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アキ・カウリスマキ作品の中でとりわけ好きな、愛すべき作品たち
「ラヴィ・ド・ボエーム」 LA VIE DE BOHEME 1994年/100分 ![]() ![]() 舞台はパリの片隅。貧乏作家とアルバニア人の売れない画家と自称前衛音楽家の3人の男。 彼らは偶然に出会い、以来、常に行動を共にする。パリの片隅に暮らす吹き溜まりの芸術家たち。 彼らのさり気ない友情の数々にはホロリとする。アルバニアに強制送還され再び密入国した画家を密かに迎えにいく二人。二人が画家を連れて行った所は、彼の犬が居る所。 画家と愛犬との再会。 喜びに吠える犬の鳴き声が聞こえる。 そんな犬の声を聞き、外にいる二人は顔を見合わせ笑みの目配せをする。 こんなさり気ないシーンなんかがいいんですね。彼の作品。いい奴らだなって思ってしまう。 その日暮らしに疲れた画家のもとを去った恋人が、心身ともにぼろぼろになり再び彼の元に来る。死期の迫った彼女の命。 画家は一筋の望みをかけて彼女の治療費を作るため絵を売り払う。 音楽家は彼の愛車を売り、作家は収集した初版本を売る。 その初版本の収集のため作家の恋人が愛想つかして出て行ったというのに…。 互いの心の糸に触れあう彼ら。こんな彼らが好きだ。 病院のベッドに横たわる恋人のために、画家は花を摘み彼女の病室に向かうが、既に彼女は息を引取っていた。 ラスト、二人の慰めをあとに去っていく画家の後ろ姿。 篠原敏武が日本語で切々と歌う「雪の降る町を」が彼を静かに見送る。 この歌がなぜか妙にマッチする。見方によったらベタベタのメロドラマ。 この作品はほかにも見所が多い。 画家の絵は、カウリスマキの妻であり画家であるパオラ・オイノネンの作。 画家の愛犬ボードレールは、カウリスマキ夫妻の愛犬。 そしてちらっと顔をみせる脇役陣が豪華。 画家のパトロンとも言うべき芸術オンチの食品会社社長にジャン・ピエール・レオ。 レストランで画家の飲食代を肩代わりしてくれる親切な客はルイ・マル。 貧乏作家が編集の仕事で雇われる新聞王ガソーにサミュエル・フラー。 ロベール・ブレッソン監督作品「 掏摸(スリ)」(この作品好きです!)を思わせる手はカウりスマキ自身。 そしてジャック・ベッケルのオマージュとして、「モンパルナスの灯」のラスト・ショットを映画の真ん中に入れ、さらに画家が絵を売る時、ジャン・ピエール・レオが「誰が描いたんだ、ベッケルか?」と言わせている。 盗むのなら誰でもが分かるようにおおっぴらにやれってゴダールから教えてもらったそうです。 三人の男たちの掛け値なしの友情。女にはシャイで不器用だけれど、思いは一途。 そしてラストで流れる日本語の「雪の降る町を」。切なくも愛すべき作品として私の好きな一作。 「愛しのタチアナ」 TAKE CARE OF YOUR SCARF, TATIANA 1994年/62分 ![]() フィランド人の国民性は「あまり多くを語らず、黙っていることを好み、喋る以上に酒を飲む」らしい。 だとすると、ここに登場する男二人は典型的なフィンランド人として描かれている。 フィランドの男が女に惚れたらこんなふうなんでしょうか。 ヴァルトはその大きな身体に似合わず、ミシンで子供服を縫う毎日。 毎日毎日同じことの繰り返し。ニコチン&コーヒー中毒の彼は仕事の合間のコーヒーが唯一の楽しみ。それを無理解な母親はコーホーが切れても買い足していない。切れてしまった彼は母親を部屋に閉じ込め外へ出る。 友人の自動車整備工のレイノと気晴らしに車を走らせる。休憩所で女性からバスが遅れていてロシア行きの船に乗るから港まで乗せて欲しいと頼まれる。二組のカップルが即席で誕生した。 エストニア出身のタチアナとロシア出身のクラウディア。 英語で話す彼女達に「フィンランド語で話せよ!」ケチをつける。 フィンランドにいたらフィンランド語を話せ。マイナーな言語の国民が見せる、せめてもの抵抗が面白い。 それぞれダブルの部屋を予約するが、女に対しては不器用な二人。レストランに入ってもヴァルトはコーヒーを、レイノはアルコールをがぶ飲みする。