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イシュトヴァン・サボーSzabó István
(1938年、ハンガリー・ブタベスト生れ) イシュトヴァン・サボー監督作品「コンフィデンスン/信頼」と「メフィスト」をDVDで観ました。 「コンフィデンス/信頼」 (1979年/ハンガリー/104分) 第二次大戦中、ドイツ・ナチス統治下にあるブタベストが舞台。夫が地下活動をしているため、当局から逃れるために夫は身を隠し、妻である女も身分を偽り身を隠すことを強いられる。 組織の手引きのもと、女は見知らぬ男と夫婦という形で、ドイツの老夫婦の離れに身を寄せる。 常に当局の捜査の手に脅え、本音を語れない偽りの毎日。緊張の連続。夫が、子供がどこに居るかのさえ分からない。 目に見えない恐怖と苛立ちに女は常にギリギリの精神状態にある。 一方、幾度となく友人や隣人の裏切りを目の辺りに見てきた男も、誰も信じてはいけないという脅迫観念にとらわれている。彼もまたギリギリのストイックな精神状態でこの偽りの隠れ家生活を送っていた。 そんな二人が、癒しを求めるように肌を合わしてしまう。互いに離れ離れだが夫が、妻が居る身。 男はそんな自分に自責の念を禁じ得ない半面、肌を合わせたがゆえに、どうしようもなく女に惹かれていく。 女もまた男に惹かれていく。 「愛人」だと言葉で言っても、心では割り切れない相手に対する思い。 互いの伴侶にも嫉妬し、互いの愛情を奪おうとする。 二人の心のせめぎあいが、とてもきめ細かく描かれている。 ラストがやるせない。女は戦争が終わり迎えにきた夫の胸に飛び込み、男は女の仮の名を呼びながら行列の群れに女の姿を必死に探す。 戦時下での男と女の愛の様を描きつつ、ハンガリーという国の当時の状況を二人と重ね合わせてサボーは描いているのだろう。その緊張感、不条理が俳優を、映像を通して伝わってくる。 同じ感覚は「メフィスト」にも色濃く漂っている。 「メフィスト」 (1981年/西ドイツ・ハンガリー/145分) トーマスの息子、クラウス・マンの同名小説の映画化作品。 野心に充ち、ハンガリーの地方の舞台俳優では満足しきれないヘーフゲン。 ハンガリー人である一人の舞台俳優が、仲間がドイツ・ナチス統治を嫌い次々と亡命する中で、ベルリンに招かれその演技を賞賛され、ナチス政権下で劇場監督として就任する。芸術は全てを超越すると芸術至上主義を呪文のように唱え続ける。 ナチスのプロパガンダに利用され、気がつけば己の魂を売り渡していた。 全てナチの意のままの操り人形であることを思い知る。 「彼らは私に何を求めている?」ほとんど絶望の中で彼は弱弱しく自問を繰り返す。 ここでも、背景となっている時代が生み出す緊張、時代に翻弄される主人公の置かれた緊張が、その映像から否応なく浴びせかけられる。 主人公ヘンドリック・ヘーフゲンを演じたクラウス・マリア・ブランダウアーが、野心に燃え、当たり役であるメフィストと自分との区別がつかなくなっていく様を演じ、途切れることのない緊張を常に漂わせていたのは見事だった。 作品の背景である第二次大戦下はサボーにとっては多感な青年時代。 私がサボー監督作品を劇場で観たのは、これらの作品の後、1999年製作「太陽の雫」と2004年製作「華麗なる恋の舞台で」の2本。 「太陽の雫」 (1999年/ドイツ・オーストリア・ハンガリー・カナダ/181分) ![]() それから20年後の1999年に撮られた「太陽の雫」はオーストリア・ハンガリー帝国時代から1956年のハンガリー動乱まで、歴史の中で翻弄されるハンガリーの歴史を映す鏡のように、その時代を生きたあるユダヤ人一族3世代の物語を描いたもので、ハンガリーの歴史と、主演のレイフ・ファインズが3世代の3人をそれぞれの個性と一族に受け継ぐ血筋、気質を見事に表現し、ともて見応えのある作品だった。 「コンフィデンス/信頼」と「メフィスト」を見るまでは、特にレイフ・ファインズのファンである私には彼の演技堪能で素晴らしいと思っていた。 けれど、「コンフィデンス/信頼」「メフィスト」に色濃く漂っていた、あの緊張感、痛みはなかった。 時の経過によるのだろうか。それとも、ハンガリーの100年を描くことで、ハンガリーを、そしてそこにいた自分自身を総括するという意味が彼の中にはあったのだろうか。 それとも、社会情勢が一定程度落ち着く中で、彼自身の、おそらくそれが映画を撮る推進力ともなっていた「内なる怒り」が薄れたか、あるいはそのものの行き所を見失ったのか、あるいは模索していたのか…そんなことを先の2作品を観て思ってしまった。 本でもそうだけれど、私は作品を通して作家そのものに目がいってしまう。 「2006年、1956年のハンガリー動乱の後に共産主義政権のスパイとして、仲間の監督や俳優に関するレポートを書いていたことが報道された。」という一文を見たけど、これには触れないでおきましょう。 「華麗なる恋の舞台で」 (2004年/アメリカ/104分) ![]() 舞台に生きる舞台女優の人生を、軽妙なタッチで描いた作品。原作はサマセット・モーム「劇場」。 舞台に疲れ倦怠感にあった舞台女優が、若い男性との情事、若い女優の台頭、嫉妬、夫の不倫、それらのスキャンダルの一切合財を、自分の人生でもある舞台の上で、そのスキャンダルもエネルギーに換えて、ものの見事に一泡吹かせ、この手から手離そうとした舞台に、再び輝いて大輪の花の輝きを見せる。 女優の意地と女として年季の入った強かさを、主演のアネット・ベニングが見事に演じ、彼女の魅力がきらきら輝いていた。 中年女性へのエールと大いに元気を貰った映画だった。夫であり劇場経営者であるジェレミー・アイアンズの絡みも絶妙で、演技派俳優二人の力量を存分に堪能した作品だった。 舞台の表と裏、さらに舞台を引きずった日常生活、舞台と日常の捌き方、絡め方の演出が見事と思った。 「メフィスト」を観て、時代の狂気と、主人公がその狂気に取り込まれ、道化ともとれる彼の生き様を見事に重ね合わせて描いたサボーだからこその演出と納得できた。 モームの原作とロナルド・ハーウッドの脚色そしてサボーの演出が冴えた一作だと思う。
by mchouette
| 2007-07-22 00:00
| ■映画
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