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羊飼いの父と言語学者になった息子の物語
![]() 1977年/イタリア/111分 物語は教室前の廊下で白壁に立ち、鉛筆を削っている原作者ガヴィーノ・レッダの語りで始まる。 「ガヴィーノ・レッダ。35歳。18歳まで羊飼いで文盲。今は言語学者で、著書がベストセラー。その本は彼の自伝で、この映画の原作だ。物語はサルデーニャ島の小学校から始まる。ガヴィーノは一年生だった。11月のある朝、父親が教室に来た。町役場の一室が教室だった。」 イタリア・サルデーニャ島。ある日、羊飼いのエフィジオは、6歳の長男ガヴィーノを小学校から連れ戻した。その日からガヴィーノは、絶対者である父のもと、羊飼いになるべく孤独な山小屋生活を送ることになった。ガヴィーノは20歳になるまで文盲だった。そんなガヴィーノは軍隊生活の中で始めて文字と正規のイタリア語を学んだ。これをきっかけに学問に目覚め、父と真正面から対立する…。 イタリアの言語学者、ガヴィーノ・レッダの自伝を映画化したこの作品は、絶対者として息子を支配しようとする父と、その父から逃れ自分の世界を築こうとする息子の物語。しかし、息子が目指したものは、父親と違う世界に生きる事ではなく、サルデーニャの人々の文化に基づいたサルデーニャ語の探求であった。 父親役エフィジオを演じるオメロ・アントヌッティの圧倒的な存在感が、さらに作品を力強く、迫力のあるものにしている。以降、彼はタヴィアーニ作品にたびたびキャスティングされ、なくてはならない存在ではないかと思う。 ![]() しかし、物語はけっして抑圧の重苦しさを描いた作品ではなく、むしろ時にはユーモラスに、時には大らかに、時には悲哀に満ち、そしてフルートや民族音楽と呼応して、寓話を思わせるような作品に仕上がっている。 本作はタヴィアーニ兄弟を世に知らしめた作品であり、日本で最初に公開されたタヴィアーニ作品でもある。 タイトルのパードレ・パドローネとは「パードレ」と「パドローネ」という2つの言葉からなっている。 ■パードレ(padre):父、家長(他に神父という意味ももつ) ■パドローネ(padrone):動産あるいは不動産であれ自分が自由に処分できるものを所有している人を意味し、所有者、支配者、権力者というふうに解釈できる。 「パドローネ」とは、農村社会においては、一定の土地を所有し、地主として小作農や日雇い農に直接的な支配権を及ぼす存在であり、この権威に基づき地域社会の規範を作りだし、その地域の文化(世界)を形成する存在でもある。だから支配と同時に、支配する人々を包み込み保護する責任も負わされた存在でもある。ヴィスコンティの映画「山猫」でバート・ランカスター演じるサリーナ公爵もパドローネとして領地に君臨する絶対者といえる。 そしてこの「パドローネ」という言葉は、広く「所有」「権威」「支配」の意味を含み、イタリアでは広義によく使われる言葉だそうだ。 本作のエフィジオは父親であり家長であるパードレとしてだけでなく、パドローネとして家族を支配しようとしたところにこの物語の父親の悲劇と危うさがあるとタヴィアーニ兄弟は指摘している。 「パドローネの上っ面だけの姿に自分も倣えば父と息子の関係においても、自分が勝てると、息子を支配できると思った」とタヴィアーニは指摘する。そして、その欺瞞に気づかず、子供たちの抵抗の中で、その見せかせが明らかになるや、彼は暴力という選択をする。タヴィアーニ兄弟は、被支配階級が階級意識に目覚め、従属から自らを解放した人々に比べ、エフィジオはずっと悲劇的であると指摘している。 自分の価値観が絶対無二のものとして家族に押し付け支配しようとし、反発をすれば暴力で押さえ込もうとする父親の姿が見えてくる。 しかし、彼も小さい頃から羊飼いとして朝から晩まで働き、今も貧しさは変わらず、サルデーニャ島での厳しい環境の中で家族が生きていくには、パードレでありパドローネとして一家を束ねていく支えもまた必要なことだ。 サルデーニャ島の風土は、貧困と厳しい自然環境にあり殺伐としている。 