by mChouette 検索
カテゴリ
全体 ■映画 =映画:あ行 =映画:か行 =映画:さ行 =映画:た行 =映画:な行 =映画:は行 =映画:ま~わ行 ■映画・雑記 ■ドラマ ■展覧会・コンサート ■一冊の本 ■徒然なるままに… ■美味しいもの ■アウトドア・旅 ■勝手にバトン ■ご挨拶・お知らせ 未分類 最新の記事
その他のジャンル
|
THE GIRL WITH THE DRAGON TATTOO(今のハリウッドではそんなことありえないけど、仮に)ハリウッドがいち早く原作に注目して映画化権をとっての本作だったら、オオッ!と思えた作品だったかも。 でもでも そんな評価を前提として…スウェーデン版の「ミレニアム/ドラゴン・タトゥの女」を観た後だと、比較するつもりはないけれど、フィンチャー監督の本作は、ちょっと違うなって思うところが多々ありで、私的にはちょっと違うよなって思う所を書き連ねてみたい。 スウェーデン版リスベットが強烈な印象でもって焼きついている私には、予告映像では美形過ぎるのでは?とこの作品の象徴的存在でもあるリスベットというキャラに、弱さを感じたルーニー・マーラ演じるリスベットだったけど、登場してしばらくは、これはこれでいいんじゃないって思わせてくれた。 けど、けど… ミカエルとリスベットとのセックスシーン。 ミカエルの上に乗っかったリスベットの背中が映し出されたけれど、肩だか脇だかの辺りにちょろっとドラゴンのタトゥ。 これには「へっ!?」と思ってしまった。 フィンチャー版が見せたいのは、結局は、ハリウッドお馴染みの観客サービスで、ダニエル・クレイグとルーニー・マーラのセックスシーン?って思いたくなる。 スウェーデン版が見せたかったのは、リスベットの背中一面に彫られたドラゴン・タトゥー。背中のドラゴンがうねりながら吠えているような……。 どれほどの思いをこめて、リスベットはこのタトゥを彫らせたんだろう。リスベットに対する興味が俄然沸いてきたシーンでもあった。 リスベットが味わった地獄が徐々に明らかになるにつれ、背中のドラゴン・タトゥーが一層痛々しく、彼女の孤独な闘いがドラゴン・タトゥを通して見るものにじんじん伝わってくる。 そのかわりといってはなんだけど、フィンチャー版の「移民の歌」で始まったオープニング映像だけは、強烈なインパクト!フィンチャー版ではこのセックスの後、ミカエルとリスベットの距離はぐんと近くなり、優秀で良き相棒となってリスベットはハリエット失踪の謎に迫っていく…。 ミカエルに対してリスベットかなり『女』入っている。 たしかにミカエルに対してリスベットの中で乙女の恋心が芽生えているのは確かなんだけど……「女」してるリスベットってちょっと違うんだなぁ。 リスベットって、ずっと対男に対しては「女」であることを拒んでいる。肌と肌を合わせる情愛も同性にだけは許している。 原作の原題は「Män som hatar kvinnor」女を憎む男と訳せるけれど、物語はハリエットの失踪も含め、男たちの欲望と暴力の対象として蹂躙され、そして惨殺された女たちを描いている。リスベットもまた男たち(権力)によって精神病院に隔離され社会から抹殺されようとした少女時代を送ってきた被害者。 誰からも命令されず、誰からの助けも受けず、誰からの優しさも受けず、それらを拒絶して生きていく決意があのドラゴン・タトゥ。 誰かと何かを共有したり、求め合ったり、分かち合ったり…そんな関係を拒絶して生きてきたのがリスベット。そう思う。 リスベットとミカエルの関係って… スウェーデン版では、この初めてのセックスシーンはリスベットのマスターべーション的なものとして描かれているように思う。 ミカエルに揺れ動く自分に戸惑い、ミカエルを求めた自分の衝動に驚き、事が終るとプイとその場を去ってしまうリスベット。翌朝、ミカエルの親近感のある挨拶にそっぽを向き、そんなリスベットに戸惑うミカエル。 ミカエルに惹かれながらも、ぎこちなくそっぽ向いている、リスベットのこんな行動や心理状態ってとってもよくわかる。 こんな風にミカエルもリスベットも、互いにちょっとぎこちなく始まり、そしてハリエットの残したメモの謎の一つ一つを二人して丁寧に解きほぐしていく中で、阿吽の呼吸のような親密さと信頼関係が生まれていく。それ以上の情愛を抱きながら、どっか互いに暗黙の了解みたいに、超えない線を引いているところもある。そんな微妙な関係がそこはかとなく感じさせるのがスウェーデン版。 フィンチャー版だとミカエルの娘が登場し、彼女がハリエットの残したメモのヒントを口にする設定もなんか蛇足っぽいし、そんなヒントでぴんときて、すぐさまミカエルの指示でリスベットが真相を探るためにバイクをぶっ飛ばしてあちらこちらというというのも、ちょっと違うよなぁって思う。 寸でのところでマルティン・バンゲルに殺されかけるミカエルを、リスベットが救い、逃亡したマルティンを追いかける際に、「殺してもいい?」ってリスベットが訊ね、ミカエルが息も絶え絶えながら肯くシーン。 これは違うやろう! リスベットは誰にも何も訊かない。自分の行動は自分で決める。 おまけに、目には目を、歯には歯をのリスベットならそれもありだけど、犯罪をペンでもって告発弾劾するジャーナリストであるミカエルが自分を殺そうとしたものであってもその殺人を承諾するなんて! これは違うやろうって言いたくなる。 ハリエット失踪事件が解決した後、ミカエルがミレニアムの編集長であり恋人であるエリカと仲良く連れ立って歩く姿を観て、一瞬ショックを受けた後に見せた自嘲的な表情に胸がキュンとなるのはノオミ・ラパス演じるリスベット・サランデル。 ミカエル役には、スウェーデン版のミカエル・ニクヴィストよりも雰囲気としてはいいんじゃないかしらって思ったダニエル・クレイグだったけど、フィンチャー版はどうも映像の端々に男と女が匂ってきて、ハリウッドという水に染まっていない朴訥なミカエル・ニクヴィストの方がいいなぁって思えてきた。 同じ原作の2つの作品を観たけれど、スウェーデン版のようなトキメキは本作では感じられなかったナァ。 料理人が違えば素材の料理も味付けも盛り付けも違うもの。 どちらを支持するかはそれぞれの嗜好の問題だろうけれど、今の私が気になるのは、果たして原作者スティーグ・ラーソンは、ミカエルとリスベット、そして二人の関係をどんな風に設定して描いているんだろうということ。 原作を読んでみたくなった。 ドラゴン・タトゥの女は3部作だけど、ラーソンは5部作で構想を練っていて彼のPCには4部の途中まで残されていたとか。 さてさて、ハリウッド版ドラゴン・タトゥの女も3部作だとか。 ミカエルとリスベットの関係をどんな風に描いていくのかしら? なんか陳腐な設定になってしまいそうな気配もするけど……。 その第一作目「ドラゴン・タトゥーの女」は、見た目はとっても素敵だけど、あれこれ盛りすぎて急ぎ足過ぎてるみたいな印象。 余談だけど、クリストファー・プラマーの若い頃を、ジュリアン・サンズが演じていて、これはまた懐かしいお顔。
by mChouette
| 2012-02-21 14:30
| ■映画
|
ファン申請 |
||