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週末ともなると、遠足の前の夜みたいにワクワクしながらベッドに潜り込んでいたのが、劇場に足を運ぶたびに、悪くは無くって、良いんだけれど…どうも観終わった後の充足感の膨らみが今ひとつが続くと、アドレナリンも淀んでしまって、ハッピーモードも冬眠状態。で大好きなオゾン監督のマジックも効き目無しで、ドヌーブのジャージ姿やリッキーの無邪気なポスターを素通りし、WOWOW放映で、どんなもんだかと気乗りしないままで見始めたのが本作2つ。「しあわせの雨傘」なんて、短編王と異名をとった初期の頃の彼の作品のテイスト(さらりさらりと撒き散らされた毒気)を感じさせてくれて、見ていて嬉しくなる。 原題「POTICHE」は「飾り壷」の意味。 ドヌーブ演じるブルジョワ主婦している母親を称して、キャリアウーマンを目指す娘が「ママみたいに飾り壷になりたくないの」というセリフ。「飾り壷」とバカにしていたママが、いとも軽やかにして、誰よりも過激でタフだった。近頃では女優というより女実業家然としたドヌーブだけど、やっぱり役者ネェ。こんなに、にこやかでおっとりした奥様然とした役を軽々とこなしている。ドヌーブに赤いジャージでのランニング姿させられるのもオゾンなればこそでしょうね。 それにしても、観るたびにますますでっかくなってるジェラール・ドパルデュー。本作の彼のでかさは「地獄の黙示録」のマーロン・ブランド以上のやばさ。フランス映画界にはドヌーヴの存在感に太刀打ちできる相手役は他にいないのかしら?(フランス男性って総じて小柄だけどねぇ)。 クラブで並んでダンスを躍る二人を見ていると、トリュフォー監督の「終電車」の時からずいぶんと歳月が経ったもんだわぁって感慨が沸いてくる。 本作は、「雨傘」をモチーフにするところなんかもそうだけど、オゾンのドヌーブに対するリスペクトであり、彼女の出演した作品に対するオマージュでもあるんでしょうね。 しあわせの雨傘 「リッキー」は、「まぼろし」「ぼくを葬る」の三部作の完結編ともいえる作品で、オゾンは前々から次回は子供が主人公って語っていて、どんな作品だろうって思っていたけど、羽が生えたベビーとは。 愛する者の喪失感を描いた「まぼろし」、そして癌を宣告された青年が、自分の人生の一つ一つに愛情をもって訣別していく足跡を描いたともいえる「ぼくを葬る」を振り返ると、生きることに精一杯で愛を失くしていたカティが最後に「愛しているわ」って言って娘のリザと恋人のパコと抱き合うラストシーンは、なんて静かな愛と幸福なんでしょう。3作が静かなトーンで繋がっている。 岸辺でリッキーを見つけ、話しかけるシーンでのカティ役のアレクサンドラ・ラミーの表情が素晴らしい。 愛を見失った一人の女性に、リッキーは愛を運んできた天使? カティの中で何かが変わっていく様相がオゾン流のさらりさで、でも、とっても丁寧に描かれている。 リッキーとの愛しさと切なさの再会シーンにも、家族の絆に愛を見出す優しさのラストシーンにもオゾンならではって嬉しくなる。 「愛してるわ」そんな言葉が素直に口にできる人が、家族がいることが幸せ。 幸せを押しつけず、幸せを枠で囲まず、でも幸せそのものを描いた「リッキー」。 Ricky リッキー
by mChouette
| 2012-02-17 00:00
| ■映画
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