6歳のガヴィーノが暮らすことになる山の番小屋の暮らしは過酷だ。春と夏は蚤に悩まされ、冬は突風と寒気に襲われる。貧困から家畜泥棒も横行し、羊飼いから盗賊になっていくケースもある。父親はガヴィーノに厳しい羊飼いの暮らしの教育をしていく。鞭で叩きながら。 ![]() 青年になっても、ガヴィーノは父が手を上に上げるだけで、父の暴力から身を護るため頭をよける習性が身についてしまっている。また、一人でいるとき座って手を膝に回し、体を前後に揺らす癖がある。孤独な羊飼いの暮らしの中で、じっと一人で座り何時間もこうして時を過ごしたものが体に染み付いているのだ。 ガヴィーノ・レッダは現在66歳でシリゴの実家に住んでいる。ガヴィーノの父は健在で、97歳になる。現在のレッダは、父親の教育は殴ることを除けば正しかったと思うようになったと、語っている。(2004年) そしてタヴィアーニ兄弟の作品の大きな魅力は、音楽と共に風景、水の音、風の音、沈黙さえも人が話す以上の言葉になって映像をさらに刺激し、彼ら独自の寓話的世界となっているところだ。タヴィアーニ兄弟は音と画の関係について「画を<聖母像(イコン)化>したいぐらいがための方法として音がある。それは画を息苦しくさせるのではなく、画の基本的な性格を与えるためです。そのためには、それができる画は一切の虚飾のない画、もっとも単純な画を私たちはずっと作りたがっている」と語っている。 音楽についてはタヴィアーニ兄弟は小さい頃から音楽教育を受けていたため、二人とも音楽に詳しく、特定のスタッフはいない。本作ではエジスト・マッキが担当。彼は実験音楽の分野での理論面、実際面での活躍が知られている音楽家である。本作では山の盤小屋での沈黙を「鐘の音」を使い、それがガヴィーノの孤独と共鳴する。アコーディオンとフルートの音色、サルデーニャ地方の民謡、ドイツ民謡「トリンク・トリンク」、ミーナのカンツォーネ、グレゴリオ聖歌、ヨハン・シュトラウス・Jr「こうもり・序曲」、モーツァルトのクラリネット協奏曲、挽歌などが使われており、編曲も担当している。 1977年 カンヌ国際映画祭 グランプリ・国際批評家賞font> moreで物語の概略を ![]() 教室にやって来た父親エフィジオは6歳の息子を、山で泥棒から羊を守るために番をさせる。息子がいるからつれて帰るという。 義務教育だと拒む女教師に、「人は自分で育つ。俺もそうしてきた。俺の息子だ。返せ」と怒鳴る。 息子のガヴィーノは机の間にたって、恐怖のためお漏らしをしてしまう。 二人が出て行った後、騒然となった教室に父親が戻ってきて怒鳴る「ガヴィーノを笑うのか。今日のガヴィーノは明日のお前たちだ」とにらみつける。 じっと窓を見つめる教師。明日はわが身に怯える子供達の独白。貧しい環境にあるサルデーニャの暮らしが見えてくる。 このあたりで、既に父親エフィジオの強烈な存在感がはっきりと見える。それに比べガヴィーノのまだ幼いこと。とてもじゃないが、泥棒から山羊を守るような逞しさはどこにもない。 しかし、なんともユーモラスな光景に仕上がっている。 父親に家に連れ戻らされたガヴィーノは母親から山へ行く支度をさせられる。 怖がるガヴィーノに支度させながら、母親はパンツのところで手を止め「かわいそうな豆鉄砲。山で一人で……」 父親と二人、ロバに揺られ山に向うガヴィーノ 「一人で暮らすんだからな。神経を集中させて昼の眼と夜の眼をもて。一日一日、土と樹が分かるようになれ。木の葉の音を聞け、音を聞き分けろ」という。自然と共に生きてきた父親は息子に自然と暮らす術を教える。 ![]() 羊の乳を搾るガヴィーノ。でも羊の方は小さい彼を小馬鹿にして、搾ったばかりの乳が入ったバケツにすました顔で糞をする。 夜になってたった一人残されたガヴィーノは怖くて怖くて父の後を追いかけて逃げ出す。突然、父親の手が伸びて平手打ち。「番小屋に戻れ!」大声でガヴィーノを追い払う。 昼は昼でうなるように吠え立てる犬。シューシューと舌を出す蛇。 カヴィーノの顔は怖くて怖くて硬直している。 山には他にも羊飼いの少年たちがいる。しかし、他の羊飼い達との接触は禁止されている。逆らうと潅木の木で叩かれる。