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![]() 1975年/スウェーデン/135分 先日、ケネス・プラナー監督作品「魔笛」を観ました。 何度かオペラ「魔笛」を見たことがある私には、消化不良の「魔笛」を見せられたような印象を持ちました。それに触発されて、未見だった、イングマール・ベルイマンが1975年に製作した「魔笛」を見ました。ベルイマンの逝去と重なり、ベルイマンを追悼するような、そんな気がする…。こんな形で、またベルイマンに惹かれていく。 私には、まさに オペラ「魔笛」を超えたベルイマンの「魔笛」 あまりこういう誇張表現ぽいのは好きではないのですが、語彙力不足の私にはこの表現以外に、素晴らしさを表す言葉が見つからない。 1982年に自らの少年時代を描いている「ファニーとアレクサンデル」完成後、演劇活動は続けるが、映画は撮らないと宣言し、その理由が「映画づくりの面白さを味わいつくしたから」だと語ったベルイマン。 「ファニーとアレクサンデル」撮影後、ベルイマンは不要になったキャメラを、フィンランドの片隅で映画を撮り始めていた、まだ20代の若造だったアキ・カウリスマキに譲っている。カウリスマキは私のツボにはまるフィンランドの監督。こんな繋がりも嬉しい。カウリスマキにとってベルイマンは敬愛する「オヤジ」だったのでしょう。その後20年たって「サラバンド」を撮られ遺作となってしまいましたが、最後まで内面を問い、抉り続け、容赦しなかったベルイマン。孤高の巨匠。その作品には凛とした、それでいて柔らかさと品位が漂っている。私にとってベルイマン作品は、語るよりも、さらに深く胸に感じたいと思う。 12歳にして既にワグネリアン(ワーグナー信者)だったという。そんなベルイマンがフランス・オペラの作曲家アンブロワーズ・トマの「ミニョン」と共に無二受け入れたオペラがモーツァルトのオペラ「魔笛」。 本作「魔笛」は演劇と映画を知り尽くしている人だから撮りえた映像、演出方法だと思う。 オペラ「魔笛」を愛し、自らの血肉ともなっているからこそ描きえた作品だと思う。 そして子供も楽しめる楽しさ、分かりやすさ。 本作をみて私も改めて「魔笛」の魅力を教えてもらった。 「われわれの職業はエンタテイメントです。楽しさといっても陽気なのも深刻なのもありますが、重要なのはそれは皆観客のためのものだということです。観客なんかどうでもいいという人がいますが、ぼくには理解できませんね、われわれを認めてくれるのは観客なんですからね」(「ヴェッコ・レヴィーン」誌・1956年第九号) 「魔笛」の序曲が流れる。 オペラ「魔笛」が上演されているストックホルム市郊外の小島にあるドロットニングホルム王立劇場の外観から始まる映像。 この劇場は1760年に建てられ、国王グスタフ3世の暗殺現場で彼の死後閉鎖されたままであったが、20世紀に入ってから封印が解かれ、夏の間だけオペラ上演がされるようになった劇場。200席ほどのこの劇場は、ロココ調の内装と18世紀当時の舞台機能がsんまま残されている稀有な劇場で、この映画で一躍世界的に脚光を浴びたそうです。長時間のライトの持込は危険なため、ほとんどのシーンをスタジオで再現して撮影とのこと。 そして舞台正面。 世界各国のあらゆる世代の人々の、舞台を見ている表情がクローズアップで次々と映し出されれていく。この中にはベルイマン作品の常連のエルランド・ヨセフソン、撮影のスヴェン・ニイクヴィストの貌も見える。そしてベルイマンとリブ・ウルマンの娘の顔も映されているとのこと。途中幾度か舞台をじっと見入る少女の顔が映し出されているけれど彼女かしら。二人によく似ている。利発そうな目をした子。 これも演出の一つなのでしょう。途中何度か舞台をみている少女の映像が挿入されるが、目障りでなく、むしろ見る側としてほっと一息つくそのタイミングで挿入されており、この辺りにも観客の呼吸に視線をおいたベルイマンの演出の巧みさというか、鋭い感性を感じる。見るものに舞台劇を印象付ける。 ![]() ![]() 拍手と共に第一幕の幕が開く。 みるからに張りぼてのユーモラスな恐竜が現われ王子タミーノを襲う。3人の侍女が恐竜を退治し、夜の女王に報告に行く。舞台で演じられている劇であることを感じさせる。 画面が変わり、 ここから一挙に映画とオペラの「魔笛」の世界に誘い込まれる。 道化役パパゲーノが寝過ごして大慌てで舞台に登場する。 あくまでも額縁の中で演じられる舞台劇という印象を見せながら、スタジオ撮影の映像がなんの違和感なく舞台と繋がる。 