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サイレント映画の花といわれたリリアン・ギッシュ出演のサイレント映画を観ました。
これは劇場で、アキ・カウリスマキ特集の関連として組まれたものです。リリアン・ギッシュは「八月の鯨」のおばあさんの彼女しか知らなかった。 ![]() リリアン・ギッシュ Lillian Gish 1896年オハイオ生れ ![]() ■今回観た作品 「散り行く花」1919年 「東への道」1920年 「風」1928年 もう1本「スージーの真心」もありましたが、これは時間が合わなくて見てません。 D・W・グリフィスの名前だけは知っているけれど、彼の作品は観たことがなかった。 タヴィアーニ兄弟の「グッドモーニング・バビロン」がグリフィスの「イントレランス」の製作現場が舞台の作品だったので、当時の製作風景の再現とか「イントレランス」の映像の一部が影像に入っていた、という程度にしか知らなかった。 「八月の鯨」を観た当時はリリアン・ギッシュといわれてもピンとこずに観てました。 サイレント映画といえば「戦艦ポチョムキン」。旧ソ連映画で1.2本見た程度。 あとは大げさなコメディ作品をテレビで見た記憶がある。 大げさな身振りと表情、ぎこちない動きというイメージがあります。 でも、これらの作品を観て、当時の映像表現、リアルなセット、俳優たちのきめ細かな演技、そしてはっきりとしたテーマを持って描いていること、そのどれもに驚かされました。 黎明期にある映画産業の旺盛な活力を感じました。 「散り行く花」 1919年/アメリカ/75分 監督:D・W・グリフィス ![]() イギリスが中国との貿易を独占していた時代(アヘン戦争あたり?)のロンドン。 大志を抱いてロンドンにきたけれど夢破れた中国人青年が細々と小間物店を営み、阿片に溺れる日々を送っていた。 一方、ボクサーの父の暴力に耐えながら暮らす一人の少女がいた。 父がいない間に少女は束の間の安らぎに街を歩く。 心の飢えを満たしてくれる花を買うお金がないのが痛い。(空腹より心の飢えを痛みとして捉えているのには思わず注目) 中国青年の店の前で人形に見とれる少女。青年は少女の美しさに見とれる。 少女の父親はその日の試合に負けてしまい、その腹いせを少女にぶつける。 とうとう少女は家を飛び出し、中国青年の店で倒れてしまう。 誠心誠意で青年は少女を介抱し、少女もひと時の安らぎに満ちた幸福な時間を持つ。 青年は少女に心惹かれるが、やっと見つけた「白い花」を大切に大切に扱う。 ところが少女を見かけた父の知り合いが報告したため、怒り心頭の父は青年の留守の間に少女を無理やり連れ戻し、激しく折檻する。 イギリス人以外は認めないという父の言葉に、さり気なく人種差別のテーマも盛り込んでいるのでしょう。 少女は激しい折檻の末、幸せなことが何もなかったこの世の中に最後の微笑をつくって息を引取る。かけつけた中国青年は斧を振りかざす父親をピストルで撃ってしまう。 青年は亡くなった少女を連れ帰り、そっとベッドに寝かせ、散ってしまった白い花と共に自らも命を絶ってしまう。 「笑え」と父親に言われても、父親が怖くて笑えない彼女は、指で口の端を持ち上げて無理に笑顔を作る。 以後、これが彼女のトレード・マークになったそうです。 そして死に際にも見せた、この笑顔の仕草と、虚ろな目をして口の端だけ不自然に持ち上げたこの死に顔は見事だった。 ゴダールが「勝手にしやがれ」で引用したこの死に顔の本家を初めて観ました。(DVDでもう一度確認しておこう…) サイレントであることを忘れさすほど、違和感なく観れました。 そして言葉がない分(間にセリフとか説明文が入るのですが)登場人物たちの表情や動作から内面心理を表現する彼らの演技はとても自然でした。もっと全体にオーバーアクションかとおもっていたけれど、しっとりと落ち着いた演技でした。 リリアン・ギッシュは、とても可愛いおちょぼ口してるんです。 そして目が口よりも大きい目をしている。とてもいい目をしていると思いました。 目でいろんな感情を表現している。そして手の指。 彼女は目と同じように、指の動きで感情をうまく表現してました。 