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ロバート・ペン・ウォーレンが、実在の知事をモデルに政界の腐敗の実態を描き、1947年にピュリッツァー賞を受賞した「すべて王の臣(All the King's Men)」の映画化作品。1949年に続き2006年にも映画化された。2006年作品は、ショーン・ペン、ジュード・ロウほか豪華キャストながら観たいという気も起こらず劇場鑑賞はスルー。今回、シネフィル・イマジカ放映で鑑賞。シネフィル・イマジカでは2作品を放映していた。 作品時間は2006年作品が128分、1949年作品が109分で、49年のロバート・ロッセン監督作品の方が短いにも関わらず、登場人物たちのキャラクターが十二分に描かれており、いかに力強く原作の意思(原作は未読ながら…)を映像化しているか改めて再認識した。 まずは2006年のスティーヴン・ザイリアン監督「オール・ザ・キングスメン」は… ALL THE KING'S MEN州知事にまで上り詰める政治家ウィリーにショーン・ぺン。特権階級出身の元新聞記者で彼の私設秘書となるジャックにジュード・ロウ。 観終わってみると、脚色というか簡素化しすぎというか…ジャックの視点に偏りすぎて、ジャックの少年時代の無垢なもの、初恋さえも政治の腐敗に塗れてしまうというドラマティックな悲劇性というか、いささか感傷的な作風にしあがっていて、作品全体が散漫としている。ウィリーが権力欲に憑かれていく様も、登場人物一人一人の行動にもどうも説得力に欠け、こじつけのあざとさが目につく。 ただ、本作で光っていたのは政治家ウィリーを演じたショーン・ペンよりもジュード・ロウ。ジュード・ロウのファンにはこの作品の彼もぐぐっとくるのではないでしょうか。 こんなわけで、なんだか中途半端の尻切れトンボンみたいな作品見せられたら、やっぱり1949年のガシッと骨太のロッセン監督の作品を再鑑賞したくなるのが人情。ロバート・ロッセン監督「オール・ザ・キングスメン」は… ALL THE KING'S MEN政界浄化を唱えて知事選に出馬した理想主義者は落選するが、如何にして選挙に勝てるかを敵方から掴み取る。ウィリーの正義感と義憤は、強烈な野心と権力欲へと変わっていく。そして彼はいつしか汚職、賄賂、恐喝に手を染め、権力を我が手にし、独裁者へと変貌していく…。 ウィリー演じるブロデリック・クロフォードが徐々に変貌していく様は凄い!観る物をぐいぐい映像に惹きつける。 無骨な田舎者の男が、その野心を、政治に対する怒りのポーズで民衆に向って演説する様は聴衆を魅了するオーラさえ感じさせる。 ジャックの恋人で元州知事の娘アンが彼の演説に魅了されていくのも肯ける。 ジャックや兄アダムや、富裕階級の人間達の間にはない強烈な力を感じたのだろう。アンにとって壇上に立つのは凛々しい大人の男。 そのアンに象徴される富裕層の脆弱と傲慢さ。誇りと名誉の優雅な仮面の下にあるのは金権崇拝。 圧力に屈せず政治の腐敗を訴え続けるウィリーの正義感に共鳴したジャックは、時の権力の圧力に屈し、ウィリー賞賛の記事をかくジャックに待ったが掛かり、新聞社に辞表を叩きつける。「生活はどうするんだ?」という編集長に「いいさ、金持ちだから」と答えるジャック。 一角の人間になりたいと求めながら、汚いものに手を染めず傍観者として理想を論じられるのも持てる者の傲慢さか。 何も持たぬウィリーが賄賂と強請でその手に金をつかみ、権力を手中に収めてい「くことが悪なら、汚れのない美しい手は善なのか。 「善は悪から生まれる。」 「善は悪によって作り上げられるのだ。」 「善と悪の区別がつかなかったら蓋をするのさ、そうすればきれいさっぱり忘れることが出来る。」 鋭いセリフがウィリーの口から飛び出す。 元州知事の息子アダムを自分の名を冠する病院の院長に担ぎ上げようとするウィリー。人命を救いたいという善の人アダムにとって、院長の席はウィリーに利用されることだけと拒絶する。そんなアダムを親友であるジャックが説得する。 「彼から学んだんだ。卵は割らなきゃオムレツは作れん、と」 主題ともいえる鋭い言葉が登場人物たちから飛び出す。 原作の言葉だろう。 ………………………………………………………………… ザイリアン監督は、映画制作に際し1949年版は見ておらず、原作に忠実に脚本化したと語っているそうだけれど、ドラマティックを意識しすぎてかなり設定を強引に変えているんじゃないかなって、49年作品を見ているとそう思えてくる。 こうやって1949年作品と2006年作品を見比べてみると、社会の内部に肉薄し、人間の本性に迫った時代から、今はムード重視の時代になってしまったのかしらって思う。社会そのものも重要ではあるがドラマのファクターの一つになってしまっている。豪華キャストを揃えたものの、観る者の胸に訴えかけるものもなく観終わった後に残る印象も希薄。「ジュード・ロウがよかったわぁ。」だけではねぇ、寂しいなぁ。 作品賞・主演男優賞・助演女優賞賞と3部門でオスカーを受賞したロッセン監督の1949年作品は、アマゾンの作品紹介をみると「古今東西いつの時代も変わることのないテーマ性を持った骨太の快作だが、戦後まもない時期の日本では、こうしたアメリカの恥部を描いた社会派映画が公開されるはずもなく、長らく未公開のままだったが、ロッキード事件など汚職事件たけなわの1976年にようやく初公開されて話題を集めた。ロッセン監督自身も50年代に入るや、ハリウッド赤狩りの犠牲となっている。(的田也寸志)」とある。骨太にアメリカ社会のダークな部分を描いたロバート・ロッセン監督。 1951年の非米活動委員会で証言を拒否し一旦映画界を追放され、苦悩の末に転向し、1953年の委員会で多数の党員の名を証言して以後、ニューヨークやヨーロッパ、中南米を映画作りの拠点として、二度とハリウッドには戻らなかったそうだ。本作では監督賞にもノミネートされていたけれど、授賞式直前に告発されノミネートのみとなっている。 1961年にポール・ニューマン主演で「ハスラー」を撮っている。往時の手腕と勢いが感じられる作品だ。 ![]()
by mChouette
| 2011-10-25 00:00
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