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CESAR ET ROSALIE
1972年/フランス/ 111分 ロミー・シュナイダー作品でTSUTAYAで借りてきて、CS番組表をみる「夕なぎ」が放映されている。「あらっ!」と思ったら、放映される「夕なぎ」は1968年製作のアメリカ映画で原題は「BOOM」。エリザベス・テイラーとリチャード・バートン主演の作品。だからでしょうか、本作のリバイバル時タイトルは「夕なぎ/セザールとロザリー」となってます。同じくロミー・シュナイダーの「追想」を借りようとTSUTAYAに問い合わせたら、これまたイングリッド・バーグマンの「追想」なら在庫がありますとの返事。 ![]() セザールとロザリーとダヴィッド。 一人の女と、二人の男。 三人がそれぞれ自分を殺さず、束縛されることなく自分を主張し、そして自分の中の愛に正直に生きている。 こんな三人の愛の姿を描いた、こんな作品を観ると、「やっぱりフランス映画ならではだな」って思う。 イヴ・モンタン演じるセザール。 世の中全て金だと言わんばかりに、自己顕示が強く、ロザリーに対する愛も半端ではなく、彼女がいなくなると地球の裏側まで探すほどの執着心を見せ、やり手の商売人で、嫌な奴。どうしてロザリーがこんな男と恋人関係で一緒に暮らしているのか解せなかった。確かに何事にも精力的で、友だち付き合いを大事にし、人一倍面倒見がいいというところもあるのだけれど……。 ロザリーにしたって、セザールの金が目当ての恋人関係でもない。 交渉相手との通訳をしてセザールをサポートし、商売の駆け引きも心得、自分で契約も成立させるし、彼の弟以上に仕事上でもよきパートナーとして動いている。 そんな二人の前に、ロザリーのかつての恋人ダヴィッドが現われる。 俗物過ぎるくらいに現実的なセザールと、絵描きのダヴィッド。 対照的な二人の男。 ダヴィッドもロザリーへの愛をセザールに堂々と主張するし、ロザリーも「彼を愛しているのか?」というセザールの問いに「ウィ」と答える。 ここで、セザールは、そんな自分以外の男も愛しているロザリーに「俺だけを愛してくれ」いうけれど、自分に対する不実を詰ったりしていない。「他の男のことも思っているなら別れよう」なんてよくあるパターンの言葉も出てこない。 こういうシチュエーションってフランス映画に多いみたい。 愛に対して寛容なのか、愛に対して大人なのか、相手の心を束縛しない。 その代わり、ロザリーの愛を獲得するために、嘘をついてまで恋敵であるダヴィッドを蹴落とそうとする。 そんな嘘をロザリーが知り、怒った彼女はダヴィッドの元に走る。 ロザリーを求めて、血眼になって車を走らせて彼女を探し回り、挙句、嫉妬に狂いダヴィッドの事務所をめちゃめちゃに破損させてしまう。セザールって情で女を一途に愛する男。こんな男が恋に狂い思い詰めたら何をやらかすか分からない。物語の前半のセザールってそんな男として登場する。セザールは大人の男の持つ我が儘と無邪気さを持った男でもある。男と女の修羅場をいくつも潜り抜けた後に辿りついたロザリーは彼の最後の女でもあるんでしょう。 モンタンといえば、俳優というよりも「枯れ葉よ~♪」とシャンソンを歌う人ってイメージが強い。本作で彼の演技みて、セザールとという男のロザールに対する絶対的な愛を体現するイヴ・モンタン。 彼のこの圧倒的な存在感あってこそ、観るものを説得させる一人の女と二人の男の愛の物語。絶妙なるトライアングル。 この作品については、グダグダと書かずに、サラリと一言で、と思っていたけれど、書き始めると、最後まで書いてしまいそう。なにしろ、イヴ・モンタンが演じるセザールが、なんていい奴なんだ!って、物語が進むにつれて思えてくる。ロザリーが離れない気持ちが分かる気がする。だから3人のことを書きたくなってしまう。 <ネタバレになります> この作品が成立するのは、やはりセザールの、ロザリーに対する地の底までも彼女に対する愛を貫く一人の男がみせる絶対的な愛。そして、そんなセザールを受け止めるロザリーの、愛に妥協しない潔さ。 ロザリーがずっと愛を胸に抱いていたのは、きっとダヴィッドなんでしょう。 二人の愛は、初恋にも似たとてもプラトニック的な愛から始まったんだろうと思う。そしてダヴィッドとの愛は、幾許かの緊張を孕む愛。この緊張が互いを魅きつけてやまないところもあるんだろう。 そして、ロザリーを愛する男が現れ、ロザリーがその男を見た時、ダヴィッドはいつも自ら身を引きロザリーの元を去ってしまう。 「5年間も私の前からいなくなって。