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NANOOK OF THE NORTH 1922年/アメリカ/60分 製作:レヴィヨン・フレール商会 監督・台本・撮影・編集:ロバート・J・フラハティ 音楽:リチャード・シルバーマン サイレント映画、しかもドキュメンタリー映画で、これほど凄い映画を観るとは! 1922年製作のドキュメンタリー「極北のナヌーク」。 私が見たのは修復され、リチャード・シルバーマンの音楽がはいったサウンド版。 日本で初めて公開された時は「極北の怪異」というタイトルで上映されたそうだ。 この作品は、カナダの極北の地、バフィン地方から北ウンガヴァ地方で生活するエスキモー・イヌイット族のナヌークとその家族の生活を数年間かけて撮影したもの。 ナヌーク一家の生活記録であるという紹介字幕があった。 湿度計が止まったまま動かない。 彼らが移動する範囲はイギリスの国土に相当するという。 ナヌークが一人座っているのがやっとの幅の平たく細長いカヌー。カヌーの前の船体(といえばいいのでしょうか)に男の子が一人腹ばいになってへばりついている。 海岸についたナヌークがカヌーから降りる。その座席の穴から次々と出てくる家族たち。赤ん坊を入れて、全員で6人でしょうか。最後に犬まで出てきました。 人間の身体の幅くらいのカヌーの中に、寝ながらへばりついていたんでしょう。 移動中、突然浮上してきた小さな山ほどもある巨大な氷の塊に阻まれたナヌーク一家。10頭ほどいるソリ犬が必死に氷の塊を登り、ソリを引っ張る。生きるために極寒の自然と闘う彼らの日常生活。自然をテーマにしたドキュメンタリーを見てきたけれど、のっけからこんな生きる迫力の映像に画面に釘付けになってしまう。 極北の虎といわれるセイウチ捕獲はエスキモーの男たち4人がかりの格闘。その場で切り裂いて生肉を食べる。それほど空腹なのだ。極寒の地。食料は乏しい。 燃料となる苔も少ない。 雪と氷で作るイグルーと言われるエスキモーの家。移動途中、硬い雪の層にナヌーク一家は家を作る。ドーム型の家が1時間足らずで出来上がる。氷を直方体にきり、レンガのように積み上げていく。隙間には雪をつめていく。氷を自在に操る。氷を切る刀がすぐに凍るので舌で刀を舐めて溶かす。現代人には決して真似できない芸当。舌と刀がくっついていしまう。薄く切り取りドームにはめ込めば窓の出来上がり。窓に垂直に雪の板を立てれば太陽の光が反射して窓から光が差し込む仕掛け。 雪が溶けないように室内は零度以下だという。 厚い氷の下にいるアザラシは、20分に一度、空気を吸うため氷の近くまで浮上してくる。そこを狙って捕まえる。必死の綱引き。綱を離せば一家が飢え死にしてしまう。 アザラシの血の匂いに野生の狼の血が騒ぎ、歯を剥き出しにして吠える犬たち。 吹雪が来る。子犬たちは、飢えたソリ犬の餌食にならないようにイグルーの中の小さな空間に入れられる。裸で毛皮に包まって寝る一家。 外では荒れ狂う吹雪にさらされてソリ犬たちがお座りの姿勢でじっと動かない。横なぶりの雪に見る間に覆われる犬たち。倒れる犬もいる。死んだのだろうか。 極寒の地で生きるエスキモーたちの生活をよりリアルに伝えるためドラマティックに撮るという意図もあったのだろう。そのための演出もあったと思う。 イグルーの中の撮影は光が不足して撮影が不可能なするため、屋根のないオープンセットのイグルーを作り撮影したという。 「ナヌークの忍耐強い協力によって撮影された」と作中で語られていた。 こうした演出がいいかどうかは、私には分からないが、ともかくも、今まで、いろんなドキュメンタリー映画を観てきたけれど、本作は生きる凄さが伝わってきた素晴らしい作品であることは確かだった。 監督はドキュメンタリーの父と言われたロバート・フラハティ。 1922年といえば、映画産業の黎明期。フラハティの撮ったこの「極北のナヌーク」が以後のドキュメンタリー映画に大きな影響を与えたといわれている。 アメリカやヨーロッパでは、ドキュメンタリー映画に「脚本」が存在することが少なくないという。ある現実に対して「映画」がとりうる立場はそういった「再現」された、あるいは「創造」された現実の中にあるという考えに基づくものなのだろう。そういう意味でこの「極北のナヌーク」はその原点といえる作品と位置づけられている。 「真に偉大なる映画は未だ作られていない。来るべきは大会社の作品でなくアマチュア、つまり、商業的な目的なしに物事を企てる熱狂した人々の作品である。そしてこれらの作品は、技芸と真実で出来ているんだろう。」1926年 ロバート・フラハティ 今の映画産業、そして映画作品にメスを入れるようなこの言葉が、すでに今から80年前に探検家でありドキュメンタリー作家であるロバート・フラハティによって語られていたとは! ウィキペディアでドキュメンタリーのパイオニアたちについて書かれた一文にロバート・フラハティの名前が挙げられている。「記録媒体という要素を重視しながら自らの問題意識を作品に投影する意志を持った制作者が現れてきた、ドキュメンタリーの父と言われたロバート・フラハティ(アメリカ、1884~1951)やヨリス・イヴェンス(オランダ、1899~1989)、ジガ・ヴェルトフ(ソビエト、1896~1954)などがそれである。」 海の日とあわせ3連休だったが、台風の上陸で、15日に友人たちと遠出の予定が中止とのメールが来た。
by mchouette
| 2007-07-17 20:30
| ■映画
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