胸の前で組んだり、外したり、指を絡めて小さく震わしたり、そんな指の動きからも彼女の気持ちが伝わってきました。 父の暴力に怯え、顔色をうかがい、哀願し、気を失ってしまいそうな程の恐怖、それらが見るものに伝わってくる。 この作品を一番最後観たのですが、このときのリリアンの演技は特に素晴らしいと思いました。 とにかく、可憐で小さな口と輝きのある目が魅力的でした。 小柄な彼女は細かい動作でくるくる動き、全身で自分の感情を表現している様子には、単なる可愛いだけの花ではなく、役者を感じました。 ストーリーはありがちな悲恋の純愛だけれど、言葉がないからでしょうか、集中してみている私と映像の間に心地よい緊張感が生まれました。 この緊張感が、観終わった後に、満足のため息として出てくる。 こんな緊張感のある映画って最近少ないな。 それにしても、登場する役者の顔、目、身体全体を使ったきめ細かい演技は新鮮。 言葉で表現するのではなく、役者自らが内面を表現するものとして演技している。 トーキーになって言葉でさらに映画表現が進化したけれど、なにか大事なものをどっかに忘れ去ってしまったのではないかしら? アキ・カウリスマキは自作『白い花びら』の原作を読んだとき、内面に集中させる内容だから言葉は不要だとサイレント仕立てにし、役者に演技の参考に本作を見せたといいます。 そして、父と青年の決闘シーンを彼は「白い花びら」でオマージュとして入れています。 彼は役者に眉一つの動きで感情表現することを求めます。 カウリスマキ作品の顔とも言うべき今は亡きマッティ・ペロンパーについて、カウリスマキは「皆にはわからないだろうけど、彼は顔の筋肉の全てを動かして演技しているんだ」と語っていました。サイレント映画の役者たちも、同じような演技が求められたのではないかしら。当時はそれが当たり前だったのかもしれません。 「サイレント映画における演技というものを完成させた女優」という評価が納得できる彼女の演技でした。 作品としては「東への道」「風」の方が評価は高いし、このときのリリアンはどれも良かったけれど、「散り行く花」のリリアン・ギッシュの演技が素晴らしかった。 「東への道」 1920年/アメリカ/87分 監督:D・W・グリフィス メロドラマとして「國民の創生」に次ぐ大ヒットだったとのこと。 一夫多妻制から一夫一妻になっても、男の意識が遅れているため、女性にはまだまだ辛い時代だというのがテーマ。 絶望したリリアンが川岸で倒れ、そのまま流氷に流されるシーン。 髪の毛が半分水面につかり、流されていく。そこへ彼女を愛する青年が駆けつけ、流氷を次々と渡り、滝に落ちる寸前で彼女を助けるという、ハラハラするシーンなどは、どうやって撮影したのだろうか、本当に流氷?とても迫真ある映像でした。 リリアンの自伝によると、髪の毛はすぐに凍って手が痺れ、少なくとも3週間の撮影期間中、20回以上氷の板の上にのった、と語っています。実際に凍った川で撮影したんですね。凄い! 「風」 1928年/アメリカ/75分 監督:ヴィクトール・シェストレム リリアン・ギッシュのサイレント映画の最後の作品。 風の王国と呼ばれる不毛の地に暮らす一人の女性の物語。吹き荒れる風、竜巻、砂塵、終日窓ガラスを叩く風の音が止むことはない。 アメリカの開拓時代だろう。風が吹き荒れる中の撮影は困難を極めたという。 暑さのためフィルム表面の乳剤が溶け出したほどだという。野生の馬の群れ、幻影として現われる白馬。とても迫力がある影像。そしてリリアン・ギッシュの体当たりの演技。 CGとかワイヤーアクションなどの迫力あるシーンよりも、このサイレント映画のリアリティが新鮮。 こんな、サイレント映画を観て、 映画って何だろう。 演技をするってどういうことだろう。 映画に何を期待されているんだろう。 人々が見たがっている映画って何なんだろう。 今私たちが見ている映画って何なんだろうか。 答えがでないまま、こんなことを考えてしまう。 ■参考に… D・W・グリフィス David Wark Griffith 1875年1月22日 - 1948年7月23日
by mchouette
| 2007-07-21 00:00
| ■映画・雑記
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