![]() by mChouette 検索
カテゴリ
全体 ■映画 =映画:あ行 =映画:か行 =映画:さ行 =映画:た行 =映画:な行 =映画:は行 =映画:ま~わ行 ■映画・雑記 ■ドラマ ■展覧会・コンサート ■一冊の本 ■徒然なるままに… ■美味しいもの ■アウトドア・旅 ■勝手にバトン ■ご挨拶・お知らせ 未分類 最新の記事
その他のジャンル
|
TELETS
TAURUS 2001年/ロシア・日本/94分 at:シネ・ヌーヴォ ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督が20世紀の権力者達を描いた「20世紀3部作」のうちの1作で、自国のレーニンを描いた作品。 シネ・ヌーヴォにて3部作が一挙上映された。 3部作のうち1998年にヒトラーを描いた作品に対し、ソクーロフは、古代セム族が子供を人身御供にして祭った恐ろしい犠牲を要求する神の名前であり、旧約聖書では悲惨な災い、戦火 のシンボルとされている 「モレク神」 と名づけ、天皇ヒロヒトを描いた作品には「太陽」というタイトルを冠し、そして自国のレーニンを描いた本作には「牡牛座」というタイトルをつけている。 「牡牛座」20世紀における「権力」について描こうとするソクーロフの中に広がるイメージを端的に表現したタイトルだろう。 そして、それぞれの映像は、彼の作品に対する心象風景を映し出すように、静謐で鈍い光に覆われている。 ソクーロフの描き出す映像は美しい。 とりわけ、本作「牡牛座/レーニンの肖像」は、ソクーロフが考えイメージする映像を撮影する人間がロシアにもヨーロッパにもいなかった為、ソクーロフ自身が、特別なレンズを製作して撮影したそうだ。そのために撮影終了後、彼は極度に視覚を失い、7回も目の手術を受けたそうだ。 緑がかった霧に包まれ、薄い膜が張られたようになざらつきがあり、ランプの光はその輪郭ががぼやけて鈍く輝いている。 銃弾に倒れ、その被弾によって健康を損ね、脳梗塞によって右半身不随になってしまったがゆえに、政治の表舞台から落とされてしまった一人の男の内面を描き出した映像でもあるだろう。 この一人の男とは、20世紀初め、ロシアの共産主義政党であるロシア社会民主労働党・ボリシェヴィキの指導者として、世界ではじめて社会主義革命(ロシア革命)を成功させ、ソビエト連邦を建国したレーニン。本名ウラジミール・イリイチ・ウリヤーノフ。 1917年、トロツキーたちとロシア十月革命を成功させ、最初の人民委員会議長となったレーニンは、翌1918年に狙撃され重傷を負い、この被弾によりレーニンは健康を害するようになる。そして1922年に最初の脳梗塞の発作に襲われる。そして1923年に3回目の発作に襲われ、政治への復帰は不可能となり、1924年1月死去。遺骸は本人の意思と無関係に永久保存処理をされ、クレムリン廟に今も安置されている。 本作は、史実にもとづいて描かれたレーニン像というよりも、ソクーロフが「権力」という視線で描き出したイメージとしてのレーニン像であり、本作に登場するレーニンやスターリンについても実在の名前は語られていない。 「権力から凋落した一人の男=レーニン」と、そして「権力の座を目の前にほくそえむ一人の男=スターリン」として登場する。 ![]() 本作「牡牛座 レーニンの肖像」は、1922年、最初の脳梗塞の発作に倒れたレーニンが、妻や妹を伴って、モスクワの南東35kmに位置するゴールキ村の別荘で療養している、ある一日に描いたもの。 レーニンは52歳の時である。 療養という名の幽閉に近い状況にレーニンが置かれていることがありありと分かる。 下界から完全に遮断され、電話も通じず、手紙も来ない。手に入れた新聞は、護衛の兵士によって取り上げられる。彼が誰に何を話し、何を読んでいるのか、彼の行動は常に監視されている。彼だけでなく、妻や妹までも……。そーっとドアが開けられ、いつも誰かが覗いている。 護衛する兵士たちや医師の態度にはレーニンに対する尊敬の念もなく、人間としての尊厳をもって接するという態度とは程遠いものである。 兵士たちにとって彼は、既に影響力を失った、右半身が麻痺し、入浴も着替えもままならない、このまま消えてゆく存在なのだ。 ソビエト連邦の中枢であるロシア共産党は、レーニンが倒れるとロシア共産党書記長となったスターリンが、その権力を掌握し、レーニンの療養先の別荘にいる医師や護衛兵たちはスターリンに買収されていたというのは、ロシアの知識人の間では周知の事実だそうだ。 レーニンの意思は無視され、彼の声は適当にあしらわれる。レーニンが唯一自分を主張できることといえば、介添えしようとする者の手を振り払い「私がする。一人でできる」というものだけだった。 別荘に一人の男がレーニンを訪問した。 自ら権威を誇示するかのような立ち居振る舞いをするこの男。劇中では名前は出てこないが、その容貌、そして、男が帰った後レーニンが妻に「訪問した男は誰か?」という問いに「あなたも指名した書記長です」と答えていることから、その男がスターリンであることがわかる。 レーニンとスターリン。 この二人を並べた映像、二人の会話に、ソクーロフ監督がこの作品で描こうとしたものがはっきりと見える。 そこにいるのは、半身が付随になったといえ、はっきりとした理性を持ち、ロシアを語るレーニンがいる。思想家、政治家としてのレーニンの姿が描かれている。そしてスターリンからは政治屋の匂いが紛々と漂っている。 