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シュエットと申します。フランス語で「chouette(シュエット)」は「梟」のこと。でも「素敵!」という時にも「chouette!」って言います。寄り道カフェで素敵なこと話しましょう。もちろん、とっときの素敵は映画。
by mChouette
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「二流小説家」著者:デイヴィッド・ゴードン/翻訳:青木千鶴
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まずは、この本の内容についてはアマゾンの商品説明の引用をもってかえることにする。…ハリーは冴えない中年作家。シリーズ物のミステリ、SF、ヴァンパイア小説の執筆で何とか食いつないできたが、ガールフレンドには愛想を尽かされ、家庭教師をしている女子高生からも小馬鹿にされる始末。だがそんなハリーに大逆転のチャンスが。かつてニューヨークを震撼させた連続殺人鬼より告白本の執筆を依頼されたのだ。ベストセラー作家になり周囲を見返すために、殺人鬼が服役中の刑務所に面会に向かうのだが……。ポケミスの新時代を担う技巧派作家の登場! アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞候補作
帯文は……
史上初、三冠達成!第1位
このミステリーがすごい<2012年版 海外篇(宝島社)>
週間文春ミステリー部門ベスト10<2011年 海外篇>
ミステリーが読みたい<2012年 海外篇…ミステリーマガジン編集部篇> 3月14日にアマゾンで注文したけど入荷待ちで届いたのは4月5日。かなりの売れ行きなのでしょう。
本書を教えていただいたのは、この方。
映画も面白かったけど、それ以上に原作「ミレニアム三部作」が面白くって、面白くって、こんなに夢中で読んだ後には、次は何を読めばいいのかしらって、ブログでお喋りした時に紹介していただいたもの。
ハヤカワ・ポケット・ミステリーの新書版サイズで、本編441ページ。
読み終わったのが4月18日。通勤電車の行き帰りで2週間かかった訳で私としてはちょっとスローペース。
面白いんだけど、僕ハリー・ブロックが、自らの半生を語り、二流小説家としてさまざまなペンネームを駆使していかに作品執筆に腐心しているかを語り、そして僕が出くわしてしまった事件…死刑が確定した連続猟奇殺人犯ダリアン・クレイからの告白本執筆の依頼、彼と交わした取り決め、それによって僕が目撃してしまい第一発見者となってしまった、ダリアン・クレイの殺人を彷彿とさせるようなおぞましき一連の猟奇殺人…おまけに何者かに命を狙われる恐怖を味わい、そして、そして、家庭教師の教え子のはずがいつの間にか僕のマネジャーとして僕をしっかりと仕切る女子高校生クレアのこと、それからダリアンに双子の姉を殺されたストリップ・ガールのダイアナとのこと、僕自身のこと、小説を書くこということ…etc、僕自身と僕が体験した事件を語るハリーの言葉一つ一つ、一行一行がとても濃厚なのだ。
それは、僕が生れて初めて(そういってもいいだろう)今まで生きてきた僕の人生、生き方、そして僕が生業とする作家、僕が生み出す小説そして文学について、ダリアン・クレイにまつわる一切合財と関わってしまったことによって、本当に生れて初めて真剣に考え、真摯に向き合って僕が語る言葉は半端じゃなく濃いのだ。
人生の重さをかけた言葉といったら大袈裟かもしれないけど、でも、だからといって読んでいて陰鬱になるような重い作品でも、ハリーのお喋りに嫌になって途中で読むのを止めてしまうというようなことは決してない本であることは保証できる。
ミステリー小説というと、たいていは夢中になって次の展開は?!ってストーリーそのものを追いかけるといった類のものが多いのだけれど、本作はちょっと違う。脇役的な文脈は字面を追って(あのミレニアムでさえそういう部分はあった!)、といった読み方が出来ない作品。だから一度に読み進むページ数が少なくなる。コーヒーでいうならばアメリカンとエスプレッソくらいの違いかしら。
とにかく僕ハリー・ブロックが、小説家になるという夢を抱きながらも、いつしか金を稼ぐ手段としてホラー、F、ヴァンパイア、ポルノ小説の執筆で食いつなぎ、気がつけばB級小説家に成りさがり、そんな負け犬人生に、猟奇殺人鬼ダリアン・クレイとの接触が、彼にメガトン級の衝撃で喝を入れたともいえる、僕が僕自身を語り続けた一行一行の言葉が濃いのだ。そして彼がいろんな事柄について語る言葉や内容は、とても共感できる。だから遅読ペースだけれど、ハリーのお喋りをずっと聞きながら、彼と一緒に歩いているような、そんな感覚で、そのことが楽しくってずっと読み進む。
きっとクレアもダイアナも、クレアは彼女の冒険心を、ダイアナはダリアンに対する復讐心をもって、ハリーと行動を共にするのだけれど、それ以上に彼との時間が楽しかったんだろう。彼と一緒に居たかったんだろう。
ハリー・ブロックは、小説化くずれの負け犬人生と自分を卑下しているけれど、なによりも人の痛みや悲しみにはとても繊細な神経を持っている奴。分かれた元恋人も含め、文壇で華々しく活躍する似非作家よりもよっぽど真摯。生き方が不器用なだけ。
ダリアン・クレイが語る殺人の論理、芸術における狂気。
でも、僕が決してダリアンのような殺人鬼にはならないのはなぜ?
