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MOLOKH
MOLOCH 1999年/ロシア・ドイツ・日本・イタリア・フランス/108分 at:シネ・ヌーヴォ 「20世紀の歴史で、もっとも恐るべき現象といえば、ナチズム、ファシズム、ボルシェヴィズムが、国と世界の繁栄をめざす野心家から生まれてきたことです」と語るアレクサンドル・ソクーロフが、20世紀に権力の座に就いていた人びと、そしてその権力の凋落を描いた3部作。その第1作目「モレク神」で描いた人物はアドルフ・ヒトラー。 ソクーロフは1999年に、この「モレク神」を、ついで2001年に「牡牛座 レーニンの肖像」を、そして2005年に「太陽」を撮っている。 そして、ソクーロフが言う、20世紀後半におけるこの恐るべき現象は、第一次世界大戦という、人類の歴史の中で始めて遭遇する世界規模の戦争によって引き起こされたことは、歴史をみても明らかである。 この大戦によって、とりわけヨーロッパではそれまでの君主制国家が消滅し、世界を支配してきた秩序が決定的に崩壊した。ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、そしてロシア帝国という4つの帝国が分解し、そしてホーエンツォレルン家、ハプスブルグ家、オスマン家、そしてロマノフ家という中世以来の権力を持っていた4つの王家は没落する。 旧体制の崩壊と共に、新たな権力が台頭する。 この大戦は、ロシアではレーニンたちが率いるボリシェヴィキがロシア革命を起こす契機となりソビエト連邦が誕生し、ドイツではアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党が政権を掌握し、ヒトラーを総統とする1党独裁政治が誕生する。ナチス・ドイツの支配した期間は1933年から1945年の12年間。そして、この間に、ヨーロッパはナチによる狂気の嵐に曝され、20世紀におけるもっとも「恐るべきおぞましさ」として歴史に、そして人々の脳裏に刻み込まれる。 「モレク神」とは、古代セム族が子供を人身御供にして祭った恐ろしい犠牲を要求する神の名前であり、旧約聖書では悲惨な災い、戦火 のシンボルとして記されている。 撮影は、20世紀の負の遺産であるヒトラー侵略の記憶を持つ都市ペテルスブルグで行われた。 ![]() 第二次大戦下、ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍の劣勢が見え出した1942年春。 ヒトラーの愛人であるエヴァ・ブラウンが住む荒鷲の要塞と呼ばれているベルヒデス・ガーデン。雲の上にそそり立つ要塞。 人気のないこの館で全裸で伸びやかにダンスを踊り、そして、愛する人を思うエヴァが映し出される。 ヒトラーが、腹心のゲッペルスやマルティン・ボーマンたちを伴いこの要塞を訪れる。 ナチス・ドイツの勇猛果敢なフィルムに興奮し、召使たちに紳士的に振舞っているかと思うと、突然に機嫌を損ね、冷酷になる。すこぶる上機嫌ではしゃぎ、饒舌に誇大妄想的な考えを語る一方で、「裏切り者がいる」と猜疑心を覗かせる。スターリンがドイツよりも高い建物を建てたからあいつと戦争すると子供の喧嘩のように戦争を語る。 周りのものがヒトラーの感情の起伏に躍らされている暴君ぶりの中で、一人エヴァだけがそんな状況を冷静に、時としてシニカルな目でみている。 エヴァにとってヒトラーは神でも総統でもなく一人の愛する男にしか過ぎない存在なのだろう。 この作品の中で、エヴァだけがヒトラーを一人の人間としてニュートラルに観れる存在として描かれている。エヴァはヒトラーたちの価値観に囚われず、自分の感覚で考え、動ける女性として描かれている。 冒頭のダンスといい、ヒトラーの話をみんながって聞いている中で一人ダンスのバランスのポーズをとったり、何かをじっと思い詰め、黙って吊り輪をする。そんなエヴァが何度か描かれている。心のバランスが崩れそうになった時、彼女はこうして自分を持ちこたえているのだろう。こういう描き方にソクーロフ独特の捉え方と表現センスを感じる。そんなエヴァもヒトラーと二人きりになった時「アディ、日陰の身のようなこんな生活に疲れたわ」と訴える。 そしてヒトラーはこの23歳も年下のエヴァの前では、人生に疲れた一人の男の姿をみせる。