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Who's Afraind of Virginia Woolf?
1966年/アメリカ/135分 この壮絶な男と女のドラマを前に センセーションを巻き起こしたブロードウェイ・ヒット舞台の映画化である本作は、リアルタイムでは見ていないけれど、幾度かテレビ放映されており、先日もWOWOWで観たばかり。観るたびに、リチャード・バートンとエリザベス・テイラーが繰り広げる夥しい量の台詞の応酬と演技に圧倒され、ほとんど二人の会話で成り立っている、この室内劇に引きずり込まれ魅入ってしまう。 そして、1960年代の男と女の姿を見ると、先日記事をUPしたミンゲラ監督「こわれゆく世界の中で」の21世紀初めに生きる男と女、私たちはこんなにも脆弱になってしまったのか!と思う。ちょっとこの作品の感想を改めて書きたくなった……。 私のこの作品の感想の言葉、やたら「凄い」が多い気がするけれど、私の貧しい語彙からは「凄い」しか出てこない。それほど観るたびに圧倒される。 リチャード・バートン、エリザベス・テイラーそれぞれに出演作はいくつか見ていたが、私が映画に関心を持ち出した頃のこの二人と言えば、結婚、離婚して再び結婚して離婚してを繰り返したり、バートンとリズの大酒を飲んで所構わず口論するなどのスキャンダラスな面が映画雑誌などをにぎわしていて、出演作品よりもそんなことが話題になる二人だった。初めてこの作品の二人を観た時は、改めて役者リチャード・バートン、役者エリザベス・テイラーの凄さを見せつけられた思いがした。 当時32歳のリズが52歳という設定の役を演じるには若すぎるため、役作りのためにインスタント食品を食べて70キロにまで体重を増やし、酔っぱらったようなしわがれ声で喋るように務めたそうだ。 物語の登場人物は4人だけ。 結婚生活23年目を迎える大学助教授のジョージと妻のマーサ。マーサの父親はジョージの勤める大学の学長をしている。そして、新しく大学に赴任してきた新婚の若い生物学助教授のニック夫妻。 ニック夫妻がジョージ夫妻の自宅に招かれたところから物語りは始まる。 そして、若い夫婦の面前でリチャード・バートン演じるジョージとエリザベス・テイラーが演じるマーサは互いに激しく罵りあい、凄まじい夫婦喧嘩が繰り広げられる。 喧嘩の争点は、学長の娘と結婚したにもかかわらず、教授になれないジョージの無能振りを罵り毒づくマーサのジョージに対する悪口雑言であった。そこにジョージ・シーガル演じるニックとサンディ・デニス演じる新婚夫婦が巻き込まれていく。 ほとんど崩壊同然の様相を見せるジョージとマーサの、さらには新婚夫婦の恥部までが曝け出されていく。欺瞞、軽蔑などジョージとマーサ夫婦の恥部を全てを吐き出すかのような、この物凄い量の言葉のぶつけ合い、罵りあう夫婦。そしてそこに見える23年間の夫婦の生活、夫である男と、妻である女の人生までが見えてくる。そして、愛する一人息子を失い、その悲しみと喪失感から未だに抜け出せずにいる二人の絶望的なまでの悲しみがその傷口から見えてくる。 「悲しみ」という名のナイフで相手を切りつけ、血を流し、傷を舐めあい、そして抱き合ってその痛みに耐える。崩壊同然のように見えたジョージとマーサの姿が見えてくる。壮絶な罵りあいの果てに見える壮絶な男と女の愛。夫婦の絆、男と女の一つの究極の姿ではないだろうか。言葉を失ってしまうほどの迫力と凄み。 1960年代。舞台の映画化ということもあるだろうけれど、ハリウッドでも、言葉を大切に扱い練り上げられた脚本を元に、巧みな演出と役者の見事な演技で、これほどの作品を作っていた時代があったことを思う。監督は、ブロードウェイの舞台監督として注目を浴び、これが映画デビュー作となった当時34歳のマイク・二コルズ。彼はこの後、「卒業」を撮り、さらに「愛の狩人」「ワーキング・ガール」などの監督もしているけれど、本作が彼の監督作品の中で唯一の傑作ではないかしらと思う……。アーネスト・レーマンの脚本の力に拠るところも大きいだろう。 そしてロバート・アルトマンが「ザ・プレイヤー」でハリウッドの内幕を過激にシニカルに描いたのが1992年。 製作年である1960年代は、第二次大戦後、アメリカはさらに強く、さらにビッグなアメリカになっていく中で、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺され、ベトナム戦争に突入していった時代でもあり、アメリカの病みが徐々に広がり始めた時代でもある。 ジョージとマーサ、若い夫婦のそれぞれに抱える恥部は、アメリカ社会がその反映の裏側に抱える病める部分でもあると思う。 時代を抉り、男と女の一つの究極の姿を描いた本作は、だからだろう、私にとっては、時間の中で色褪せることなく、観るたびに圧倒される力を見せつける。 そして、ジョージとマーサの時代から40年たった現在、「こわれゆく世界の中で/ BREAKING AND ENTERING」の中で、アンソニー・ミンゲラが描いた21世紀初めに生きる男と女の姿は、壊れていく感覚には敏感に反応するけれど、自分に正直になる方法も、相手にぶつける方法も分からず、立ち尽くすだけの脆弱な姿を曝け出している。 ジョージとマーサの、悲しみや絶望を抱えて、互いに傷つけあいながらも、相手に刃を向け抱きあう姿を観るにつけ、ミンゲラ監督の「BREAKING AND ENTERING」というタイトルに込めた言葉の重さを改めて思う。 「こわれゆく世界の中で/ BREAKING AND ENTERING」を観た後にWOWOWで本作を観て、ちょっと考えてしまった……。 監督: マイク・ニコルズ 製作: アーネスト・レーマン 原作: エドワード・アルビー 脚本: アーネスト・レーマン 撮影: ハスケル・ウェクスラー 音楽: アレックス・ノース 出演: エリザベス・テイラー リチャード・バートン ジョージ・シーガル サンディ・デニス
by mchouette
| 2007-10-19 00:00
| ■映画
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