セザールは目の前にいるわ」 ダヴィッドを思い続けながら、愛を丸ごとぶつけてくるセザールに魅かれるロザリーもよくわかる。天秤にかけているんではなくって、どちらも愛している。 再会して、そして再び自分の前から姿を消したダヴィッドに宛てたロザリーの手紙に、彼女の率直な心情が綴られている。 人はなつかしい面影を美しく思い描くものよ …………………………… 私のことを書きたかっただけ 忘れ去られるのは辛いわ。 セザールはセザール ダヴィッドはダヴィッドよ。 あなたは私を捕まえずにとらえ、私を求めずに愛する そんなダヴィッドをセザールは連れ戻しにやってくる。 「ロザリーを失いたくない。君がいないとロザリーは死んでしまっている。君が離れているから、ロザリーは君を想い、心はここにあらずだ。ロザリーと君と僕と三人で暮らそう。彼女を失いたくないんだ。」 ここまで一人の女を愛し抜けるものなのだろうか。 一人の女の愛を捕まえたくて、男はここまで自分を透明に出来るものなのだろうか。 セザールがロザリーへの愛の葛藤の果てに辿りついた愛の極地。 人はここまでたどり着けずジェラシーの煉獄に炎にのた打ち回るもの。 男の虚栄とか嫉妬とかを超えた、セザールのこの愛の大きさ、強さ、地べたを這いずり回り、張り裂けるような必死な愛。 こんな心底一人の女に惚れぬいた男の心根に触れたら、ダヴィッドならずとも、セザールに男として惚れてしまうだろう。男が男に惚れる。 セザールとダヴィッドの間で育まれていく男同士の友情。 そんな二人の前からロザリーは姿を消してしまう。 きっとロザリーは、セザールの愛と彼の葛藤を痛いほど感じたんだろう。二つの愛を求め、安易な妥協をしない代わりに、自らの愛を時に委ねたんだろう。 愛に忠実に 愛に束縛されず 愛に妥協せず 愛に媚びず 愛に潔い こんな愛の姿を描けるのはフランス映画ならではだろう。 こんな映画、もし若いときに観ていたって絵面だけ追って分かったつもりが、その実なんも分かってないだろうなって思う。 「夕なぎ」のテーマが、冒頭では何か不安を感じさせるような響きを感じさせ、そしてエンディングでは突き抜けるような潔さを感じる。 そしてセザールという一人の男の豪快さとジェラシーと悲哀を存分に演じて見せたイヴ・モンタンの魅力。ロザリーがダヴィッドを愛しながらも、自分を裸にしてロザリーを愛するセザールに魅かれるのも分かる。女は二つとも欲しいんだ。そしてその二つを求め、あえて自ら手放して、何かが自分の中で醸熟するのをじっと待ち続けたロザリーも大した女性だわ。 ロミー・シュナイダー。 その横顔には、大人の女の完璧な美しさがある。そして理知的な目と、正面むいた彼女のふっくらとした顔に、どうかすると少女のような初々しさを感じさせるものがある。 こんな彼女のもつ雰囲気が、対照的な二人の男に媚びることなく、二人を愛し、そして愛されるロザリーという女性を、違和感なく受け止められる。本作のロミー・シュナイダーに一人の女性の潔い美しさを感じた。 そして、イヴ・モンタンの前では、まだまだ青臭さを残すダヴィッドを演じたサミー・フレイ。彼のどっか周囲と溶け込まない雰囲気がモンタンと好対照だった。印象的だった役は、やはりゴダールの「はなればなれに」のフランツ。(↓写真・向かって右) ![]() この作品が大好きだったジム・ジャームッシュは「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を撮っている。ウィリーとエディの洋服は、はまさに「はなればなれに」のフランツとアルチュールのアメリカ・ヴァージョン。 ![]() そして、「はなればなれに」で3人がルーブル美術館の中を走り抜けるシーンのオマージュとも言うべきシーンを、ベルナルド・ベルトルッチは「ドリーマ―ズ」でテオ、イザベル、マシューの3人に映画の真似をして走るという設定で撮っている。 ロザリーの妹役だろうか。10代の若者の潔癖さとシニカルな目で3人をみてた少女。むっとしたように唇を真一文字に閉じて怒ったような顔をしていた少女。たぶんイザベル・ユペールだと思う。 監督: クロード・ソーテ 製作: アンリ・ジャキヤール 脚本: クロード・ソーテ/ ジャン=ルー・ダバディ 撮影: ジャン・ボフェティ 音楽: フィリップ・サルド 出演: イヴ・モンタン ロミー・シュナイダー サミー・フレイ ウンベルト・オルシーニ エヴァ・マリー・ミネケ イザベル・ユペール
by mchouette
| 2007-11-22 15:37
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