。試合で活躍した場面を思い出しながら、缶ビールを5本飲んでまたアイロンを始める。お腹は勿論ビール腹。 一番最初のビデオパッケージの写真は、「スコッティのデザインは世界一」に出てくるソフィという女の子。 ”無数の瞬間がある。個々の瞬間は、はかなく 生まれたと同時に消えていく”というナレーションがオチとなる。まだ小さい子供のソフィが何をか思わんの哲学者風情でティーカップで、おもむろにお茶を飲んでいる仕草がまたこの女の子の雰囲気と絶妙に合っている! みんな自分だけの法則を見つけて、それが自分の世界。 結婚しようと、しなければ、したいとぼ~っと仰向けに寝ながら思っている男が、部屋の中の綿ぼこりを見ながら、「綿ほこりは天使だ」と母親がいつも言っていたのを思い出す、といったお話……。 それぞれのお話に、カンピオン!いい視点してるなって思ってしまう。 彼女の時間割 A GIRL’S OWN STORY …1984年/27分 パムたちが歌っている…… 寒いわ 寒いわ ここはとても寒いわ 溶けてしまいたい この感覚って、思春期をとっくに過ぎてしまった今でも、私の中に刻まれている感覚。少女はこの感覚を引きずりながら、大人になっていって、大人になっても、どっかにいつもこの感覚はチクリと胸に刺さる時もある。 この映像はちょっとゾクッとしてしまう。
by mchouette
| 2007-11-29 00:13
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