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いつも遊びに行っては、言葉の連鎖反応で話があちこち飛び回って楽しくコメントやりとりさせていただいてますJiij姉さんことVivajijiさんのブログで、メリル・ストリープの「恋におちて」のコーナーが、なぜかフランスまで話が飛んでいってしまいました。こんなやりとりが楽しいのでありますが…
私のコメントのゲンスブールが作った『夢見るシャンソン人形』という言葉にivajijiさんが反応して、こんなコメントを 『夢見るシャンソン人形』って、F・ギャルの歌った歌だよね、ゲンズブールだったっけ?忘却鳥アウォオー;アウォオーッ(恥!) あの強烈・露出狂映画「スタン・ザ・フラッシャー」を遺作に、この世を去ったドスケベ・ゲンズブールがあのような可愛いらしい曲をこしらえていたなんて!だ~~からこの世は面白い!! そしてこのVivajijiさんのコメントに反応して 「ドスケベ」といわれるセルジュ・ゲンスブールのCD1枚ご紹介します。 そう彼はロリコン趣味のドスケベ親父なんです。どれだけドスケベかアルバムの曲をいくつか紹介しますので、それで十分お分かりいただけるでしょう。 紹介するCDはセルジュ・ゲンスブール自身の曲を女性シンガーたちに歌わせた曲を集めたアルバムです。彼とのデュエット曲もあります。 その前に、セルジュ・ゲンスブールって、女優で歌手活動もしているジェーン・バーキンの別れた夫。そしてフランスの女優シャルロット・ゲンスブールのお父さんです。 『ゲンスブールを歌う女たち Versions Femmes』 ![]() ![]() ジェーン・バーキンはじめカトリーヌ・ドヌーヴ、初期のゴダール映画でおなじみのアンナ・カリーナ、アラン・ドロンとの共演が多く長らく彼と同棲していたミレイユ・ダルク、イザベル・アジャーニ、ブリジッド・バルドーなどなど、フランスを代表する若手の女優達に、ゲンスブールは歌を提供しています。彼曰く「女の子たちに歌いに行かせて、彼女たちが金を持って帰ってきてくれるんだ」って。女衒の元締めか! 1.無造作紳士 / ジェーン・バーキン 18番目が愛娘のシャルロットとデュエットしている曲。1984年にリリースしたものです。 「レモン・インセスト」訳して「レモンの近親相姦」なんというタイトルをつけてるんでしょう! これはフレデリック・ショパンの「12の練習曲 Op.10 第3番 ホ長調『別れの曲』」に歌詞をつけて歌ったもの。歌詞を一部紹介、シャルロットが蚊の鳴くような声で一生懸命歌ってます。歌わせてます。 「ジュ・テーム、テーム 誰よりも愛してる パパ パパ」そしてこんな写真を撮らせているんだから、なんという父親。でも父親冥利に尽きるという見方もできるかも……。 ![]() ゲンスブールの歌詞って、ダブル・ミーニングなどの言葉遊びをしたりメタファーを使って、時には露骨に性的な内容を語ったりといった歌詞も多いです。悲しいかなそれは日本語訳の歌詞を見て行間から想像する程度。フランス語がわかれば使っている言葉などから別の意味も読みとれて面白いのでしょうけど。彼の曲のメロディはその過激な歌詞に比べて、とても素敵なメロディが多いです。私、ゲンスブールの曲って好きです。海外の曲って、まずメロディに反応して、後から歌詞の内容を知って、こんな内容だったんだって驚くこともあります。オゾンの「サマードレス」で使われていた「バン・バン」という曲もあの曲を聴いている頃は歌詞なんて知らずにハモってましたからね。 9曲目の「夢見るシャンソン人形」 この曲は、1965年にフランス・ギャルがゲンスブールの提供曲Poupée de cire, poupée de son(「夢見るシャンソン人形」)でユーロビジョン・ソング・コンテストのグランプリを獲得した曲で、ロック風の激しいサウンドは、シャンソンが主流のフランスの音楽界では一部で強い反撥があったけれど、、若者たちを中心に絶大な人気を集め、この曲でギャルとともにゲンスブールの名も一気に高まった曲でもあります。 <フランス・ギャルとゲンスブール> ![]() その後もギャルへの提供した曲は次々とヒットし、ギャルはフレンチロリータという伝統の始まりとなるわけです。なかでも話題を呼んだのが1966年のLes sucettes(「アニーとボンボン」)で、この歌は(棒つきの)キャンディを美味しそうに舐める女の子を歌ったもので、童謡のような曲とアレンジで歌われてましたが、実は歌詞がダブル・ミーニングでフェラチオを暗示していたんです。当時18歳のギャルは当時はそんな悪意のある裏の意味など知らなかったと発言しています。曲がヒット中には、何も知らずにTVやグラビアで棒つきキャンディを頬張っている姿を見せていたギャルでしたが、後にゲンスブールが書いた歌詞に秘められた裏の意味を知って人間不信に陥り、恥ずかしさと怒りから数ヶ月部屋に閉じこもってしまったそうです。 「夢見るシャンソン人形」にも、蝋人形という死のイメージにアイドル歌手をダブらせるというある種の悪意が込められているとされています。そのほかにもっと隠微な匂いも感じるのですが… やっぱりね。ゲンスブールが清純なだけの可愛いフレンチ・ポップスを作る訳ない…か。 あと、ここには入っていませんが、セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンのデュエット曲「Je t'aime moi non plus(ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ)」メロディがとても素敵で私の好きな曲なんですが、ジェーン・バーキンのあえぎ声もあり、歌詞は性描写を表す過激なものです。でも私はフランス語が分からないのでメロディだけで聴いてました。大学で第二外国語フランス語を専攻していた先輩は恥ずかしいって言ってましたが…。