お仕置きの準備に耐え切れず逃げ出すガヴィーノ。追いかける父親。逃げ惑うガヴィーノ。鞭で叩かれるガヴィーノ。倒れるガヴィーノ。驚いて息子の名前を絶叫する父親。劇場型で荒削りな父親の姿がなんともおかしい。 羊飼いの少年達は、女を知らない。相手は羊か鶏だ。農村の家家でもガヴィーノの家でも、別の家でもあえぎ声。このあたりのタヴィアーニ兄弟の描き方は、なんとも大らかだ。平和でのどかな島の風景。しかし、6歳のガヴィーノにとっては孤独な沈黙と恐怖の日々であったろう。 ![]() 20歳になったガヴィーノ。彼は人とのコミュニケーションを持たずに成長し、寡黙な青年に成長していった。 ある日、アコーディオンを弾きながら歩く二人連れの男に出会う。ガヴィーノはそのアコーディオンの音色に魅せられ、アコーディオンと羊2頭を交換する。父親には内緒だ。 父がいないとき、ガヴィーノはアコーディオンを弾く。アコーディオンが孤独の中で唯一の慰めであり、唯一の語らいであり、言葉であった。父親の知らない自分の世界を持つ第一歩だ。フルートの音色が流れる中、映像は羊飼いの子供達の声にならない独白が字幕で流れる。みな一様に厳しい。 ガヴィーノの寝言で「アコーディオン」という自分の知らない言葉を聞いた父親は、ほとんど無意識に叫ぶ「お助けください…お助けください…息子がわしから離れていく。」精神を集中させるため必死で掛け算の九九を暗誦するエフィジオ。 自分の支配領域で息子との関係を保とうとする父。痛ましい。 時代の流れの中で、島の若者たちの間でも、農村社会のサルデーニャ島からの脱出をし、都会での生活を望むものも多くいた。ガヴィーノもそんな仲間に交じって、父から、そして島からの脱出を図ろうとする。しかし父の差し金で移民登録局で書類不備で受け付けてもらえず、一人島に戻る。 ガヴィーノ一家に幸運がもたらされた。シチリアやサルデジャーニには復讐の風習があり、金持ちのセバスティアーノも復讐で殺されたのだ。島を離れるセバスティアーノの妻から財産の処分を頼まれた父親は金を工面して彼のオリーブ畑を買取った。ガヴィーノも山から下り、オリーブ畑を手伝う。しかし、未曾有の寒波によってオリーブ畑が全滅し、父親は全財産を処分する羽目になる。父は子供たちにいう「お前たちは働いて、もらった給料は家に入れろ。そうしたら生活の面倒は見てやる。ガヴィーノは長男だ。家には誇りがいる。家を出たいのなら軍隊に入れ。軍人かラジオの組立工になれ」という。子供の独立を阻み、未だに自分を中心とした中で子供達を支配しようとする父親。 軍隊に入ったガヴィーノはサルデーニャの方言しか知らず、文字も読めず、ましてや正規のイタリア語も話せない。そんな彼に軍隊の友人チェーザレが、これで言葉を覚えろと辞書を貸してくれた。 「息子の部屋」の映画監督ナンニ・モレッティがチェーザレを演じている。 それからのガヴィーノは乾いた砂地が水を吸い込むようにAから順に辞書の言葉を次々と暗誦し、覚えていった。トイレであろうが、歩いているときであろうが、彼は目に付くもの全ての単語を貪欲に覚えていった。 自分で字を読んでラジオの組み立てにも成功する。 さらにガヴィーノはラテン語も習得していく。言葉を知り、文字を知り、学問にめざめたガヴィーノは父親に手紙を出す。「僕のような羊飼いでも中学卒業の資格を取りました。勉強すれば何とかなるものです。僕は決心しました。軍人にも、ラジオの組立工になりません。ここで勉強を続け、高校卒業の資格を取ったら島に戻ります。そして大学に行きます。」と。 それに対して父は「それは狩人から餌食に変わることだ。お前はすぐに狩人に撃たれてしまうぞ。戻るな」という。 入学試験の勉強のため故郷のサルデーニャに戻ってきたガヴァーニ。 父親と出くわす。父が手を上に持っていった。ガヴィーノは反射的に身をかがめる。それを見て父親はにやりとして帽子を取り、頭をかく真似をする。息子に対する自分の支配力を測っているのだろう。 父親の声「言語学だと。何が言語学だ。わしを言葉でだます気か。なぜ、お前だけが学問をする。わしはいい笑い者だ。」 自分の知らない領域にいる息子は父親にとっては赤の他人にも等しい存在なのだろう。 