ダリアン・クレイが人体から内臓を引きずり出したように、僕ハリー・ブロックはダリアンによって、僕自身がずっと今まで眼を逸らし逃げ続けてきた人生の中味を否応なく引きずり出され向き合わざるをえなくなったと言えるだろう。
ハリー・ブロックが彼の頭の中にある全てを、一つ残らず全てをここで吐き出し語りつくしている。
最後の最後にようやくに犯人がわかるという、そこに至るまでのスリリングな面白さもさることながら、ハリーが語る僕自身がもっと面白い。
そして本文に挿入されるハリーがペンネームで執筆したヴァンパイア小説とSF小説の一遍が挿入されていて、これがまた続きを読みたくなるほど面白い。ヴァンパイア小説などはその筋では熱狂的なコア・ファンがいるほどなのだから。
読み進むにつれ、私の頭の中ではハリー・ブロックなる人物の風貌をあれこれ想像している。才能はあるのだけれど、脇が甘い奴。商売気にかけるというか、B級小説を片っ端から書きまくっているけれど、文学をビジネスにはしたくない純粋さというか律儀さをもっている奴。
ちょっとジョン・キューザックが入っている感じ?
どちらかというとイーサン・ホークの方が近い?
いやいや、もっと柔で美形の風貌の方がぴったりかな?
あれこれ俳優をあてはめてみる。
でもやっぱりこんな風貌が一番ぴたっとくるかな?
本書の著者デイヴィッド・ゴードン。
本作は彼の処女小説でもある。
クイーンズ出身でコロンビア大学で修士課程終了後、映画、ファッション、ポルノ業界とさまざまな業種に携わり、本書はポルノ雑誌の編集部にいた時に、大量に送られてくる囚人たちからのファンレターに着想を得たという。 ダリアン・クレイの登場によってジェット・コースターみたいに人生を引っ掻き回され、血だらけ泥まみれ、果ては吐き気を催すほどのおぞましさと、頭痛と疲労の渦から抜け出したハリー・ブロックの負け犬人生からの脱出、いや負け犬のどこが悪い?! 高らかなる二流小説家宣言ともいえる、なんとも爽やかで、ハリーのこれからの人生に拍手をおくりたくなるようなラスト。
「ぼくの描き出す世界が何物でもないこと、単なる虚構の世界であることは潔く認めよう。そのうえでぼくは作家を続ける。どんなに素寒貧でも孤独でも、どんなに自暴自棄になっても、落ちぶれても、どんなに辛酸を舐めても、たとえ神経症を患っても、これからも小説を書きつづける。
そして、夢しか映しださない鏡のように、作品を現実の高みへと押しあげる努力を続けていく。すべての文学作品はおのれとの闘いにおける勝利であり、世の中に対するささやかな抵抗でもあるのだ。」
「今回の経験から可能なかぎりをかすめとり、フィクションとして形を変え、名前や細部も変えて、一遍の小説を生み出そう。ただし、ひとつだけは本物の名前を使う。ぼくの名前だけは。」 ハリーはまたこうも語っている。
「推理小説を書くにあたっていちばん厄介なのは、虚構の世界が現実ほどの謎には満ちてはいないという点にある。人生は文学がさしだした形式を打ち破る。」
「真の不安と危機感とは、先の見えない“いま”をいきていることからこそ生じるものなのだ。“いま”という時は、一瞬一瞬に類がなく、二度と繰りかえされることがない。ぼくらにわかっているのはただひとつ、それがいつかは終るということだけだ。」
「ぼくらは夜を徹して物語を追い、最後までページをめくってしまった。あとにのこされたのは、真っ白いページのみなのだ。」 だから私達は、新たなる物語を追い求め、明かりを消して“いま”はまだ見えない明日という、真っ白なページに何かを託さんとするのだろう。
原題は「The Serialist」シリーズ作家とでも訳せるだろうか。でも私は邦題の「二流小説家」の方がぴったりくるように思うけど…。 人生は今を積み重ねたシリーズ小説のようなもの。これからもハリーの小説はハリーが生き続ける限り、続いていくし、私たちの人生もまた続いていく。その人生のどこかでハリーの小説の登場人物の人生と私達の人生がすれ違い、時には絡み合うこともあるだろう。
ミステリーというジャンルに入れられているけれど、ミステリーという仮面を被った純文学であり、そして……これは翻訳の青木千鶴さんの翻訳家としての手腕によるところも大きいだろうが……とても平易でこなれた文章で、十二分な読み応えと緊張感のある小説に仕上がっている。
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