ソクーロフはインタビューで、「スターリンは現在だけでなく、当時もロシアには必要ではなかったのです」とはっきりと語っている。 レーニンはこの男に質問をする。道に大木が倒れていて通行が邪魔だった時「大木をどかせるか、あるいは、その大木が朽ちるまで待つか、あなたはどうするか?」 レーニンのこの問いに、その男は「大木を切り刻む」と第3の答をレーニンの耳元で囁く。 レーニンは男が帰った後、男の名を尋ねる。何を思ったのだろう。ロシアの未来に不安を持ったのだろうか。 「彼は誰を脅そうとしているのだろうか?」 ロマノフ王朝による絶対君主支配から、ロシア人民の手に国家を奪還した、そのものが目の前にいるこの男の手で新たな権力となって、自分をこのような状況に閉じ込め、そしてトロツキーを放逐しようとし、ロシアの民を支配しようとしている。 レーニンはこの時「権力」という魔物の正体を見たのだろう。 レーニンは男が訪ねてきた翌年1923年に、その男スターリンの書記長職の解任を覚え書きで提案している。 そして、レーニンの悲劇は、自らもまた、その権力の手の中で堕落した存在となってしまっているという事実を知る。 レーニンが療養している別荘は、革命により貴族から没収した(奪った)ものであるということ。「このスプーンは? この食器は? このピアノは? 人民のものか? 人民が飢え苦しんでいる時に、私は安穏と暮らしている。堕落した私が恥ずかしい!」憤りと自責の念で、持っていた杖でそれらのものを叩き潰す。 「パンと平和」を合言葉に、支配者たちから奪還した「権力」が、新たな支配関係を生み出している。「権力」というものが作り出す支配と抑圧の飽くなき連鎖。 ソクーロフはレーニンとスターリンという二人の人物を評している。 「この二人を比較することは不可能です。何故なら、生れや教養や知性のレベルが違うだけでなく、何よりも人格のスケールが違うからです。そして、野心のスケールも。一人の場合には目的を達成するための手段としての権力、もう一人の場合は、自己目的としての権力。この違いは全面的で果てしないものです。」 そしてソクーロフ監督は、本作完成後に語っている。 、「どうして権力は、その手中に落ちた人間をあれほど辱めるのでしょうか? どうして人間を…知性的な面でも道徳的な面でも…あれほど痛ましく唾棄すべきものに変えてしまうのでしょうか? どうして権力は、ほとんど必ずといっていいほど、精神の堕落と結びついてしまうのでしょうか?」 ![]() 革命に身を捧げ、政治の舞台から凋落した一人の男の悲劇。 ラストで庭でくつろぐレーニンが妻の名を呼ぶが、その声は誰の耳にも届かない。もはや彼の声を聞くものはいない。空を見上げるレーニン。自らの終焉を見たのか、レーニンの顔に微かな笑みが浮かぶ。雲の間から差し込む天空からの柔らかい光。 「牡牛座 レーニンの肖像」に、帝政ロシアを労働者の手にと、革命を自らの使命とし、その途上で倒れ、遂行できずに世を去ったレーニンという思想家であり、自らの信念を「革命」という行動によって実践した一人の人間に対する、ソクーロフ監督の尊敬と慈しみに満ちた眼差しを痛いほど感じる。 そして、権力を手にしたものと、権力から滑り落ちたものから見えてくる「権力」というものの実態を、晩年のレーニンの姿を通して残酷なまでに厳しい視線で描いている。 1922年レーニンたちによって設立された世界最初の社会主義国であるソビエト連邦は1991年に解体した。 1951年、シベリアで生まれたアレクサンドル・ソクーロフは、軍人だった父親の転勤でポーランド、トルコ、トルキスタンなどで少年時代を過ごし、ソ連共産党政権下で青春を送った彼にとって「20世紀」という時代、そしてそこで繰り広げられた「権力と闘争」「国家と人々」「権力と人々」…映像によって何かを語ろうとしたとき、これらのテーマは常に切実なものとして彼の中で敏感に反応するのだろう。 ![]() ソクーロフ作品は今まで見た作品は「太陽」「エルミタージュ幻想」だけで、そこからは、ソクーロフ監督その人が今一つ掴みきれなかったけれど、本作「牡牛座」をみて、彼自身視線がすこしは見えた様な気がする。「モレク神」を「太陽」もあわせて観る。 ソクーロフ監督は20世紀3部作として、本作でレーニン、そして「モレク神」でヒトラー、「太陽」で天皇ヒロヒトと20世紀前半の権力者を描いている。 「この3部作は20世紀を描いた映像です。これは人間の苦悩、迷いの百科事典、数百万人の人生を破滅に追い込んだ権力の値段です。主たる責任は責任者になく「人民」の中にあることを私は確認します。しかし、この責任から人民は絶えず回避し、ヒトラーたちや、レーニンたちの背後に隠れるのです……」 ソクーロフは自作について語っている。 本作に限らず、海外では映画人が自国における20世紀という時代を、感傷に流されず深い洞察の視線で描いている作品が撮られている。日本でも、20世紀という時代を検証する作品がでてきてもいいと思うのだけれど、それすら忘れてしまっているのだろうか。 監督: アレクサンドル・ソクーロフ 製作: ヴィクトール・セルゲーエフ/才谷遼 製作総指揮: ウラジミール・ペルソフ 脚本: ユーリー・アラボフ 撮影: アレクサンドル・ソクーロフ 美術監督: ナターリヤ・コチェルギーナ 音楽: アンドレイ・シグレ 出演: レオニード・モズゴヴォイ マリヤ・クズネツォーワ ナターリヤ・ニクレンコ レフ・エリセーエフ セルゲイ・ラジューク
by mchouette
| 2007-11-26 00:00
| ■映画
| |||||||||
ファン申請 |
||