あくまでも自分の世界の中で息子との関係を取り戻そうとする父親。 「この家では生産しない者は食わさん。働かずに食う奴は泥棒だ。食べたいならわしに頼め。わしのために働けば与えてやる」食品棚に鍵をかける父親。 雨の降りしきる中、互いに背中を向けて農作業をする父と息子。 「学問なんぞ、何の役にもたたん。汗を流して作物を作れ。わしと同じように作ってみろ」父親の独白。 突然、ガヴィーノに作物の扱い方を命令する父親。その言葉を聞いたガヴィーノは、その父の言葉を聞いて「バルバジャ語はまた音が違うんだ。シリゴの方言と、バルバジャ方言と。音声医学上の違いも研究しなくては…」新しい研究のテーマに興奮するガヴィーノに、父は「月曜から乳搾りだ」というだけだ。 農作業と自分の試験勉強でくたくたのガヴィーノは朝起きれないでいる。農作業を拒否するガヴィーノ。「文句があるなら憲兵を呼んだらいい。僕は父さんの道具じゃない」と抵抗するガヴィーノ。父はガヴィーノに向かっていう「わしに命令するのか。父親(パードレ)であり、主人(パドローネ)であるこのわしに」 「何が主人なものか。パパたち家長がしてきたことは2つだけだ。服従させることと命令することだけだ。」 平原の中に立ち尽くす父親。やがてしゃがんで近づいてきたロバに向かって言う。 「ガヴィーノを殺す。息子を殺す」家に向う父親の歩調は次第に速くなり、最後はほとんど走らんばかりだ。 取っ組み合いを始める二人。父親がガヴィーノの組み立てたラジオを突然洗面台の水の中に沈める。音楽が消える。挑戦するかのようにその音楽を口笛で吹くガヴィーノ。 「殴れ、殴ってみろ、なぜ殴らない」と父親。再び取っ組み合いをする父と息子。 力では息子を屈服させる事はできない。ナイフで唇を切る父親。「ガヴィーノにやられた」という。「うそだ。僕を追い出すために自分でやったんだ。」「このわしの頭に勝つ気か」と棄て台詞を残し、寝室のドアを閉める父親。母親は二人を止めようとはしない。子供の巣立ち。時代の流れ。来るべき時が来たと彼女は思ったのだろう。鍵穴から覗くとベッドに腰をおろしうつむいている父の姿がある。 本土に戻る決心をしたガヴィーノ。家族も賛成する。 「カバンは?」「パパの寝室だ」 「僕が取りにいく」 寝室のドアを開け、ガヴィーノは父に言う「カバンを取りに来たよ」 ガヴィーノは腹ばいになりベッドの下のカバンを引きずりだす。ふと、頭を父の足にくっつける。 父親は、その頭を撫でるかのように手を上げるが、途中で、握り拳に変わる。だが、振り下ろせない。 あたかも神の前に許しを請うかのような息子ガヴィーノ。パドローネとしての父の悲劇が漂う。静謐なシーンだ。 ![]() 再び原作者ガヴィーノ・レッダ「僕は本土に戻って、サラデーニャ語の研究で学位を受けた。そして教師になったが、胃病が悪化して手術を受けて、ようやく治った…」 「そこで、父に対する恥じをしのんで島に戻り、全てを書いて本にした。 この映画は、その本を土台にしてできている。 これは、僕だけの物語ではない。島の羊飼いたちが、これは皆の話だと言ってくれたが、書き手は僕で、書き手の責任がある。 だからこの島で書き続けるのが、僕の仕事だ。そう信じながらも、時には抑えきれぬほど、この島から逃げ出したくなる。今はにぎやかで陽気だが、冬、来てごらんなさい……」 「本土には、この島にはない喜びがある。しかし、僕の父の様に、力を特権的にふるったとしたら、それは父に負けたのと同じことだ」 さらにガヴィーノは続ける。 「だが、島に残る理由は、実は、エゴと打算と恐れからなのだ。 自分の古巣や同胞や、汗の匂いを、離れてかえって自分の殻に閉じこもる……昔、番小屋で知った、あの沈黙の囲いの中に閉じこもってしまう恐れからだ」 そして映像は 物語の始まりの教室の風景に戻る。 突然やってきた父親、まだ幼いガヴィーノ。こどもたちの顔 「こうもり序曲」が流れる。 クレジット~モーツァルトのクラリネット協奏曲が流れる。
by mchouette
| 2007-05-15 00:00
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