女二人も黙って座っているしかない。会話が何もない。部屋に帰っても二人とも寝てしまう。無言のままの4人。 けれど、そんな映像から、彼らの気持ちがそこはかとなく見えてくる。 なんともいえず味のある空間。観る人によったら非常に眠気を誘うかも知れないけれど…。 ジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」に通じるテイスト。やはり、この二人は似ているのかな。 ただ、カウリスマキの方がより普通であろうとする磁場が強いと思う。 そんな語らずの空気の中でレイノとタチアナはゆっくりと心を通わせていく。 しかし表立ったロマンスも生まれることなく、愛の言葉の一つも交わすでなく男二人は港で二人の女性を見送る。 おかしいのは、次の場面で4人が船で同じテーブルにまたもや無言で座っていること。男たちが金をかき集めて二人の後を追ってきたのだ。憎めない男たち。クラウディアは別れ際にヴァルトにお礼に包みを渡す。 レイノはタチアナの住む家にとどまり夢である作家になるという。帰りはヴァルト一人。 包みを開けるとコーヒーミルだった。車に4人揃ったところを夢想するヴァルト。 家に帰り、鍵を開け母親を部屋から出して、また黙々とミシンを踏む。いつもの日常に戻る。 ドラマテッィクな場面もなく、ほとんど無言のまま。 ヴァルマとレイノの間でば交わされるのは「おい、行くぞ」「レストラン」といった必要最小限の言葉だけ。シャイなんですね、二人とも。 その代わり機械部品のショーケースの前に立った二人はまるで少年のように機具をみてお喋りをする。それを見ている女2人は「フィンランド人って何を考えているんだか…」とクラウディアは冷ややか。タチアナは黙っている。彼女はそんな彼らに、特にレイノに好感をもってみていたんだろう。無言だけれど2人の男から醸し出される空気は穏やかで、つい微笑んでしまう。 愛すべきヴァルトとレイノ。 「白い花びら」 JUHA 1999年/78分 ![]() 原作はフィンランドの国民的作家ユハニ・アホが1911年に発表した同名小説。 国内で過去に3度映画化されているとのこと。 カリウスマキはサイレント仕立てで本作を撮った。 原作が人物の内面的葛藤を描いていることから、セリフは必要ないことに気づいたカリウスマキはこの作品から言葉を排除した。 「シネマのエッセンスは言葉のない世界だから、そこに回帰したかった」と語っている。 貧しくても幸せに暮らしていた夫婦。 しかし都会からきた一人の男が妻をそそのかし家から連れ出す。連れ出された先は売春クラブだった。消費文明と物欲にそそのかされたわが身を恨み、夫との平凡だが幸福だった日々を思う女。クラブの女性たちはそんな彼女を憐れみ密かに逃がしてくれるが、列車に乗ろうとした時、眩暈で倒れてしまう。妊娠してしまっていたのだ。 一方、男は斧を研ぎ、カバンに入れ、正装に着替え、愛犬を隣人に託し、妻を救うため、彼女のいるクラブへ出かける。そそのかした男に斧をもって向う男。拳銃で撃たれるも、渾身の力で男をぶちのめす(たのだろう。ドアの向こうで出てきた時は斧から血が流れていたから) カウリスマキは斧と拳銃のこのシーンは、彼が映画史に残る作品としてあげているサイレント映画「散り行く花」のシーンを引用している。 そして男は妻と生まれた赤ん坊をタクシーに乗せ駅に向わせる。 そして自分は残された最後の力で歩く。男が自分の向う先として選んだのはゴミ集積所。その場で仰向けに倒れる。その横ではゴミを集めるシャベルカーのキャタビラが動いてくるのが見える。 切なくて胸が痛む。純な男の選んだ道、死に場所。 サイレントだから余計に男の切々たる思いが伝わってくる。 「JUHA」の哀切のあるメロディは、何度聞いても男の物悲しさが、純な一途さが、川面に流れる白い花びらの映像と重なって痛い。 痛くて切ない。これはもう、大好きな愛すべき一作。 ![]()
by mchouette
| 2007-07-24 00:22
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