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![]() 夜風も涼しくなったこの頃。天満橋の上から… ………………………………………………………………… 2006年/イタリア/102分 at:第七藝術劇場 映画サイトはこちら http://marcello.jp/ マルチェロ・マストロヤンニ 1924年、ローマ近郊に生まれる。ルキーノ・ヴィスコンティにその才能を見出され、フェデリコ・フェリーニと初めて組んだ『甘い生活』(60)で一躍世界的なスターとなった。半世紀近い俳優生活の間に出演した映画は160本にのぼる。「世界のラテン・ラヴァー」といわれたマルチェロ・マストロヤンニ。1996年12月19日、パリで死去。 特にマストロヤンニのファンというわけではないけれど、彼が出演している作品は好きな作品が多いし、彼が共演している女優たちは、みんな個性的で好き……と、懐かしさで観にいきました。 当時のスチール・フィルム、彼自身のインタビュー・フィルム、監督、俳優、共演した女優たちが語るマストロヤンニ。そして21歳も年齢の離れた二人の異母姉妹が語る父親・マストロヤンニ。 恋人であったカトリーヌ・ドヌーヴとの間に産まれたキアラ・マストロヤンニは何本かの映画作品で彼女は知っていたけれど、今回、彼女の異母姉にあたるバルバラ・マストロヤンニは初めて見た。キアラはドヌーヴの顔立ちに、眼はマストロヤンニ。正面向いた顔はマストロヤンニで、ややうつむき加減になるとドヌーヴそっくり。化粧した顔よりも素顔が美しい女性。これらの証言やフィルムから、彼らが語るマストロヤンニは、やはり「愛すべき俳優であり人間」であり、女優たちとのスキャンダル、知られざる彼の実生活や素顔といった一人の俳優の実像を抉ったような内容ではない。 「役者は観客のものって言うけど、何かひとつ自分だけのものがないと、人間でいられなくなってしまうよ。空っぽさ。最低限のプライバシーがなかったら無意味さ。 金や成功が人生を満たすわけじゃない。それは尊重して欲しいと思う。仕事には身を捧げるけれど、個人の領域は必要だ。」 冒頭でそう語るマストロヤンニの意思を尊重してのドキュメンタリーなんだろう。 ただ、面白いエピソードがいつくか…… クラウディア・カルディナーレ…すっかり、おばあちゃんになっていた! 「もう、ばらしていいわね」といって語ったエピソードは、マストロヤンニは当時彼女に恋をしていて、でもカルディナーレは見向きもしなくって、監督からは『少しは微笑んでやれよ』なんていわれたとか。そしてマストロヤンニは監督に、彼女とキスをするために、ラブシーンでは何度かNGを出してくれと頼んだ、といったエピソードは実にイタリア男らしい。 アヌーク・エーメは当時を振り返って撮影エピソードを語っている。 「電話魔」だったそうだ。 誰もが口をそろえて言うほどの電話魔。 撮影の合間にしょっちゅう電話をしていたそうで、フェリーニは撮影現場に電話ボックスを置いたそうだ。 ヴィスコンティも「仕事中の唯一の欠点は電話ばかりしていること。撮影になれば、常に求められる全てを出しきり、すぐ姿を消す。緊張を解くためだな」 一方で常にトラブル(女性との?)を抱えての電話もあったようだ。 奥さんへの電話で「今はパリの天気は~」などとアリバイ工作の電話をしたりしていたといったエピソードも…… 1950年にローマで結婚したフローラ・カラベッラとの間に娘のバルバラが生まれているが、デ・シーカ監督の『恋人たちの場所』(1968)で共演したフェイ・ダナウェイと恋に落ち、その後、『哀しみの終わるとき』(1971)で共演したカトリーヌ・ドヌーヴとの恋愛でキアラをもうけ、そして最後の伴侶は、ドキュメンタリー映画『マルチェロ、私は忘れない』(1997)の映画監督アンナ・マリア・タト。