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THE NIGHT PORTER
IL PORTIERE DI NOTTE 1973年/イタリア・アメリカ/117分 何度観ても色褪せず、その時の価値観とかに左右されず、観るたびに生き生きと蘇ってくる映画観る時って至福の時。 1957年ウィーン。 マクシミリンは、ウィーンのとあるホテルでポーターとして働く一人の男。 彼は元ナチス親衛隊将校であり、ドイツが敗戦し、ナチスが解体した後、このウィーンでひっそりと暮らしていた。元ナチスたちは、このウィーンで身分を偽り、自分たちの過去を知る証人たちの口を封じ生き延びていたのだ。13年経ってもなお、ナチスの亡霊たちがヨーロッパを彷徨っている。 証人の口を封じるのだ。 ある日、マクシミリンは、このホテルに宿泊している若い指揮者夫妻の妻をみて驚いた。 ルチア 彼女は、マクシミリンがナチス親衛隊だった時、その美貌に心を奪われ、ゲットーで彼の倒錯した性の愛玩具として弄んだユダヤ人の少女だった。そして、彼女はそんなマクシミリンの過去を知る唯一の生き証人でもあった。証人は全て抹殺したはずだったが……。 マクシミリンの過去を知る生き証人の存在を知った仲間たちは、証人の口を封じようと画策する。それを聞いてしまったルチアは、一足先に次の演奏先に行ってしまった夫の投宿しているホテルへ電話をかけるが、フロントにいるマクシミリンがキャンセルしてしまう。 部屋にやってきたマクシミリンは、「なぜ来た。私を訴えるためか?答えるんだ!」あの頃のようにいたぶって激しく詰問する。抵抗するルチア。激しく揉みあう二人は、いつしか激しく抱き合い求めあう。「長かった。愛しているんだ」マクシミリンの口からもれた言葉。その言葉を恍惚の表情で受け止めるルチア。一瞬にしてゲットーのあの時間に堕ちていった二人。 忘れた過去が蘇った ルチアを弄んだゲットーのあの時間がマクシミリンに鮮やかに蘇ってくる。 ルチアもまたウィーンの街を歩きながら、死と隣り合わせのナチスが支配する狂気と退廃に充ちた世界で、マクシミリンによって刻み込まれた倒錯した性を思い出す。思い出す一つ一つが彼女の官能の襞に分け入り刺激したことだろう。ふと入ったアンティーク・ショップで、かつてマクシミリンが彼女に着せたワンピースに似た服を見つけ服をあてがい、恍惚の表情で鏡に映すルチアは、躊躇うことなく服を買い求める。 「男を破滅させずにはおかない宿命の女」をファムファタールというならば、マクシミリンにとってルチアはまさにファム・ファタール。 ナチスの幹部たちの前で、上半身裸でサスペンダーのついたナチスの軍服に身を包み、退廃的な雰囲気で歌いながら身をくねらせて躍るルチア。その褒美にマクシミリンはルチアが嫌っている男の首を刎ねてルチアにプレゼントする。それを見てマクシミリンを見返したルチアの瞳は確かに潤んでいた。 踊った褒美に、自分を拒んだヨハネの首をヘロデ王に所望するサロメ。そしてサロメは挑むように、誘うようにヘロデを見つめ、官能的に踊る。サロメが頭に浮かんだというマクシミリン。既に彼はゲットーでルチアを見たときから、ルチアに囚われた男になっていたのだろう。そんな男の愛がルチアの身体を刺し貫いたことだろう。 書類を燃やしても消せないものもある。マクシミリンにとってルチアがいなくなったこの現実は灰色の世界だったのだろう。ルチアとのあのゲットーでの時間が彼の生きた時間だったのだろう。必死にルチアの生存を否定するマクシミリン。 彼は幻影ではないわ。ルチアにとってもこの世界は幻で、マクシミリンとの官能の世界だけが確かな現実だったのだろうか。 ルチアの口を封じようとする仲間達から逃れ、アパートにルチアを匿うマクシミリン。ルチアもまた、有望な指揮者の妻という上流階級の暮らしを棄て、刹那的なこの愛で我が身を刺し貫いて欲しいと願ったのだろか。買い求めたあの服をあてがってマクシミリンにみせるルチア。一方で、ルチアを差し出せという仲間達からの執拗な電話が二人を襲う。 いつまで続くの? そんなマクシミリンを黙って見つめるルチア。 なんとか仲間達から逃れ生き延びようともがくマクシミリン。男の葛藤に対し、二人の辿りつく先を既に知っているかのように黙って彼を見つめるルチアのこの無言の眼差し。自らの性に生きる潔さというか女の凄みすら感じる。そして、その瞳はマクシミリンが愛を語った時妖しく潤む。 アパートを見張られ、食料を絶たれ、電気を切られ、その中でマクシミリンとの愛を貪るルチア。 追い詰められたマクシミリンはゲットー時代に戻ったように、ルチアが買い求めたあの時と似た服を着せ、自らナチスの軍服に身を包み夜中密かにアパートを出て車を走らせる。 その目には涙が光っているような…… 助手席に座るルチアの瞳も潤んでいるような…… 車を降りて、衰弱したルチアを支えるように歩いていく二人の後姿。銃声がし倒れるマクシミリン。2発目の銃声でルチアが倒れる。 ウィーンの寒々とした冬を思わせるような哀愁を帯びたメロディが、デカダンスともよぶべき、残酷で、美しい二人の愛を静かに包み込む……。 マクシミリンを演じたダーク・ボガードの一人の女に憑かれた男の狂気にもがく姿。女を見つめる囚われの眼差し。 そしてルチアを演じたシャーロット・ランプリングの、時には淫らに、時には愛に潤み、時には挑むように見つめる、狂気の先にある死を見据えているような青い炎が揺らめくような眼差し。 その4年前1969年のルキノ・ヴィスコンティ「地獄に堕ちた勇者ども」では、製鉄王である男爵エッセンベック老の姪の役で、イングリッド・チューリン、ヘルムート・バーガーが醸し出すデカダンの匂いがたちこめる中で、一人白百合のように微笑みを湛えていたランプリングとは思えない演技。彼女のほとんどトレードマークともなっているこの無愛想なほどの表情と凄みのある眼はこの時からかしら。そして、ダーク・ボガードの魅力って私はイマイチよく分からないけれど、本作のボガードは気に入ってる。 先日紹介した「バージニア・ウルフなんかこわくない」といい、そして本作といい、こんな風に、息が止まるくらいに画面をじっとみつめ、終わった後、深いため息が漏れるほどの映画を観ることほど至福の時間はない。こんな圧倒される映画見ると全く、いつも以上にますます感想文的にしか書けなくなってくる。この二人を見続けるだけで、何を言える?って思う。リリアーナ・カヴァーニ 監督。女性監督だからこそでしょうか、ランプリングのほとんど喋らず、この眼でみせる凄みの演出!彼女の魅力! 監督:リリアーナ・カヴァーニ 製作:ロバート・ゴードン・エドワーズ 原作:リリアーナ・カヴァーニ/バルバラ・アルベルティ/ アメディオ・パガーニ 脚本:リリアーナ・カヴァーニ/イタロ・モスカーティ 撮影:アルフィオ・コンチーニ 音楽:ダニエレ・パリス 出演: ダーク・ボガード シャーロット・ランプリング フィリップ・ルロワ イザ・ミランダ ガブリエル・フェルゼッティ
by mchouette
| 2007-10-23 00:00
| ■映画
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