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フランソワ・オゾンの描く映像はとてもシンプルで、色彩は美しい。
文章で言えば、漢字よりもかな文字。わかりやすい映像だ。無駄がない。 しかし、その映像からは人間の隠されたセクシャリティ、悪意、本能、欲望、さらには得体の知れない不安感、不安定さまでもが漂ってくる。 短編王の異名をとった映像作家。改めて映像表現の巧みさにうなってしまう。 ![]() 「海をみる」52分 「ホームドラマ」80分 今までは5分~15分の短編作品であったが、「海をみる」は中編、「ホームドラマ」は長編といえる長さの作品。 そしてこの二つの作品には共通するテイストを感じる。 ともに人間の内面のダークな部分に焦点を当てているからかもしれないが、ひょっとしたら、どちらの作品にも出ているマリナ・ド・ヴァンの見せる存在感が二つの作品に共通性を与えているのかも知れない。 ![]() ![]() このマリナ・ド・ヴァンが醸し出すオーラはなんなんでしょう。 オゾンは「海をみる」の彼女について「とりわけ役に入り込んでいたのはマリナ・ド・ヴァン。だって、彼女がそこにいるだけで不安感が醸し出されていたんだから。だから、僕は彼女に向かってほとんど演技しなくていいよと助言したんだ。」といっている。 そして「ホームドラマ」でみせたリアル感。特に下半身不随の身で包丁をもって2階まで階段を這いずり上がるときの迫力。 ![]() 彼女はオゾンと同じく国立映画学校の監督コースでオゾンと知り合った監督志望の女性。 今、彼女は監督としてどんな映画を作っているんでしょうか。見たいものです。 「海をみる」のあとに「ホームドラマ」撮った経緯について…… 『海をみる』はノワールな映画で、僕がこれを撮ったとき、この映画に含まれていた激しい不安を鎮めるような、何かもっと軽いものを次に作りたいと思っていたんだ。僕はいつも前の作品に反応して次の作品を作るんだと思う。 オゾンは自分のスタイルを確立するよりも、映像表現の新たな冒険を試みる。 僕は卑俗なものや、幼稚なもの、陳腐なものになってしまうことを覚悟で、(僕にとっては意味のあることなんだけど)自分にブレーキをかけたりせず、僕自身に一番近い作品を作っているだけだ。それなのに、ありきたりの型から外れた性行動について語るだけで、たちまち挑発だと非難されてしまう。 性の規範を犯すことについて…… 僕は観客が一番行きたくないと思っているところ、一番あいまいな部分に連れて行きたいんだ。観客をつまらない、馴れ合いの習慣で安心させたいとは思わない。 性行動の演出には僕を夢中にさせる要素がいくつもある。そして映画にはさまざまな肉体を撮ることでもある。僕は欲望と反発の間に肉体を置いて、映画に撮りたいといつも思っている 「海をみる」はどちらかというとサスペンス風で怖さすら感じますが、「ホームドラマ」はブラック・ユーモアたっぷりで描いているのが、見ていて楽しい。 「海をみる」 島の小高い丘にある白い壁と真っ青な扉の別荘、風にそよぐ木々、海 とても美しい映像で始まります。 夫は仕事でパリにいって留守。別荘には若妻サーシャと赤ん坊の二人。 一人の女性タチアナ(マリナ・ド・ヴァン)がやってきた。キャンプ場が一杯だから、敷地にテントを張らせてほしいという。ほどなくサーシャはタチアナを食事に招き、バスも使わす。悪意ある存在としてその不気味さを漂わせてくる。 二人の女のセクシャリティも、それぞれの性格を表すように描かれている。 そしてショッキングな映像。怖さと不気味さと背中合わせのラストの美しい映像。 ![]() ![]() 「ホームドラマ」 カンヌ映画祭で賛否両論の渦が巻き起こったといわれる長編第一作. 原題は「Sitcom」 Sitcom:シチュエーションコメディ(situation comedy)の略。コメディのジャンルのひとつ。登場人物たちが毎回様々な状況(シチュエーション)に遭遇するコメディ作品やその手法を指す。オゾンは何よりもまず家族の物語を撮りたいと思い、そこにファミリードラマ、ホラー、スプラッター、メロドラマ、コメディなど、彼の好きな映画のジャンルを網羅するシットコムを実現したいと思ったと語っている。そしてオゾンはこの映画に関しては、「僕は自分のことを人形遊びをしている子供のようだったと感じてる。見ようによっては『ホームドラマ』は倒錯した子供の映画なんだ。」と表現している。 オゾンが遊んだ「ままごと遊び」の世界。いろんな「ごっこ」が出てきます。 ![]() 舞台は上流ブルジョワ家庭。お父さんとお母さんと娘と息子が暮らしています。ある日1匹の「ネズミ」をお父さんが持って帰ってきました。そしたらネズミに近づいた息子と娘が順々におかしくなっていきました。家政婦も家政婦の夫もおかしくなりました。欲望、本能に素直になってみんな好き勝手に動き出しました。同性愛、自殺願望、SMプレイ、乱交パーティ、近親相姦などが当たり前のように次々と出てくる。 ![]() ![]() お母さんは調べてネズミが人間を狂わす波長を出すことを突き止めます。お母さんは壊れてしまった家族を再生させるため、娘と息子をつれて4日間の集団精神治療を受けに行きました。ひとり家に残ったお父さんの見る夢は……。お父さんはお腹が空いたので、このネズミをオーブンで焼いて食べてしまいます。家族崩壊の元凶であるネズミを食べたお父さんはどうなるんでしょう。普通であるはずがありません。 みんなが帰ってきました。お母さんは寝室にいきました。 するとそこには……巨大なネズミがお母さんに襲いかかってきました。 巨大なネズミ、それはお父さんでした。 ここからが家族愛です。家族の戦いが始まります。 そして最後のシーン。考えると背筋が寒い光景!でもこのスタイリッシュな映像は魅力的だ。 ![]() オゾンの映像はつねに軽やかだ。 だからでしょうか、気がつけば、オゾンが描く世界をあるがままに受け入れてしまう「当たり前さ」がある。単純で明るい映像が当たり前に思わせてしまう。 きっと確信犯なんでしょう。 横道にそれますが、私が「ホームドラマ」みていて連鎖反応で思い出すのが、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の「テオレマ」という作品です。 パゾリーニ監督といえば、1975年に「ソドムの市」という作品を撮った監督です。これはナチ占領下のイタリアでファシスト達が少年少女にあらんかぎりの変態行為を尽くすというマルキ・ド・サドの『ソドムの120日』を元につくられたショッキングな内容の作品ですが、この作品を撮った直後にエキストラで出演していた17歳の少年に撲殺されます(けれど後になって少年は頼まれた、嘘だと語っていますが…真相は)パゾリーニにはホモ・セクシュアルの性癖があったため、彼のの死は物議を醸し出しました。 さて、そのパゾリーニが1968年に発表したのが「テオレマ」。物語はある富裕なブルジョア家庭に、突然やってきた一人の美青年に、家族全員と家政婦がその魅力に取りつかれてしまう。そして化学反応を起したように隠し持っていた本音を彼に語り始め、家族のそれぞれはもう以前の姿を留めていられなくなるという話です。そして青年は、やってきたと同じにようにある日突然立ち去ったのです。謎の美青年には若き日のテレンス・スタンプ、そしてブルジョワ家庭の美しい夫人にはヴィスコンティ作品などでおなじみのシルバーナ・マンガーノが演じてます。 この作品はブルジョワ家庭の欺瞞と崩壊を描いた作品といえますが、一方でパゾリーニは「神性をおびた訪問者とブルジョワ一家の人々の愛は静かだがとても美しい」と語っています。 オゾンは「面白いだろ」と舌を出しまくって、シュールな世界も、時にはパロディで、時には寓話で 時にはブラック・ユーモアで、時には崇高に、時には下品すれすれに、知らぬ間にオゾン・ワールドに観るものを引きずり込む。 ■海をみる 監督:フランソワ・オゾン 製作:オリヴィエ・デルボスク/ ニコラ・ブレヴィエール 製作総指揮:マルク・ミソニエ 脚本:フランソワ・オゾン 撮影:ヨリック・ル・ソー 音楽:エリック・ヌヴー 出演: サーシャ・ヘイルズ (サーシャ) マリナ・ドゥ・ヴァン(タチアナ) ■ホームドラマ 監督:フランソワ・オゾン 製作:オリヴィエ・デルボスク/マルク・ミソニエ 脚本:フランソワ・オゾン 撮影:ヨリック・ル・ソー 音楽:エリック・ヌヴー 出演: エヴリーヌ・ダンドリー(エレーヌ(母親)) フランソワ・マルトゥーレ(ジャン(父親)) マリナ・ドゥ・ヴァン(ソフィ(娘)) アドリアン・ドゥ・ヴァン ニコラ(息子) テファーヌ・リドー (ダヴィッド(ソフィーの恋人)) ルシア・サンチェス(マリア(家政婦)) ジュール=エマニュエル・ヨウム・デイド(アブドゥ(マリアの夫)) ジャン・ドゥーシェ(精神科医)
by mchouette
| 2007-05-26 00:42
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