これ以外もラテンの血が騒ぎ……だったんでしょう。 『怠け者』と自らを称している。 台本は大事にするけれど、台本を覚えてこない役者。 ヴィスコンティは、そんな彼を「極度に繊細だし、過敏なまでに感じやすいから、不精や怠惰を、身を守るバリアに使うんだ」と評している。 マストロヤンニ自身「怠惰は美質でもあるよ。怠け者は邪魔せず、されもしない」と語っている。 ジョゼッペ・トルナトーレ監督は「一度ならず、電車やトレーラーの中や撮影中のあらゆる場所の片隅で壁に向かい、台本を手に役を勉強している姿を見たんだ」と彼の知られざる一面を語っていた。 娘のキアラは「怠惰とは違う。いつもああやって落ち着いているからそう見えるけど、実際は仕事の鬼だったわ」と語っていた。 今回のドキュメンタリーを見ていて気がついたのは、マストロヤンニの演技は、向う相手や向かう対象一点に視線を注ぎ、決して目線を外さないということ。その視線に感情をこめて演技をしている。 伊達男、三枚目、汚れた役からシリアスな役まで、あらゆる役を演じ、どの役も違和感を感じさせず、そしてどれもマストロヤンニ。 画面からはみ出さないけれど、存在感があるのは、目線をはずさない彼のこんな演技にもよるのかしらと思った。それと怠け者の裏で人知れず行なっている役作りと。 どんな役でも監督の要望に彼は寛容だったとトルナトーレ監督は語っている。 「ニュー・シネマ・パラダイス」で映写技師を演じたフィリップ・ノワレの背中を撮る時、彼は「丸ごと一場面、背中を撮らせる役者は、地球上で、私以外には、もう一人しかいないぞ。マストロヤンニだ」と叫んだそうだ。 ノワレの役者としての自負とともに、役者マストロヤンニに対するこれ以上の賞賛の言葉はないだろう。 役者という仕事について… 「何の根拠もないから将来への不安に苛まれる。避け難い焦りがあって落ち着かない。とくに物質的な利点があったとしても、何も確実で前向きなものをもたらさないんだ」と語り、ルイジ・マーニ監督は「彼は自分の人生を夢だと思っていたんだ。契約も稼いだ金も全てが一夜の夢の間の幻想だと思い込んでいた。眼が覚めると、一夜にしてローマの下町の家で眠っている。ある日突然そうなるんだ、と彼は本気で言っていた」と語っている。 似たようなエピソードをスティーブ・マックィーンでも聞いたことがある。レストランでステーキを2人分注文した彼に、食べ終わってから注文したら?って言った時、マックィーンは「今食べておかないと明日食べれなくなるかも知れない」と答えたそうだ。役者とはなんと因果な商売だろう。虚像に生きるものだけが味わう避け難い不安なんだろう。 夢から覚めないように、160本以上という驚くべき数で映画の仕事をし続けたのだろうか。 軽やかにゆったりと、みずから怠け者と称し、自分を一歩引かせて役にもぐりこみ、どんな役も違和感を感じさせず、常にマストロヤンニとして、虚像を我が人生とし、役になりきり、役者という夢の世界に生きた人。 そんなマストロヤンニが私の中で浮かび上がってきた。 彼は、案外、誰にも自分自身を見せなかったんではないかしらと思う。 本作をみて、大きな人だったんだなって思った。 中年になってから、渋みが出てきたマストロヤンニが素敵だと思う。 このドキュメンタリーをみて、もう一度マストロヤンニの出演作品を見たくなった。 「昨日・今日・明日」「甘い生活」「8 1/2」「ひまわり」「黒い瞳」「白夜」などなど……。 数え上げたら限が無い。 強烈な印象はないけれど、記憶に沁みこんでいる人だ。 そんなマルチェロ・マストロヤンニは不思議な人だと思う。
by mchouette
| 2007-09-03 16:23
| ■映画
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