また歌の場面では歌詞の一部がパネルで現われたり、幕間があり楽屋裏を映すという大胆な演出も行っている。けれど、この幕間がさらに登場人物たちをより強く印象付ける効果をもたらしている。それが次の第2幕に自然に引き継がれていく。 大胆奇抜ともいえるこれらの演出が、物語の世界を損なうことなく、むしろ見るものにより分かりやすく、その印象を深くしている。 オペラ「魔笛」も見ていて、舞台を現代に置き換えて映画化されたケネス・プラナーの「魔笛」も見た私は、そして見ている私が更に誘い込まれる、ベルイマンのこの演出は見事というしかない。知り尽くしたからこその演出方法。 舞台美術も素晴らしい。 撮影はベルイマンとコンビを組んでいるスヴェン・ニクヴィスト。彼の撮影する光は素晴らしい。 本作も冒頭の映像が素晴らしい。時刻は夕暮れでしょうか。茜色に染まる水の揺らぎ、そして夕日で茜色の中の木立、その向こうに見える劇場。「叫びとささやき」では北欧のしんと冷えたく冴え渡る空気すら感じる木立に差し込む光。好きな映像です。 本作は、スウェーデン放送協会が創立50周年の記念番組として1975年の元旦放送用に「魔笛」のテレビ版をベルイマンに依頼した作品とのこと。子供たちもわかるようにとオリジナルのドイツ語による歌唱ではなくてスウェーデン語による翻訳だったそうです。 台本はベルイマン自身によって改編され、原作のフリーメーソンの秘儀的な部分は大幅に削られ、また話の流れの順序も一部変更をしたそうです。登場する役者は全てオペラ歌手を起用していますが、美声よりも自然な声の持ち主のほうを採用したとのこと。 ![]() ベルイマンが「魔笛」で高らかに謳いあげているのは「愛」 愛はあらゆる試練を甘美にする パパゲーノとパパゲーナの生命力あふれる愛 タミーノとパミーナが煉獄の炎を越えて成就させる神聖なる愛 その一方で男と女の深い愛憎、確執も描いている。 深い淵を見るような夜の女王のザラストロに対する燃え滾る憎しみの炎 パミーナはザラストロと夜の女王との間の一人娘。二人の間にある確執は深い。 あの女に聖なる心が破壊されるというザラストロ。ザラストロに添う娘に「殺せ」と命ずる夜の女王。「ある結婚の風景」で分かれるときに内面生活を話す夫婦の凍りつくような溝と重なる。 ザラストロの家臣モノスタトスのパミーナに対する愛欲 彼は生きる意味を見つけたいと望んでいる。 ![]() 歌い上げる部分とセリフの部分が内面描写に、とても効果的に使い分けされており、子供たちにも登場人物の心の内が充分に伝わるだろうと思う。 これはもう、モーツァルトのオペラ「魔笛」の映画化というよりも、すでにベルイマンの「魔笛」という名の作品といえるほど、ベルイマンの他の作品に重なり、通じる。 本作は舞台で演じられるオペラ仕立てという設定だけれど、歌唱部分はあるけれど、それ以外は音楽というものが映像の前に出てこない。これはベルイマン作品全体についていえるのではないかしら。それだけ映像の引力が強いというより、音楽は流れているけれど、決して映像の前に出ることなく、音楽がさらに映像への集中力を高めている。以前ベルイマン特集を見たとき、重いから3本はきついかなって思ったけれど、見終わった後はなぜか心地よく、頭がしっかり冴えている。何故かなって思って、注意してみると、こんな風な音楽の使い方かなって気がしました。それに加えて作品の映像の素晴らしさにひきつけられる魅力もある。とても重いテーマなのだけれど疲れない。人の動きも自然な緩やかさのリズムをもっている。 映像と音楽と緩やかなリズムそして全体に流れる品位。 そして、タミーノ王子もパミーナもけっして美男美女ではないけれど、観ているうちに美しく魅力的に感じてくる。三人の童子たちも宗教画に出てくる天使のよう。 「ファニーとアレクサンデル」で少年アレクサンデルが卓上劇場で遊ぶ姿と、ベルイマンが重なる。「魔笛」をみて、改めてイングマール・ベルイマンという人の大きさと豊かさと深さを思い知った。 ![]() 監督:イングマール・ベルイマン 脚本:イングマール・ベルイマン/ エマヌエル・シカネーダー 撮影:スヴェン・ニクヴィスト 音楽:エリック・エリクソン 出演: ヨゼフ・コストリンガー イルマ・ウリトラ ホーカン・ヘーゲゴード エリサベット・エーリクソン
by mchouette
| 2007-08-06 00:00
| ■映画
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