![]() by mChouette 検索
カテゴリ
全体 ■映画 =映画:あ行 =映画:か行 =映画:さ行 =映画:た行 =映画:な行 =映画:は行 =映画:ま~わ行 ■映画・雑記 ■ドラマ ■展覧会・コンサート ■一冊の本 ■徒然なるままに… ■美味しいもの ■アウトドア・旅 ■勝手にバトン ■ご挨拶・お知らせ 未分類 最新の記事
その他のジャンル
|
WINTER'S BONE胸にひたひたと沁みこんでくるような、それでいて逞しい。こんな素晴らしく骨太な映画に出会うと、「最近公開の映画は…」とため息まじりでテンション下がりっぱなしだったのが、「やっぱり映画っていいなぁ」と感慨たっぷりになる。 今年見た映画のランキングをされているブロガーさんも多いけど、私は自分の映画観る目にあまり信頼置いてないから、ランキングはするほうではないけれど、この映画は私の中では今年一押し映画かも!物語の舞台は、アメリカ中西部ミズーリ州のオザーク高原にある、アメリカ社会から見捨てられたかのような貧しい寒村。 そこに暮らす17歳のリー・ドリーを通して、「生きていく」ということをリアルに描いた作品だろう。「生き抜いていく」といった方がより近いだろうか。 祖国での苛酷な環境から、祖国を捨て新天地アメリカに移住してきた人々。 自由の国アメリカ。それは裏返せば生きるも自由、死ぬも自由ということだろう。強いものは成り上がり、弱いものは蹴落とされ、時として踏み潰される。生きるということは闘いでもあるのだろう。 彼らに限らず、人類は大地と闘い、自然と闘い、獲物と闘い、そうして生きてきた。多重に豊かになりすぎた現代社会で私たちが忘れてしまっているだけで、「生きる」ということは本来そういうものなのだろう。 覚せい剤製造で逮捕されたリーの父親は、家や土地を保釈金の担保に出所したまま失踪。母親は心神喪失に陥り廃人同然。幼い弟と妹を抱え、生活の重みは17歳の少女リーの肩にのしかかる。 逆境に耐える姿が美化され、涙を誘う物語りだけど、リーは「おしん」じゃない。 生きる為に、乗越えるために立ち向かっていく。 リーが涙を見せるのは2回だけ。 失踪中の父親は裁判に出廷しなかった。父が勝手に保釈金の担保にしてしまった家と土地は没収される。「ママ。どうしたらいいの。今度だけは教えて。私を見て」 しかし母親は虚ろな眼でリーを見るだけ。 2回目は、涙は流れるけれど、口を大きくあけ嗚咽を封じ込め、挫けそうな自分を乗越えようとする。 リーを演じたジェニファー・ローレンス。 彼女のしっかりと前を見据えた目が、リー・ドリーそのものを力強く語り続けている。彼女の「生きる」意志が実感として観る者に響いてくる。 米アカデミー賞でも各部門で最多ノミネートされていた本作。作品賞は「英国王のスピーチ」に譲るとしても、主演女優賞は本作のジェニファー・ローレンスがオスカー演技だと思う! ![]() 映画評論家の町山智浩氏によると<「ヒルビリー」と呼ばれる、アメリカの貧困層を描いた作品>とある。パンフレットで町山氏は、ヒルビリーを<権威を憎み、法より血族の絆を重視する人々>と語っている。 耳慣れない言葉「ヒルビリー」を検索すると<カントリー・アンド・ウエスタンの初期のスタイル。1920~40年代のアメリカ合衆国南部山岳地帯の民俗音楽:三省堂提供「大辞林 第二版」より>とある。 ヒルビリーと呼ばれる音楽を生み出したのは、19世紀半ば以降、スコットランドから遅れてアメリカに移民してきた農民たち。彼らは肥沃な平地を購入できず、ゴールドラッシュに沸く西部を目指した者もいれば、故郷での境遇と同じ小作農にあまんじる者もいれば、自らの土地を求めアメリカ東部から中部にかけて広がる山間に入植した者もいる。山間に入植した者たちがヒルビリー<山(ヒル)に住むスコットランド人(ビリー)>と呼ばれるようになったそうだ。たぶんに蔑みの響きを持つ、無法者と同義語のように使われる言葉だろう。 超大国に成長していくアメリカ社会から隔絶し孤立していく彼らの慰めは故郷スコットランドから持って来た楽器を演奏し故郷の歌を歌うことだったのだろう。 山岳地帯に入植当時から歌い継がれている音楽をテーマにした「歌追い人」もヒルビリーを描いた作品だろう。「オペラ座の怪人」のエミー・ロッサムが素晴らしい歌声を披露している。冒頭で流れるのはミズーリ州の州歌「ミズーリ・ワルツ」。寂れたログハウスの風景と重なってか、ワルツというには哀愁を帯びたメロディ。 元はスコットランドで歌い継がれていた子守唄だったのだろう。作中での音楽も魅力的だ。 「ミズーリ」はインディアン・アルゴンキン語族の言葉で「泥の水(ミズーリ川のこと)」を意味するとのこと。この地に入植してきた者達の辛苦がうかがえる。 サンダンス映画祭でグランプリをはじめ各映画祭で高い評価をうけた本作。 監督はデブラ・グラニック。女性監督。 一昨年サンダンス映画祭でグランプリを受賞した「フローズン・リバー」も女性監督のジョナサン・レヴィン。カナダ国境沿いの最北端の町で暮らす女性の、貧困に喘ぎながらも生きる逞しさと、母性の強さ、優しさを描いた骨太作品。そして本作でも、アメリカの知られざる現実と、そして17歳のリーの逞しくも生き抜こうとする意思と姿がリアルに描かれている。 ![]() 知っていることは話さない。 寒村の地に入植当時から脈々と受け継がれ根づいているヒルビリーたちの血族の掟。掟破りの制裁も味わうリー。しかし、相手を見据えて「ドリー一族だから」と誇らしく応える。 生れ育った国を捨て、新大陸アメリカに夢を抱き移民してきたリーの祖先。祖国と変らぬほどの苛酷な環境の中でアメリカの大地に生き続けてきた彼らの血がリーにも受け継がれ流れているのだろう。 移民の国アメリカの、これが彼らの強さと逞しさでもあり、こんな作品が生み出される土壌でもあるのだろう。 ハリウッドでは、男たちが無節操にリメイクに走り、3Dだの、過剰なアクションだのに血眼になっているのを横目に、女たちは、社会の現実を見つめ、大地にしっかりと足をつけ生き抜いていこうとする人間を、誇りと優しさをもって描き出している。タイトル「WINTER'S BONE」 直訳すれば「冬の骨」。「BONE」という言葉は彼らの日常ではどんな意味合いを持って使われているんだろうと疑問に思っていたけれど、本作では、原作者ダニエル・ウッドレルによると犬に骨を与えるという程度の、「人を喜ばせるためのちょっとした贈り物」を意味するスラングだそうだ。 身を切られるほどの冬の寒さのような厳しい現実の中で、BONEがもたらす一握りの暖かさ。母性愛を感じさせるような優しさでもって静かに描きだされるラストシーン。 ![]()
by mChouette
| 2011-11-18 00:00
| ■映画
| |||||||||
ファン申請 |
||