一部の人から反感を買ったものの、その話題性もあって「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」はイギリスのシングルチャート1位を獲得するなどヨーロッパ全土でヒットしました。また1976年にはゲンスブール監督、バーキン主演の映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』も公開されてます。この作品のジェーン・バーキンは少年っぽくて可愛かったです。 ![]() この曲はもともとは、1967年当時、不倫関係にあったブリジット・バルドーに提供した曲でしたけど、バルドーは当時の夫ギュンター・ザックスの怒りを恐れ、この歌のリリースを拒否したため、録音はしたけれどお蔵いりとなった曲です。ゲンスブールはバルドーにも多くの曲を提供しています。当時のゲンスブールは所謂ヒットメーカーで若手の女優などはヒット曲を作ってもらいたくって行列を作ったそうです。そしてゲンスブールは彼女たちと浮名を流すといったところでしょうか。翌年の1968年にはゲンスブールとバルドーのデュエットアルバム「Bonnie and Clyde(ボニー&クライド)」ガリリースされています。「俺たちに明日はない」のボニー&クライドを歌った曲です。 1968年に、映画Slogan(『スローガン』)でジェーン・バーキンと共演し、当時20歳のバーキンはゲンスブールに一目惚れし、同年のうちにバルドーがリリースを拒んだ「Je t'aime moi non plus」をゲンスブールとデュエットしてます。親密な関係を経て結婚。ゲンスブールにとってジェーン・バーキンは3度目の結婚となります。ジェーン・バーキンも2度目です。前夫は「007シリーズ」や「白いドレスの女」などの映画音楽を手掛けたイギリスの作曲家ジョン・バリーで、18歳で結婚。2年後に離婚しています。彼との間に娘を一人産んでます。離婚後彼女はフランスに来て、ゲンスブールと出会うんです。 この結婚生活は円満で、娘のシャルロット・ゲンスブールにも恵まれ、二人はおしどり夫婦として知られるようになり、以後ゲンスブールはバーキンに無数の提供曲を作ります。バーキンとのデュエットに、Je t'aime moi non plusと同様、性行為を歌ったLa décadance(「デカダンス」、1972年)もあります。 けれどチェーン・スモーカーでもあったゲンスブールは、1973年に心臓発作を起こして倒れます。バーキンは家庭のために健康にも気遣ってほしいと懇願しますが、ゲンスブールはそれを聞き入れず、以前と同様の飲酒と喫煙を続けたそうです。きっと死への恐怖から逃れるための飲酒・喫煙でもあったのでしょう。救急車で運ばれる時も愛用のタバコ「ジタン」を詰めこんだトランクを持って救急車に乗ったとか。ここまでくると完全に中毒症状ですね。 こういうことも一因で夫婦の争いが多くなり、ゲンスブールはバーキンに暴力を振るうようになり、1977年にバーキンと離婚します。離婚後も彼はバーキンに対して曲の提供は続けます。ゲンスブールはとってもバーキンを愛していたようです。 ![]() 1980年には、30歳年下のモデル・歌手のバンブーと同棲し、1986年には息子ルルーも生まれ、バンブーがセルジュの最後のパートナー。 晩年、テレビに出演する機会は多かったが、髭も剃らず、しばしば酔ったままで現れた。ホイットニー・ヒューストンと共演したときには"I want to fuck you"と発言したとのこと。 1991年、死亡。死因は心筋梗塞とされていますが、発見されたときには既に死後数時間が過ぎていたので定かでないそうです。遺体はパリのモンパルナス墓地に埋葬されました。ゲンスブールの墓を訪れる人は後を絶たず、彼らがLe poinçonneur des Lilasにちなんで地下鉄の切符を供えるため、墓の周りにはいつも無数の切符が散らばっているそうです。 まさに太く短い一生を送った男といえるでしょう。 先月、娘と書店に行ったら月間の女性雑誌でセルジュ・ゲンスブールの特集が折込でされてました。今頃何故なんでしょうね ![]() セルジュ・ゲンスブール Serge Gainsbourg 1928年4月2日 ~ 1991年3月2日 フランスの作曲家、作詞家、歌手、映画監督、俳優。 両親は帝政ロシア(現在のウクライナのハリコフ)出身のユダヤ人で、パリ生まれ。 1958年に「Le Poinçonneur des Lilas(「リラの門の切符切り」)でデビューして以来、反体制的な作風で人気を博し、1960年代の特に後半から1970年代にかけて、フランスのポピュラー音楽において中心的な役割を果たしたとされています。 デビュー作の「Le Poinçonneur des Lilas」は、地下鉄の駅で切符を切り続ける改札係を歌ったもので、暗い地下から逃げて広い世界に出たいという着想は、あるとき改札係にゲンスブールが「なにか望みはないか」と尋ねところ、「空が見たい」という答えが返ってきたことから生まれたといわれています。歌詞の中では、色々な意味に変わりながら繰り返される「trous(穴)」という語が性的な隠喩であるとも言われています。またこの曲がヒットしている間、ゲンスブールはコンサートで改札係に扮して歌ったそうです。この歌も好きな曲です。 1987年。彼はこんな言葉を残してます。 「死んだあとのことなんか 私はどうだっていい 死んだあとなんかファックだ! 死んだあとが 私のために いったい何をしてくれた?」 貴方が死んだ後、ジェーン・バーキンはあなたが作った曲を引っさげて、いまも歌手活動頑張ってます。あなたの愛しい娘、シャイなシャルロットは女優として活躍してます。監督の夫とは仲むつまじく、二人で映画なんか撮ったりしてます。でも、あなたに似てへヴィー・スモーカーです。あなたが遺した遺産は大きいです。
by mchouette
| 2007-05-24 00:01
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