「手が動かない。起きたくない。自分はガンで死ぬ。もう仕事はしたくない」と子供のように駄々をこねる。若い愛人の前で「自分は老いぼれて魅力がない」などと中年男の弱音を吐く。ピクニックに行ったときエヴァに誘われて躍るヒトラーは愚鈍なまでの姿を見せている。 エヴァが「そんな人たちはアウシュヴィッツの収容所に送ればいいのよ」と挑発的な発言をする場面がある。それに対しヒトラーが「アウシュヴィッツとは何か? どこにあるのか」と反対に訊ねる。その場をとりつくろう腹心のマルティン。 ヒトラーが観ていたのは、ナチ親衛隊の美しい軍服に象徴される姿だけだったのかもしれない。 ピクニックにでかけたヒトラーたちを護衛する兵下が2名、岩場に立って周囲を見張る姿が映し出される。そのシルエットは完璧に美しい。 彼が目指すのは、自らが計画した都市国家に優秀で美しいアーリア人だけがいる第三の世界。都市計画図もあり、新しい都市の模型まで作っていた。ヒトラーにとって、彼の求める美があればよかったのだろう。 そのために、彼の美の基準から外れる醜悪なるものは、人であれ、芸術であれすべて排除されるべきものであり、そのためにどれ程のおぞましい地獄が生まれたか、その実態を彼は知らないのだろう。有能なる部下達が彼の眼から覆い隠したのだろう。 「あなたはみんなから凡庸であると思われるのが怖いのよ」と指摘する。 凡庸に対する恐怖が、あれほどの狂気を生み出したのだろうか。 「あなたが凡庸であっても私は愛しているわ」とエヴァはヒトラーに向っていう。エヴァの眼には総統といわれ、皆に囲まれ神のごとく振舞うことを強いられ、内心は疲れ果てているヒトラーが映ったのだろうか。エヴァの前にいるヒトラーは愚鈍なまでの一人の中年男。 ヒトラーを徹底的に「ひとりの男」に引きずり降ろさなければ、歴史の悪循環は断ち切れないとソクーロフは語っている。 出発の朝、「我々は死をも超越する」と神のごとく豪語するヒトラーに向って、エヴァは「アディ、死は克服できないのよ」と訴える。どこまでも、一人の人間としてヒトラーを見るエヴァの視線に悲痛なものを感じる。 ヒトラーが自らを神と錯覚するまでに押し上げたのは誰なのか。 ナチス・ドイツの狂気は、ヒトラー一人の狂気だったのか。 欲望が権力と結びついた時、ヒトラーという一人の人間を神格化させることで、その狂気は際限なく暴走する。そしてヒトラーもまた、その狂気に自らを見失い、狂気そのものに踊らされていた一人の男だったのかもしれない。 ヒトラー率いるナチス・ドイツの行った恐るべき行為は、「人間」という生き物が持つ果てしない欲望と狂気と恐怖が引き起こす残虐さを、白日の下に曝したともいえる。 ナチス・ドイツのあの行為とそこから引き起こされた悲劇が刻み込まれてもなお、世界各地で繰り広げられている紛争と、そこで繰り広げられている残虐さを、どう捉えればいいのだろうか。 映画「リュミエールの子供たち」で語られていた言葉…。 「新たな殺人者の未来を語る者は? 私たちの中にも囚人達や責任者、密告者が生き残っている。 私たちは廃墟を見ながら、まるで収容所という怪物がここで死に、希望が戻ったかのように振舞う。 収容所という病気が治ったのか? 全てがある国の一瞬にして起きたことか? 私たちは周囲を見ようとせず、叫びを聞こうとしない」 そして「牡牛座 レーニンの肖像」でソクーロフは語っている…。 「この3部作は20世紀を描いた映像です。これは人間の苦悩、迷いの百科事典、数百万人の人生を破滅に追い込んだ権力の値段です。主たる責任は責任者になく「人民」の中にあることを私は確認します。しかし、この責任から人民は絶えず回避し、ヒトラーたちや、レーニンたちの背後に隠れるのです……」 ヒトラーを演じたのは、「牡牛座」でレーニンを演じたレオニード・モズゴヴォイ。ソクーロフは、彼をユニークな天分をもった役者であり、彼ならどんな役でもこなせるでしょうと語っている。 監督: アレクサンドル・ソクーロフ 脚本: ユーリー・アラボフ 撮影: アレクセイ・フョードロフ 出演: エレーナ・ルファーノヴァ レオニード・モズゴヴォイ
by mchouette
| 2007-11-27 00:00
| ■映画
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