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DER UNHOLD
THE OGRE 1996年/ドイツ・フランス・イギリス/118分 監督: フォルカー・シュレンドルフ 日本での配給会社は今はなきケーブルホーグ。監督は「ブリキの太鼓」 「スワンの恋」で知られるドイツのフォルカー・シュレンドルフ監督。 英語タイトルは「THE OGRE」。童話や民話に登場する「人食い鬼」の意。第二次大戦下のフランスそしてドイツを舞台に、暗喩的な寓話がちりばめられた作品。 醜い大人たちの世界を知ったオスカルが自らの成長を拒み、子供のまま成長するオスカルを<徴>とする「ブリキの太鼓」もたぶんに寓話的な語りと展開が巧みな作品。 大人になることを自ら拒絶した「ブリキの太鼓」の少年オスカルと、子供の心をもったまま大人になり数奇な人生を辿る本作の主人公アベル。それぞれ対極にあるようにみえながら、時代を語りながらも、物語は花弁の芯からホモ・セクシャルな匂いを放ちながら一つ一つの花びらが徴となって散りばめられた寓話のように人間の業を語っていくあたりはフォルカー・シュレンドルフ監督の上手さ。 歴史の波に翻弄される人間の脆弱さを描きながら、物語が進むにつれ、歴史を、時代の波を乗越えようとする人間のダイナミックさが沸々と沸き起こるように物語の終盤まで突き進んでいく昂ぶりを感じさせる。それが散漫な印象を残しながら、どこか胸をざわつかせるような、なぜか後ろ髪惹かれるような気になる余韻となるのだろう。 物語の下敷きにあるのは「キリストを背負うもの」という意をもつ聖クリストファー伝説。偉大なる王と信じる父に仕え、その父より強い王に仕え、王が恐れる悪魔こそ王より偉大なる者と思い悪魔に仕え、悪魔の命で町を破壊して回り、その悪魔が「王の中の王」が住む場所として教会だけは破壊しなかった、その「王の中の王」に出会うため更に旅を続け、川を渡るという王をひたすら待ち続ける。ある日、川を渡りたいという少年を背負い川を渡っているが、肩にかかる少年の重さは更に増していく。その重さはキリストが背負った人間の罪の重さ。渡り終えたゴラムの前に少年の姿はイエスキリストになったという物語。偉大なる者に仕えようとした男の物語を、本作の主人公アベルと重ね合わせ、彼が辿る数奇な人生を解きほぐしていくとなかなかに面白い。 物語は1925年のパリ郊外にある聖クリストファー寄宿学校にいるアベルの子供時代から始まる。孤児のアベルは内向的で周りの大人たちや友人に従順な少年。ある時彼の小さな怒りからでた「寄宿舎が燃えるといい」という祈りが現実になり、彼は神様から守られている存在と思い込む。長じても大人たちとはうまくつき合えず、なぜか子供達とはウマが合い仲良くなれる。子供が好きだというアベルにとって子供たちは守るべき存在。そんなある日、仲良くなった一人の美少女がついた嘘で彼は強姦罪で捕まり、刑務所に収監される代わりに戦地に送られるが、すぐにドイツ軍の捕虜となる。純真さと残酷さ、優しさと凶暴さ、弱さと強さ、聖と悪という人間の二面性をストレートな形で体現させたアベルという存在。ジョン・マルコビッチならではのアベルだろう。 音楽はマイケル・ナイマン。アベルの中の無垢と不安と不気味さが幻想の中で静かにゆっくり溶け合うように映像と混じりあう。 カルテンボーン伯爵の城でアベルとともに子供達の世話をするのが、ちょっと雰囲気違うけどどこかで見た顔?って思ったら「バグダッド・カフェ」のジャスミン役のマリアンネ・ゼーゲブレヒト。 クレジットの最後に「亡きルイ・マル監督に捧げる」とあった。
by mchouette
| 2010-09-22 00:00
| ■映画
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